普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

素朴であり続けなければならないというジレンマもあるのでは

この土日は天気も良く、寒さは感じるものの陽射しさえあれば心をおられることもなかったためちょこちょこと出かけてみた。

土曜日は無印良品へ。無印って出たての頃は”ブランド力に頼らずノンブランドで良いものを売る”ということだったのに今や「無印」というブランド化しているのって世の中こういうところあるよなと思わされるケースの代表みたいなお店である。

素朴なのが良いとされていたのにそのうち素朴じゃなきゃいけないみたいな雰囲気になってそのあたりのジレンマもあったりするのかもしれない。本当はスパンコールのジャケットとか売りたいと内心思っている可能性だってある。無印のスパンコールジャケット、不可能図形みがある。

買い物も済ませた帰り道、駅のホームからやけにくっきり山影が見えたのだけど、それが富士山であるか議論が妻との間で巻き起こった。

影だけだからワンチャンある

都内からあんなに大きく富士山が見えるものだろうかと8:2くらいで他山(他人的な)の空似と結論付けられそうになったが、富士山だったらありがたいのではと富士信仰ばりのハートの強さであの山影は富士であるということにした。こういうのは真実じゃないのよ。

家に帰り、焼き鳥欲が抑えきれないものの、飲みに行くには準備が足りなすぎることからひとっ走り買いに出かけた。飲みに行くことを考えればと想定していた1•5倍くらいの量を買い込む。こういう買い物の仕方で散財していくのかもしれない。しかし買い込んだ焼き鳥はすべておいしかったので後悔はない。

お酒を飲みながらスマホのメモを眺めていると、以前に忘れたくないと思って気になっていたアーティストがメモされたものを発見した。少し前にどうしても思い出せなくて手掛かりもないままその出来事自体忘却の彼方となっていたアーティストのメモもそこにあり、「おー、こんなところに」と思うものの、このメモの存在自体を忘れているとという絶望的な状況に天を仰いだ。手立てがなさすぎる。虚無に飲み込まれそうになるも、ま、そんなもんかと持ち前の適当ぶりをもってこの日はお開き。我ながらちょろい。

そして日曜。この日も天気が良い。子を連れて公園にでも行こうと言うことになったので、気合いが入りすぎてはいないけど、日常使いするには完全に遠いくらいの距離感の公園に行くこととした。

その公園は健康器具とでもいうのか、腹筋補助だとか、雲梯だとかそういったものが設置されていた。その中でぱっと見ようと不明だったものがこれ。

ポールに回転させることができるディスク状のものが取り付けられているもの。まったく使い方がわからなかったが近くに利用方法の説明看板があった。

うーん…

太極拳と同じ動きをすることができるという器具らしい。太極拳のことはまったく知らないけれども、これの補助がなければできないような動きなのであれば太極拳はああ見えて難易度が高いということではある。しかしこれで太極拳の動きを再現できるのだとしたら太極拳の達人からなめんなと怒られちゃったりするのではと心をざわつかせる器具であった。試しに言われた通りぐるぐるしてみたが、練られる何かは感じ取ることができなかったことはご報告しおこうと思います。

けっきょくこの公園は混み合っていたので子を遊ばせるには向いていないということで公園をはしごし、そのはしごした先の公園で子を遊ばせた。公園のはしご、けっこういいなと思ったのでもっと暖かくなったら積極的にはしごしようと思う。

 

 

初めて出会ったその日からずっと思っていたことがある

怒られ覚悟で言うけど、アイアン・メイデンのThe Trooperのリフって果たして本当にかっこいいんだろうか。むしろダs…いや、ダメだ。それを言ったらメタルの歴史を否定することになってしまう。

キャッチーではあるし、中毒性があるのは間違いない。1度聴いたら忘れることはないほどにインパクトはある。そこは認めるところなのだけど、イントロのあのリフを耳にするたび、なんなら脳内で想像するだけで阿波踊りの映像が同時再生されるのだ。阿波踊り全然関係ないけど「えらいやっちゃ えらいやっちゃ」と合いの手込みで。

なので1度思い出すと脳内で繰り返し再生される。昨日もふと思い出し、頭の中でリフが流れ続けたため辛抱たまらずSpotifyでTrooperを再生した。「うむ、なんかちゃきちゃきしとるな」と思いながら曲を聴き終え、ふと思った。

これだけ有名曲だし、いろいろなひとにカヴァーされているんじゃないだろうか。

そう思いSpotifyで「Trooper Cover」で検索したらまんまとプレイリストが見つかった。便利だなー。ネットの海をじゃぶじゃぶ泳がなくても箱詰めされたものを差し出してくれるんだもの。Trooperだけが詰まったプレイリスト。35曲で2時間以上ある。その間ずっとTrooperしか流れないというおでんだったら鍋の中全部ちくわぶみたいな状況が構築されているのだ。

これね、お時間あったりSpotifyユーザーの方には是非聴いてもらいたい。

アイアン・メイデンといえば匂い立つほどに正統派のメタル、いや、ヘヴィメタルバンドである。カヴァーするバンドもメタルバンドばかりと思うのが自然であると思うが、これが違ったのだ。半分以上は同ジャンルからのチョイスであったが、他のジャンルによりカヴァーされているものが聞き応えがあった。

パンクっぽいバンドはまあわかる。弦楽でのカヴァーも想像はできた範囲(とてもよい)。電子音楽系が出てきて「おや?」と思ったところでラスティックまで出てきて膝を打った。ちなみにラスティックとはロカビリーを下地にケルトだのその他民族を混ぜ込んだようなジャンルだ。バンジョーとかが用いられる。

まったく思いもしなかったアレンジすぎて口元がを緩ませ、感心しながら曲を聴き終えた。もう10回くらいTrooperを聴き続けているのに完全に別腹で楽しめたと言える。ただまあ「なんでこのひとたちがアイアン・メイデンのカヴァーを…?」とは思ったけれども。

カヴァー、トリビュートアルバム自体けっこう好きで、思い切ったアレンジしているもののほうが好みだ。このプレイリストみたいに同じ曲をひたすら集めたものは同じ曲なだけにセンスの煌めきを感じ取りやすいかもしれない。

ちなみに、これまでに聴いてきたトリビュート(カヴァー)で一番すごいなと思ったのはJUDY AND MARYトリビュートのミドリによるミュージックファイターだ。”狂っている”としか表現のしようがないほどにぶっ飛んだアレンジで、幼少期にが聞いていたら絶対に泣くほどトラウマ植え付けられていたと思う。原曲好きなひとから怒られたりとかなかったのかな。癖になってその時期けっこうリピートしてたけど。

今回のTrooperカヴァー祭りプレイリストに気をよくしてHelloweenのカヴァープレイリストなんかも聞いているものの、Trooperほどの思い切ったアレンジがないのがちょっと寂しい。元曲が好きなものが多いので聞けると言うのはあるにはあるのだけど。でも、デスメタル系がカヴァーしているものに関してはHelloweenだと歌メロ大事なのにそこをデス声でいっちゃうのって意味あるのかなとは正直思った。楽器隊だけが楽しい。

Spotifyの新しい使い方をひとつ覚えたということでうきうきで書いちゃったけど、対象がめちゃくちゃ絞られる記事になってしまった。あとアイアン・メイデンファンのみなさん石とか投げんといてください。Wasted Yearsとかめちゃかっこいいと思ってます。

ちなみに、アイアン・メイデンとは拷問器具で棺桶のふたにこんなんがついたもの

 

 

 

 

 

トーイソクミョーが当意即妙に変換されるか否か

もうすでに大人も大人、なんなら衰退期に突入してしまっているのではないかと思う昨今であるが、まだまだ知らない言葉はある。若いひとの間で流行っている言葉や、ここ数年で生まれた新語については知らないことも仕方ないと思えるけど、僕が産まれる前から存在した言葉で、日常で出くわしそうだけど、まったく知らない言葉があることにおもしろみを感じる。

今日出会った言葉というのは「当意即妙」。意味としてはその場にうまく適応した即座の機転をきかす様だそうだ。意味としては大変に汎用性があるように思う。似たようなところで臨機応変という言葉があるけど、臨機応変は行動に、当意即妙は心の動きにフォーカスをあてているものであるとの由。ふつうに勉強になっちゃったよ。

僕は今日初めて出会ったけど、当意即妙はおそらく僕が生まれる前から使われる場面では使われ、そのたびに「ん?今なんつった?」と人心を惑わし、帰ってから辞書を引くという言葉であったのだと思う(今ならひとりになったときネット検索)。汎用性のわりには実働に乏しい言葉、それが当意即妙だ。そしてその意味を知って関心した僕のような人間が会話にどうにか当意即妙を織り交ぜようと虎視眈々と待ち構えるというところも過去から脈々と受け継がれているのだろう。

しかし知ってる風を装いたい気持ちが勝ってしまい、誤射をすることもある。小難しいことを言おうとして意味が間違っているなどあわや大恥というところだが、その心配はない。なぜなら世間のほとんどのひとが今日という日を境にこの言葉を知った僕同様に「当意即妙」の意味を知らないからだ。その場では「だよね〜」くらいの顔で聞いていながら「トーイソクミョー…?」と動揺をひた隠しにしている。間違いない。

間違った使い方をしていても指摘されないどころか、その意味を問われることもない。となると、こう思わずにはいられない。

適当な四字熟語使ってても常にドヤ顔していれば博識ぶれるのでは?

適当な、と言っても意味を知らない既存の四字熟語ということではなく、その場で考えて作り出した言葉をさも当たり前のように会話に織り交ぜるのだ。ひとつの事柄から思わぬところに影響を与えることを風が吹けば桶屋が儲かると表現することがあるが、それを勝手に四字熟語ナイズし、「風吹桶儲」(ふうすいとうちょ)などと言い切るのだ。例えば、「さっきの電車遅延はまさに風吹桶儲だったよね」と涼しい顔。しかし相手は「ん?今なんつった?」と思いつつも知らない言葉を半笑いで「わかる〜」と流すしかない。そんな言葉ないのに。むしろ風も吹いてなければ桶屋ももうかってないのに。

これを実践できるひとがいたらそのひとは人心を操る職業に就くべきだ。僕が考える範囲では桶屋がなんたらを四字熟語にするのが精一杯だが、”本物”は例にあげた四字熟語みたいのではなく、存在する漢字を自由に組み合わせてなんとなくそれっぽい意味を持ちそうな言葉を場面に合わせて作り出してしまうのではないだろうか。そしてそれを躊躇なく繰り出す強い心を持ち合わせている。宗教団体の開祖ってそんなひとなのかもしれない。幽遊白書の仙水編に出てきそうだな。

あらゆる場面を漢字四文字で表現

見方によるところではあるだろうけれども、考えようによっては漢字を組み合わせて意味のありそうな言葉を作り出すというところにゲーム性がありそうな気がする。意味から逆引きで漢字を組み合わせていったら漢字だけでプレイするもじぴったんみたいになるんだろうか。

頭の回転と知識量と強い心が求められるので現実にいたら高スペックっぽさはありつつも、僕の目の前にそんなめちゃくちゃなこと喋る人間があらわれたら警心開信ですよ。(警戒して心を開かず信用しない)むずいなー。文字の並びのセンスも問われそう。

気候がジェットコースター

3月になったとはいえまだまだ寒い。2月の中頃にかなり気温の高かった日を挟んでいるため余計に春への道のりが遠く感じるのかもしれない。気温だけではなく、上下に乱高下するようなことを”ジェットコースターのような”と表現することがあるけれども、気温の高い低いはジェットコースターで言うところのどの部分にあたるのだろう。

ちょっとニーアオートマタっぽいジェットコースター写真

気温が低いというのはつらいことなので、ジェットコースター的にもつらさを担当している回転している部分とか急降下している部分にあたるということだろうか。

いま、回転している部分をつらいと表現したが、あの部分を通過しているとき、遠心力で思い切り車両に押し付けられている状態になっているので思いの外恐怖を感じなかったりする。あくまでも個人的にはだけど。それよりも急降下しているときの重力に見放されそうなあの状態がいちばん怖い。両肩にそっとかぶせられたあのバーに安全のすべてを預けているというのが異常なんじゃないかとすら思えるのだ。

僕は一般的な成人男性からすると肩幅が驚異的に狭いので、いつも急降下の瞬間にバーの隙間からすっぽ抜けるのではないかとたぶん本来の趣旨と異なる恐怖を感じている。安全設計上そんなことになるわけないのだろうけど、実際になったらディズニーアニメで床が突然抜けたときみたいに一瞬宙に浮いた後にストーンと落ちたりするのだろうか。車両だけ進んで自分だけ取り残されて。その場合着地点はひとの形に大の字で穴があくのがベストだろうな。

ふつうのジェットコースターでも急降下のところで限界を感じているので、それそのものを凝縮したようなフリーフォールなんて絶対に乗れない。人生で一度も乗ったことがない。乗れる気もしない。でもタワー・オブ・テラーは大丈夫だったりする。(たぶん原理はフリーフォールと同じなんですよね?)ディズニーならそこまでえげつないものを出してこないだろうという全幅の信頼を寄せていることによるが、フリーフォール大丈夫派の諸兄の評価はどうなんだろうか。あれで大丈夫ならフリーフォールいけるよと言われてもその意見を鵜呑みにするかどうかは別の話だが。牛レバーが大丈夫だからと言って鳥もつきんかんが大丈夫とは限らない。大枠では一緒とはいえ。

えげつないといえば富士急の絶叫マシンは常軌を逸していると感じるものが多いが、その中でも「ええじゃないか」に関してはひとつもいいことなんてあるかとアトラクション名を聞くたびに思う。

www.fujiq.jp

なし崩し的にええじゃないかと乗車をうながしているが僕は頑なに乗車を拒否する所存だ。どういう発想してたらあのマシンを開発できてそれに不安なく乗車できるようになるのか。新幹線くらい安全が担保されていれば乗るけど、と思ったらそのええじゃないかはすでに存在意義を失っているただの移動手段だ。ちょっとトリッキーな移動方法。

富士急つながりでついでに言ってしまうとドドンパに関しては発射時に通常の何倍ものG(3.75倍だとか)がかかるらしく、過去の手術痕が裂けそうで怖くて乗れない。あれ、実際のところどうなんでしょうね。戦闘機乗りは手術痕NGとか聞いたことがあるのだけど、ドドンパもやはりそうなんだろうか。都市伝説めいていて夢のある話なのであえて調べないけれども。

気温が低くてつらいなあということを書こうと思っていたら我ながら清々しいまでにどうでも良い話でお茶を濁してしまった。後半アンチ巨人阪神ファンくらいに富士急のこと熱く語り出してしまったし。さて、お茶も濁り切ったことですし、春待ちしながら濁りが澄んだころにまたあらわれてはどうでも良い話でお茶を濁していこうかと思います🍵

フィクションであってほしさすらある

最近どういうわけなのか、ツイッター(X)でサレ妻(浮気をされた妻)アカウントの投稿が頻繁に表示される。大概のアカウントが夫をぼろっくそに罵っているという醜悪なものであるのだが、醜悪の中にこそ美はあるもの。つい見入ってしまうことがある。そして、基本的には夫が悪いんだろうけど、これ妻さんも性格曲がってるなーという着地点に到達する。

ツイッターのおすすめ表示のアルゴリズムとしては概ねの予想通り「おまえさんこんなのに興味あるんじゃろ?」であるらしいので、最初は既婚者をベースにしたおすすめだった中にあったサレ妻アカウントを拾い上げたことをきっかけにわんこ式にサレ妻をおすすめされるようになったのではないかと思っている。食べ終わる前にいつそばをいれてやろうかと待ち構えている鼻息の荒さが怖い。

その流れなのか、サレ側でありつつも威勢の良くないアカウント(男女問わず)もたまに流れてくることがある。愛するひとに裏切られるなんて心が張り裂ける思いだよなと思いつつ下衆な心をもってその投稿をのぞきに行く。サレ妻は変な勢いがあるから悲哀がないが、こちらは心の整理をするためぽつりぽつりと呟いている雰囲気を感じる。

今日のおすすめがなかなかキツめで、同棲して結婚まで約束した男性から結婚したらすぐ子が欲しいから自分の子を身ごもって欲しいと言われ受け入れたところ、その男性は既婚、挙句生まれたての子がいある立場であったというものだ。それだけにとどまらず名前以外(収入、学歴、家族構成、出世、国籍までも)が嘘だったそうで、それだけでももうおなかいっぱいなのに名刺とか免許まで偽造していたというのだ。名刺もダメだけど、免許はガチのお縄のやつじゃないのか。

不倫自体、不道徳極まりないけど、子がいる立場の不倫はその中でも郡を抜いて悪だし、あまつさえ生まれたての子がいるのにほっぽって他所の女に甘言を囁くなど、生きているうちに地獄めぐりツアー敢行の所業である。

このアカウント主の方はさぞかしつらい思いをしているだろうなと投稿をさかのぼって見てしまった。「生まれてくる子にあんな最低の父親のこと話せない」本当だよな。どうするのがベストなんだろうとモヤモヤが心を充した。それが今日の投稿。

ところで、嘘発覚前の投稿はあるんだろうか。ふと思ったため、大スクロール祭りを開催し、2023年の4月まで遡ってしまった。どうもこの時期にこのアカウントは誕生したらしい。なので最初の投稿まで辿り着いてしまったということだ。

その投稿を見るに、彼との暮らしが幸せだという内容である。おお、まだ発覚前のお話。でもつわりについても触れており妊娠はしているようだ。そしてハッシュタグ”#妊娠7週目”とある。

そっかー、7週目か。まだ大変な時期だよなと思いつつ、元彼の大ボラがめくれるのはいつなんだろうと投稿の時を進めようとしたところで「ん?7週?7週って2ヶ月くらいだよな。」と違和感に気づく。2023年4月に妊娠2ヶ月でいま2024年の3月。

産まれてない?

でも今日の投稿内容的にこれから産まれると読める内容だった。もしかして超絶過期産という可能性もゼロではないけど、これはもしかすると…ってありえますかね。

え、でもそんなことある?もしそうならなんのために?しかもけっこうな数投稿しているし。ただ、気になるのが4月から7月までは絶え間なく投稿していたが、7月から10月末まで一切投稿がないのだ。6月に嘘がめくれる日が訪れるのだけど、その直後はその事実から中絶の方向性もあり得るということだった。

もしかしたら投稿空白期間に中絶が行われ、その悲痛な気持ちのやり場としてツイッターを利用していた可能性はあるし、その時のことを思い出すのも嫌だからその期間の投をがごっそり削除したというのも考えられなくはない。ただ、今日の投稿だと「生まれてくるこどもに」って言ってたからなあ。じゃあ妊娠中かーとなんかもうミルクボーイの漫才みたいなことになってくる。

過期産だったとして、この週数(52週とか)はまずいし、いくら詐欺男への怒りに打ち震えているからといってその頃まで大切に育てた我が子のことについて一切触れないとは考えにくい。

いったい何が目的なんだろう…でもまあ、こんな最低な話、フィクションであればそのほうが良いわな。あと、僕の読解力の問題で事情を読み違えている可能性をじゅうぶんあり得るんじゃないかということも言い添えておこうと思います。

こういうの含めてのツイッタランド(X)だよなと今日も淀み切った心でパトロールに勤しもうと思います🫡

 

 

 

寝坊とカレー

起きたら6時47分だった。通勤時、家を出る時間である。誰もがそうであるように、「今日、休んじまうか」というフレーズが脳内に雷鳴の如くほとばしった。

だめだ、今日は休めない。仕事で今抱えている面倒ごとのためにひとが出向いてくれて打ち合わせするのだった。解決に向けて動いてくれているひとに不義理はできない。行くしかない…か。

基本的に早めに職場につくように家を出ているので、この時点で家をすぐに出ればおそらく間に合う。しかしそれはできない。

シャワーあびてえっす。

折に触れて繰り返しているが、前日に入浴をしていたとしても、夜を超えたおじさんは公衆衛生上大変に好ましくない存在となる。下手したら12時間以上前に入浴し、挙句汗もかいて脂を発生させる睡眠というアクティビティを経ている。ひとに会うというのだから余計にシャワーの必要性が増すというものだろう。

あれこれ理屈を並べてはみたものの、ま、いいや。遅れちゃったら遅れちゃったで。ふだん時差勤務で早く出勤してはいるけど、勝手に早く行っているだけみたいなところあるし、遅れたらその分後ろ倒しで働けばいいかと脅威の開き直り力でシャワーの儀を決行した。

結果、なんだかんだで普段の始業時間には間に合った。特別に焦ったり急いだりしたわけではなかったのだけど、間に合ったので結果オーライである。

ただ、きちんと早起きして準備している普段はなんなのだろうという腑に落ちなさはある。昨日は結局15分くらい遅く家を出ただけだったし。なんだろう、いつもの朝の時間は3分ずつくらい未来へタイムトラベルでもしていたんだろうか。気づいてないだけで3分おきに寝落ちしているのかもしれない。朝の寝落ちは未来へのワープだものな。

定刻には始業し、お昼近くに打ち合わせ。個人でもうどうにもならないなと思っていたことがやっと動かすことができることになりそうな実りある打ち合わせとなった。が、今日結局僕がどうにかしなければいけない空気になっていた。ぐぬぬ

お昼は少し前にたまたま通りかかって気になっていたカレー屋とした。

知っているビジュアル

お皿にあるように白洋亭というお店なのだけど、写真を見てピンとくるひとがいるはずだ。日乃屋カレーじゃん!と。もしくは上等カレーでも可。でも僕は日乃屋カレーの方が馴染み深いので店の外の写真を見たときから日乃屋カレーとの関係性がないわけがないと睨んでいた。その検証も兼ねての来店である。

今の時代調べればネットですぐ答えに辿り着くことはできるのだろうけど、あえて調べずに訪れた。そのほうが「やっぱりね」への道のりを楽しめると思ったのだ。答えがわかっている状態で答え合わせのごとくこの点とこの点が同じだからね、というのも味気ない。発想が昭和かもしれない。今の若い衆はもっとタイパよくクレバーに行きとるんでしょうな。

食べてみた感想としては、言うほど同じでもないか、であった。でも家族ではないにしてもいとこくらいの距離感ではあるし、そのいとこと同じ学校に通っているくらいには近いところにはいるもの同士である。そりゃ他人だけど無関係ってことはないでしょうレベル。

参考までに日乃屋カレー

参考として日乃屋カレーの写真も出してみたけど、やっぱり言うほど似ていないような気もしてきた。でもなんというか、”やり口”に同じものを感じるんだよな。あとカツは両者ともに独特の薄さという共通項がある。

ぶつくさ言ってみたところで自分の舌ではどうしても確証を持てなかったのでインターネッツに頼ったところ、ザ・王道の大阪発祥の甘辛カレーですねという意外な着地点となった。え、そうなの。

大阪のカレー事情に明るくないけど、白の楕円のお皿に盛り付けて、薄いカツを乗せて、ちょっと少なめの甘辛ルーをかけるというスタイルが確立されているのか。知らなんだ。このスタイル、日乃屋カレーくらいしか知らなかったからな。やり口が同じとか言ってすまんだ、白洋亭よ。

これは家系ラーメンをよく知らないまま地方で出会ったとして、まったく違うお店で修行していた2店を同系列といぶかしむようなものだろうか。味は似ているし丼も青いし、具のチョイスも同じ。よく知らなかったらそれくらい思ってしまいそうだ。

両者の関係性をごりごりに疑ってかかったのにふわっとしたところに辿り着いてしまってお恥ずかしい限り。僕が知らないだけで土地のカレーってラーメンばりにあるのだろうか。教えて、カレー博士🍛

 

 

ピュアな心を失った斜め世界

もう40歳を超えていながら、感性がこじれていると感じることは往々にしてある。しかもこの年齢になるとここからピュアな心を取り戻すのは無理だ。それは別によい。これはこれで楽しくやっていけている。

ただ、あまりにこじらせており、なおかつその期間が長くなってくると、こじれてない状態ってどんな感じだったかわからなくなってくるのだ。物事に対して斜に構えるのがデフォルトになってくるともはや世界は斜めであるのが普通になっており、まっすぐである状態のものを見たときに斜めに見えてしまうという現象が起こる。

以前、職場の同じシマで働いていた委員長タイプの女性(すでに異動済み)が結婚した際、その報告をしてくれたのだけど、その届出の年月日が2022年の2月22日だった。しかも深夜の2時22分。

いや、違うの。違うのよ。そういうひともいる。そういうの好きなひとがいるのは理解できる。けっこうなことじゃないの、おめでたいじゃないの。キリ番ゲットー!っつってね、「おめでとうございます!」ってそりゃ言いましたよ、僕だって善良おじでいたいですから。

しかし、その報告を受けた瞬間、内心では「うわ〜…」と思ってしまったのだ。やってんなーという気持ちがあらゆる感情を押し除けて脳に超高速で躍り出てきたときには自分でも感心するほどこじれまくっているなと改めて自覚した。

ピュアな気持ちを持っているからこそ何のてらいもなくキリ番で婚姻届を提出できるのだろうなと思うわけだけれど、こじらせ側からすればむしろそこに何か血の誓いでもあるんじゃないかと勘繰ってしまうのだ。それが前述の真っ直ぐの世界が斜めに見える現象でもある。

家だったらボールを置くまで斜めになっていることが気づかないくらいに欠陥住宅なのに平気な顔して住んでいた人間がフラットなお宅にお邪魔して「曲がってない?」と言い放つようなものだ。曲がっているのはお前さんちの床だよ。理解できないならボール持ち歩いとけって話である。

もうこんなよ

ただまあ、ひとは多かれ少なかれこじらせているものではあると思うので、それが人間関係を悪化させる火種になるとかでなければ世界は大いにこじらせていれば良いと思う所存です。このケースも炎上は避けたことですし。

ちなみに、上司は報告を受けた際「え〜、そういうことしちゃうタイプなんだ〜」と聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームで心の声が漏れていた。ちょいと、なんかのハラスメント認定されるぞ、と思ったが泥舟には乗りたくないので関与は避けた。まあ基本的な感想の方向性は僕と一緒なので気は合っているんだけれども。

もうひとつちなんでおくと、この話を妻にした際「え、ない」と一刀両断だった。夫婦仲良く忍者屋敷みたいな床の家でよろしくやっていこうと思います。🥷