普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

トーイソクミョーが当意即妙に変換されるか否か

もうすでに大人も大人、なんなら衰退期に突入してしまっているのではないかと思う昨今であるが、まだまだ知らない言葉はある。若いひとの間で流行っている言葉や、ここ数年で生まれた新語については知らないことも仕方ないと思えるけど、僕が産まれる前から存在した言葉で、日常で出くわしそうだけど、まったく知らない言葉があることにおもしろみを感じる。

今日出会った言葉というのは「当意即妙」。意味としてはその場にうまく適応した即座の機転をきかす様だそうだ。意味としては大変に汎用性があるように思う。似たようなところで臨機応変という言葉があるけど、臨機応変は行動に、当意即妙は心の動きにフォーカスをあてているものであるとの由。ふつうに勉強になっちゃったよ。

僕は今日初めて出会ったけど、当意即妙はおそらく僕が生まれる前から使われる場面では使われ、そのたびに「ん?今なんつった?」と人心を惑わし、帰ってから辞書を引くという言葉であったのだと思う(今ならひとりになったときネット検索)。汎用性のわりには実働に乏しい言葉、それが当意即妙だ。そしてその意味を知って関心した僕のような人間が会話にどうにか当意即妙を織り交ぜようと虎視眈々と待ち構えるというところも過去から脈々と受け継がれているのだろう。

しかし知ってる風を装いたい気持ちが勝ってしまい、誤射をすることもある。小難しいことを言おうとして意味が間違っているなどあわや大恥というところだが、その心配はない。なぜなら世間のほとんどのひとが今日という日を境にこの言葉を知った僕同様に「当意即妙」の意味を知らないからだ。その場では「だよね〜」くらいの顔で聞いていながら「トーイソクミョー…?」と動揺をひた隠しにしている。間違いない。

間違った使い方をしていても指摘されないどころか、その意味を問われることもない。となると、こう思わずにはいられない。

適当な四字熟語使ってても常にドヤ顔していれば博識ぶれるのでは?

適当な、と言っても意味を知らない既存の四字熟語ということではなく、その場で考えて作り出した言葉をさも当たり前のように会話に織り交ぜるのだ。ひとつの事柄から思わぬところに影響を与えることを風が吹けば桶屋が儲かると表現することがあるが、それを勝手に四字熟語ナイズし、「風吹桶儲」(ふうすいとうちょ)などと言い切るのだ。例えば、「さっきの電車遅延はまさに風吹桶儲だったよね」と涼しい顔。しかし相手は「ん?今なんつった?」と思いつつも知らない言葉を半笑いで「わかる〜」と流すしかない。そんな言葉ないのに。むしろ風も吹いてなければ桶屋ももうかってないのに。

これを実践できるひとがいたらそのひとは人心を操る職業に就くべきだ。僕が考える範囲では桶屋がなんたらを四字熟語にするのが精一杯だが、”本物”は例にあげた四字熟語みたいのではなく、存在する漢字を自由に組み合わせてなんとなくそれっぽい意味を持ちそうな言葉を場面に合わせて作り出してしまうのではないだろうか。そしてそれを躊躇なく繰り出す強い心を持ち合わせている。宗教団体の開祖ってそんなひとなのかもしれない。幽遊白書の仙水編に出てきそうだな。

あらゆる場面を漢字四文字で表現

見方によるところではあるだろうけれども、考えようによっては漢字を組み合わせて意味のありそうな言葉を作り出すというところにゲーム性がありそうな気がする。意味から逆引きで漢字を組み合わせていったら漢字だけでプレイするもじぴったんみたいになるんだろうか。

頭の回転と知識量と強い心が求められるので現実にいたら高スペックっぽさはありつつも、僕の目の前にそんなめちゃくちゃなこと喋る人間があらわれたら警心開信ですよ。(警戒して心を開かず信用しない)むずいなー。文字の並びのセンスも問われそう。