普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

スパムと久々に再会したらちょっと知らないひとになってた

最近週末は外出の予定も多かったので先週末は家やら近所やらでゆったりと過ごした。

ベビーカー可のカフェでおにぎりを食べたり

ふっくらめに握られたおにぎり

知人が営むたこ焼き屋に夜ご飯を買いに出かけたついでに1杯飲んだろと思ったものの大盛況でお店に入れなかったところをまごまごしていたら持ち帰りカウンター越しに飲むことを許可されてひとり外立ち飲みを行ったりなどした。

外で飲むのに非常に良い時期。

そして日曜。今年に入って一番と言える気候の良さを逃すまいと散歩に出かけた。本当はデイリーポータルZのあゆみ展に行きたいという気持ちがあったのだけれど、店は2階にあり、当然ベビーカーで入れるような場所でもなく、ひとりで入るのも気が引けた…いや、単純にめちゃくちゃ日和って大人見知りスキルを発動させただけが正直なところでした。そういうわけなので入店は見送りそのまま散歩を続行させた。

散歩ルートに年に数回は帽子を購入している帽子やがあったので冷やかすつもりで入店してみるもまんまと新しい帽子を購入してしまった。帽子屋って意外とないし、あったとしても近所にはない。それにちょっとおしゃれっぽい帽子をかぶっているとファッション自体たいしたことなくても底上げ感が出るので本当に重宝している。

その後新しい帽子をかぶって再度歩き始める。歩いていると妻がスパムおにぎりを所望したので「そんな都合よく売っているわけが…ってあったー!」という鮮やかなるノリツッコミ的出来事が発生した。ちなみに売られていたのはナチュラルローソンだ。数が少ないのも相まってナチュラルローソンをありがたがる傾向にある僕ら夫婦だが、この度の一件でもはや崇め奉る対象になりつつある。

スパムおにぎりを食べたらスパム熱が俄然高まり始めたため、夕飯はスパム丼にしようと大決定した。そこで驚愕の事実を知ることとなる。

な…700円以上…するの…!?

なんと700円以上もする値段で売られていた。缶詰の類ではそんなに安いものという認識ではいなかったが、その値段におののいた。この製品はアメリカのものだし、もしかして円安の影響ってあるんだろうか。いやはや、たまげた。

しかし値段に震えはしたものの、いちど高まったスパム熱を鎮火することなど到底できず、強い心と想いをもって買い物かごに放り込んだ。ついでに久しぶりにコンビーフも食べたくなって値段を確認したが、コンビーフもまあまあ根が張ることを確認し、その眼力に耐えられず即座に目を逸らしてしまった。そして隣にちょこんと陳列されたニューコンミートに対してさも「これこれ〜」という顔で手を伸ばし買い物かごにインした。ニューコンミートからしてみたら感じ悪いことこの上ない。慣れてそうだけど。

ビーフに対してミートという一気に間口が広がるネーミングもまたよし

ちなみに、しばらく食べ比べてないからなんとも言えないのだけど、前にコンビーフとコンミートを食べ比べたときはそんなに大きな違いを見出すことはできなかったので僕みたいな雑舌を持つ人間はこだわる必要はないのだろうなと思う。そもそもコンミートに馬肉が使われているというのは僕からしてみたら加算ポイントとすら言える。

その後帰宅。家でスパムを食べるなんてどれほどぶりかわからないくらいに久しぶりだったので正直どんな感じの味だったか忘れてしまっていた。ハムとソーセージの間くらいだったかなという曖昧な気持ちで口に運んだところ、沖縄でそんなこと口走ったら張り倒されるんじゃないかなというくらいに全然違った。

張り倒されたくないからいうわけではないけど、こんなにおいしかったっけというくらいにおいしい。値段のことはともかく、これはまた近いうちにリピートするだろうなといくらいにテンションをぶち上げることとなった。そして大事に食べた。

焼くと抜群にうまい

こうなってくるとお酒を飲まないでいられるわけがないので豚という存在、ランチョンミートという食べ物を発明した世が世なら覇権を取ったに違いない人物に感謝しながら杯を乾かした。

このくらいの温度感の休日、非常によきです。

サイゼリヤを思い浮かべると一瞬小林亜星がよぎる世代

かなり久しぶりにサイゼリヤに行った。自分の記憶はあてにならないのでカメラロールをあさってみたところ、2022年2月が最後に行ったサイゼリヤであったと思われる。その時は散歩の休憩で入店し、つまみとおビールというコースだったのでそこまで強くは思わなかったが、昨日のお昼ご飯にサイゼリヤに行って驚いた。

めっっちゃくちゃ安くないですか、サイゼリヤ。何を今更と言われるかもしれないが、ちょっとどうかと思うくらいに安かったので思わずこの場でお気持ち表明したくなってしまったのだ。

め…目玉焼きまでついてるーー!!

ハンバーグとライスを頼んで650円くらいだったと思う。そしてこれでもサイゼではミドルランクのハンバーグなのだから驚きを通り越してもはや不安すらよぎる。大丈夫なんか、これは。狐狸妖怪の類に化かされていて実は馬糞でも食わされているのでは。馬糞で650円は極悪な値段設定ではあるが。

不安な気持ちを空腹で押し殺しハンバーグを口に運ぶ。きちんとおいしい。厳密にいうと牛豚以外の肉の風味を感じるような気がするので好みが分かれる可能性はあるなと思ったが僕には充分なお味である。蛇足だが松屋の方がハンバーグの値は張る。

少し前に最近のサイゼは質が落ちて残念だみたいな旨の意見を見かけたが、この値段のサービスによくもまあそこまで言えるものだなと思ってしまう。針小棒大に難しいことを言いたいタイプのひとっているのでそういう意見もありますよねということで僕はうっきうきでサイゼを利用しようと思う次第です。

サイゼとはいえばデートのご飯で行くなど言語道断派閥がいることで知られるが、あれは一派が武闘派なだけでわりとサイゼ好きな女性っていると思う。妻もサイゼ好きだし。こう思っているのは僕だけで妻がサイゼに対して憎しみの心を育てていたらどうしよう。もしそんなことになっていたらミラノ風ドリアで平和的解決を目指したい。

それよりもサイゼのデート関連の話でいうと北海道在住カップルの女性がTwitter(当時)でつぶやいていたことを思い出す。「おすすめのイタリアンがあるから今度のデートで行こうよ」と言われ楽しみにしていつもよりもおしゃれして着飾った状態で到着したのがサイゼでとても恥ずかしい思いをしたという内容だったと思う。

いやまあものを知らない彼もちょっと問題ではあるのだけど、彼はサイゼを本当に良いお店だと思い、こんな良いお店で彼女とご飯を食べたいと思っての行動だったわけなので、がっかりされて下手したら別れ話になりかねない事態になってしまったことに心がキュっとなる。サイゼがダメということではなく、共感性羞恥案件だ。

このカップルのその後は知る由もないが、もし破局していたら彼にはマグナム(一升瓶みたいなワイン)で悲しみを洗い流してほしい。エスカルゴだってあるんだ。サイゼは立派にイタリアンだよ!ただ、ここぞの1発でサイゼを繰り出す度胸とサイゼ愛を僕は持ち合わせてはいないけれども。

バズりネタは色々極端であるわけで、実際僕がご飯を食べに行ったこの日、隣はカップルだったし、それ以外にもそこそこカップルはいたので実情ってのはこんなもんだよなと思えた。

僕はサイゼに行くのが久しぶりすぎてサイゼのお家芸のひとつである変な難易度の間違い探しをすっかり忘れていたのだけど、隣のカップルは熱心に違いを探していた。男性はその手のものが苦手なのか、なかなか違いを見つけられず「おもんないレベルでわからん」とのたまっていた。わかる。どういう気持ちでこの問題作ってるんだよと思ってしまうもの。

その後カップルはオーダーしたものが提供されてもメニュー立てに絵をおいて違いを探し続けていた。この日の僕には違いを探す気力はなかったので写真だけ撮ってきたのでせっかくだからアップしとこ。

今見てもさっぱりわからん

 

00年代の歌舞伎町地下へ集団タイムトラベル

その日、大久保の地下は00年代の歌舞伎町の地下と化していた。

どういうことかというと写真の通りなわけなのだけど、写真を見ただけで理解できるひとがいたのだとしたら、僕とは既知の仲かどう遠くても知り合いの知り合いくらいというとても狭い範囲への比喩表現なので説明しようと思う。

かつて歌舞伎町の片隅に存在した「新宿URGA」というライブハウスのブッキング担当が数々のライフイベントをを理由に一線を退いていたのだが、ブッキングに割くリソースを確保できるようになったということでこの度イベントを開催したのだ。そのメンツというのが写真のバンドたちということである。それが00年代後半くらいのお話なので冒頭の表現となる。

これがもう本当に感涙ものなわけでして。月に1回や2回は写真のメンツでライブをやっていたと言っても過言ではないくらいに”ザ・URAGA”なメンツなのだ。それくらいに「あの頃」感の再現度が高い。というかここに僕がやっていたバンドがまざっていてもなんら違和感がない。

これを見て「あ、URGA」と思うというのはそれだけブッカーの好みと特徴、ひいてはライブハウスの示すキャラなどをあらわしていたということなのだなと時を経て改めて思う。当時としては僕もその一助になっていただろうという自負がある。

それにしてもこのメンツでのライブの何がすごいって、みなさん僕より年上なのよ。僕が本格的にバンド活動を始めた頃にはすでに活躍されていた皆さんなわけで、要は20年は活動歴がある方々ということなのだ。僕はその間にバンド活動の幕をそっ閉じしてしまったけど、みなさんはバリバリの現役バンドということに頭がさがる。ちなみに全部メタルバンドです。

そういうことなのでみなさん人生の酸いも甘いも噛み分けたナイスミドルであるのだけれも、それを感じさせないくらいに最&高なパフォーマンスであった。実際、ライブが始まればベテランの安定感と、逆に(良い意味で)ベテランとは思えないくらいのエネルギッシュさが同居した素晴らしいライブを披露してくれた。

こうなってくるとそれぞれのバンドのライブをレビューしたい気持ちになってしまうけど、めちゃくちゃ長くなるのとパイセンバンドをレビューするなど恐れ多すぎなので控えとこうかともいます。前述の通り最&高、極of上でございました。

当然それぞれのバンドが今を歩んでいるのだろうけれど、あの夜大久保earthdomにいたメタルヘッズおよびURGAメイツは一点の曇りもなく「あの頃をありがとう!!」と満場一致で思ったに違いない。

げんさん、そんな素敵な夜を2024年に復活させてくれてありがとう。ごっそうさんでした。まだまだおかわりいけちゃうんじゃない?🍚

 

ひじきと高野豆腐の煮物≠おじい

先日子のためにこさえたひじき入りつくねもといハンバーグのためにもどしたひじきが大量にあまってしまっていたので休日の朝一番からひじきの処遇を思案する。無難に煮てしまうのがよかろうと妻にその旨を伝えると、高野豆腐がストックしてあるとの由。ひじきと高野豆腐なんてジェイソンとチェーンソーくらいに切っても切れない仲である。互いにバーター関係にあると言っても良い。これはもう勝利確定であるがよりその勝利を盤石なものとするために中途半端な量が余っていた人参にも参戦願った。

渋いビジュアルだなあ

思えば高野豆腐を調理するのは初めてだ。というか、正直高野豆腐ってあまり好きではなかった。初めての入院時の腎臓食(無塩かつタンパク制限あり)を食べていた際、豆腐だと高タンパクすぎるけどまあせめて豆腐っぽいものでも的なノリで出てきた高野豆腐はほぼスポンジであった。幼心にその存在感をよくない方向に刻みつけられて以来、高野豆腐との距離は縮まることはなかったのだ。もしかしたら本当にスポンジだったのかもしれない。

しかしたまたま家にあったことだし、たぶんこどもの頃と好みも変わっていて、何より味をしっかりつけられるのだからどうにかなるだろうと軽い気持ちでこの度高野豆腐と再び向き合うこととしたのだ。

自分でこういったものを作る日がくるとはなあ…

そしたらこれがめちゃくちゃうめえんですよ。ひじきのバーターで高野豆腐くらいの気持ちでいたのだけど、おかずのメインを張れるレベルでおいしかった。

ごめん、高野豆腐よ、僕は君のことをだいぶ誤解していたようだ。おじいの食べ物だとすら思っていたよ。いや、実際こどもに好かれるようなものではないかもしれないけど、考えてみれば僕もおじいにつま先くらいは突っ込んでいるような年齢になってきているわけなので高野豆腐適齢期になったということなのか。

いよいよ高野豆腐との正しい距離感を構築できたということで、白米とともに朝食として胃におさまってもらった。いやー、実りある朝食だったな。ひじきも余らせてみるものだ。高野豆腐への印象の変化が鮮烈すぎてメインであったはずのひじきへの言及が乏しくなってしまったが、きちんと役割期待を果たしていたということはご報告しておこうと思います。

滋味深い朝食で終わらせればよいところを、ご飯をほんの少しおかわりしたい気持ちに駆られ、煮物のおかわりをするほどでもないかなと出来心でご飯にマヨネーズと醤油をかけて食べたところ、そのジャンクな味わいに脳がしびれた。高野豆腐はおいしいと思えたけれども、僕はまだこちら側に身体を残しているなと強く実感した次第。

機嫌よく朝食を済ませて気候も天気も良いので近所に散歩へ出かけることに。1週間少し前まで真顔で枯れ木だった桜の木々がだいぶ良い感じに開花している。

桜の花を綺麗に撮れたためしがない

もしかして花見、今日だったんじゃないかとそわそわしてみるもこの日は夕方以降に用事が入ってしまってたので近所の桜を眺めてひとまずよしとした。まあ、花見って言っても最初の30分くらい花に対してやんやの喝采を送り、その後数時間はひたすら酒を飲むだけという会なのでこういった散歩がてらの花見が健全といえば健全ではあるのだけれども。

春の好日を過ごし、ふだんであればこの後「良い日じゃったのう…」と酒を飲んで時間を溶かすところであるが、この日は前述の通り夕方以降に用事があった。用事というのは友人企画のライブであるが、また毛色の違う話題なのでせっかくだから次回に持ちこそう。ひとつだけ言えるのは僕にも青春の輝きみたいなもの、あったんだなということ。

そんなわけでまた次回!

ハンバーグって洋風つくねということなのでは

昨日は花見にでも行こうと休みを取っていた。

が、天気に不安があったかつ開花状況もあまり芳しくないので取りやめとなった。休みを取り下げようかとも思ったが、せっかくだから休んじゃえと特に予定のない休み爆誕とあいなった。

平日の休みをどう過ごそうかと腕まくりしてぶんぶん腕を振り回してはみたものの、鈍色の空の下へ歩み出す気分にもならず家で子の機嫌をうかがいながらゲーム(アーマードコア6)を堪能した。久しぶりにまとまった時間ゲームをやれたのでこれはこれでありな休日だったと思える。

ただゲームをやっただけで休日を終えてしまうのもだいぶ問題に感じ始めてきたので、やろうと思えばまだまだ余裕でやり続けられるというゲーム欲を抑え込み、子の食事の作り置きをしようと再び腕をぶん回し始めた。

献立はハンバーグだ。ハンバーグに野菜とひじきをいれてしまえば食べさせる側もなんかちゃんとしたことをしている感じがするし、子はハンバーグでなんだか嬉しいという好循環がそこに発生するのでは。

意外と家にある食材で事足りることを確認したものの、買い物が必要となり重い腰をあげ外に出かける。その際に近所の公園の桜でも冷やかしてみるかと足を伸ばしてみたところ、8分くらいの開花状況というこの日の行動指針を揺るがす事態に遭遇したが「今日は子のご飯作るために休んだんだ…!」と自分を説き伏せることで平静を保った。あとで他の木を見たらやはりそこまでの開花状況ではなく、この公園の木だけ異様に咲いていただけだったようだ。理由はわからないけれども。よかった。

それにしても、この時期桜の木があるお宅を羨ましく思うこともあるけれど、開花の時期以外の桜の木のデメリット(毛虫発生等)を考えると10日間やそこらの風情のために迂闊に庭に桜を植えちゃうのも考えものだよなと情緒のかけらもないことを思うなどもした。

桜事変を乗り越え買い物を続行。ハンバーグに使うお肉で迷う。鶏肉かそれ以外か。レシピを見る限りでは鶏肉が圧倒的に多かった。牛豚でも問題ないような気がしつつ、混ぜ込むものの相性を考えると鳥の方がおいしそうだしと鶏肉を購入。

家に帰り調理を開始。作りながら思う。

「これは…つくねなのでは」

イメージの問題であるとは思う。レシピでいうとハンバーグではあるのだけど、鶏肉を使っているというだけでつくねみがすごい。

薄く平べったくすることでハンバーグを作っていると心を強く武装する

そこは実際のところはどうでも良い話なのかもしれないが、子の晩御飯につくねを出したというのと鶏肉のハンバーグを出したというのでは圧倒的に後者の方がアットホーム感がある。つくねって。まかないか。いやつくねおいしいですけれども。

こうしてつく…いや、鶏肉のハンバーグが完成。

平べったいつくねと言われればまあそう

味見したらとってもヘルシー。ま、及第かなといったところ。この後ほどなく子に与えたところ、「おいしい?」と聞いたら僕の腕をぱしぱしと叩くというリアクションであった。「やるじゃねえか」という雰囲気を感じ取れなくもなかったのでポジティブに受け取っておこうと思いやす。

たしか鶏肉のハンバーグを作るのは人生で初で、それを経験することによって”鶏肉のハンバーグはつくね説”に出会うことができたわけなのだけど、逆説的にお肉を牛豚で作ったとしても、それはハンバーグではなく、豚肉や牛肉のつくねと考えることもできるなという真理に辿り着くことができた。

したがって、町に散在するハンバーグ屋さんはつくね屋さんであるということなるのでつくね業界の方々は大手を振って歩いて良いかと思います。

マーフィーの法則っぽいただの経験則

今年は雨が多い気がする。気がするだけで調べたりしているわけでもないのであくまでも体感なのだけれども。でもたぶん、覚えてないだけで毎年そんなことを言っているのだろうな。

あと、明日は休みをとっていて、桜の名所に花見にでも行こうかと思っていたのにどうも天気が良くないらしい。自分の予定と雨がかぶると「休みの日に限って…!」となるので余計に雨が多いような気分になるのかもしれない。いわゆるマーフィーの法則的なことなんだろうな。

ja.wikipedia.org

中学のころに本か何かが出てマーフィー法則という言葉自体が流行った記憶がある。そのときは前述のように、嫌なことが起こってほしくないときに限って起こってしまう、みたいなものというざっくりとした理解でいたでいたがつまるところ認知バイアスなのだろうなと思ったらウィキペディアにそう書いてあった。お、中学の頃より賢くなっている。

なんでそんなことを言い出したかというと、昨日の出社時、なかなか決まらなかったお昼ご飯をやっと決め、お店についたら休業日と知り愕然としたことによる。そのお店は遠いというほどではないけれど、しょっちゅう通うかというとそれほど近くはない距離感だった。お店に向かう途中で「これでやってなかったらウケるな」と脳内軽口大会が開催されていただけにやっていなかったときの気持ちたるや。

あの、わりづらいと思うんで恥をしのんで説明してしまうんですが、お昼ご飯のためにせっかく足を伸ばしたときに限ってそのお店がやってないっていうところがマーフィーの法則っぽさあるよねという話でございます。まあこれはただの嫌な予感とか言霊とかとも考えられるけれど。久しぶりに行きたいなと思って行ったお店がやってないことがよくあるのでただの経験則とも言える。

ちなみにお店はこの日が休みだっただけでなく、今月3日くらいしか営業しないという張り紙がしてあった。どういう営業スタイルだよ。

仕方がないので全然近くないのだけど、オフィスが引越しする前の近所にあった6割ラーメンに行った。6割ラーメンとは食べると気持ちが6割くらい満足するという極めて失礼な位置付けをされたラーメン屋である。

takian2000.hatenablog.com

そしたら、ですよ。

ぉん…?

チャーシューが!

ハート💖

上からみてもきっちりとハート

迂遠な愛の告白でも受けちゃったかなと店内を見回したが、客は僕ひとり、店員さんとは目があう余地すらなく、注いだ視線を店内設置のテレビへ向けるしかなかった。THE・空虚。

6割ラーメンは爆速で出てくるのでお昼ご飯空振りのロスも埋められ、きちんと時間内にオフィスに戻ることができた。

それにしても6割ラーメン(黒)、モラルに乏しい経営者の工場の近くの川みたいな色のスープだ。前おなじものを食べたときはもっときちんと分離していたんだけどな。でもこんな状態でもきちんと6割満足したのでその実力は確かだ。ホームランバッターであるよりもアベレージヒッターであれということを示しているんでしょうね(たぶん違う)

 

1人飲みに新たな船出

年度が変わって初日。ふだんであれば特にそう意識することもなく連綿と続く日々の1日でしかないが、今年は務める部署のボスがかわったということもあり、意識せざるを得ない年度の始まりとなった。

ボスが変わったといっても僕にはそう影響ないので特に気にしないという不敬さは持ち合わせているが、今日は月曜で在宅勤務の日である。その業務開始の連絡に新ボスもCcにいれないといけないという部分に悩んだ。

新ボスとはまったく面識がない。むしろどんなひとかも知らない。ルール上Ccに入れないといけないけど、知らないひとということを考えるとまったくなんの挨拶もないわけにはいかない。けれども、そこで本格的によろしくお願いしますみたいな挨拶するのもなんだか違うような気がする。ついでっぽさがすごい。同じ島のかんぺいちゃん(声が間寛平に似ている)に相談したら「え、別に挨拶とかいいんじゃないですか」との回答だった。強おじすぎるだろ、かんぺいちゃん。もっとサラリーマンらしくあれ。

けっきょく、「今日は在宅勤務ですまんけど、明日出社するから改めて挨拶するね」的なことを丁寧に伝えことなきを得た。か、どうかはわからない。こういうのってどういうふうに振る舞うのが正解なんだろうか。でもいちおう新ボスからの返事があって、当たり障りはないながらも戸惑いは感じる返信だった。ミスったかな。

年度の初めはそんなことでわりと通常運転気味だが、年度末は少し浮かれていた。なんだろうな、年始よりも年末のほうがそわそわする感じ、ないですか。僕はそういうタイプでこれまでの人生やってきております。

前年度最終日は金曜だったので本来であれば透析日だったのだけど、夜は飲み会なんかあるんじゃないかなとうっすら期待して透析日をずらして身体を空けることまでしていたくらいだ。前までよく飲みに行っていた定年派遣おじさんもふだんとは在宅と出社の日が全然噛み合わなくて数ヶ月会ってなかったけど、久々に出社がかぶるし、これはもう飲み会待ったなしである。

そう思い、勤務中に「きょうどっか飲み行くんすか?」と尋ねたら行くとも行かないともいうふわっとした返事。え〜、そうは言っても業務終わりにお誘いなんかあるのかななって思って定時で仕事を終えて定時ダッシュ待機をしていたところ、いつのまにやらおじさんは消えていた。

え、まじで。ちょっとショックだな…というか飲みに行く気満々だったんだけどどうしよう。最近飲みのお誘いもできてなかったから愛想尽かされちゃったのかな。などということを考えたが不発に終わってしまったものは仕方がない。リカバリーに走らなければとこれからでも誘えそうな飲み仲間に声をかけてみたりした。しかしこんな時に限ってつかまらない。そんなもんすぎる展開である。

家に帰ればいいだけの話ではあるのだけど、この日はあらかじめ飲みに行くことを宣言し、その許可を得ているわけなので、素直に家に帰りたくない自分がいる。シューティングゲームのボムは使い切って補充を受けたいという貧乏根性と同じだ。

こうしてうつろな気持ちのまま自宅近くの駅まで来てしまった。ここで持ち前のマイペースさが顔を出し始めた。誰かと飲みたいという気持ちでここまできたが、だんだん「飲めればいっか」に気持ちがシフトしていく。そうなると気が楽なもので、ふだん気になっていたけど行ったことないお店に1人で行ってみようのフェイズに移行である。1人で知らないお店に入るなんて久しぶりだ〜ともうご機嫌なので我ながらちょろい。

こうして入ったお店で一杯やりはじめた。

いも焼酎ロックとレア鯵フライ

1人で飲むのもよきものだなあとじわじわとテンションをあげることにお酒とおつまみは甚大に寄与してくれたのだが、駅前の一等地のお店だからなのか、他店で同じようなものをオーダーしたときよりも3割くらい値段に気高さを感じる。

よし、今日はもう1人で飲むと決めたし、ここで全弾打ち尽くすのではなく、戦場を変えてみるのもありだなとそこそこのところで店を後にした。

もうしらふじゃないし、一本路地に入ったお店くらい行けちゃうテンションである。そして時間もまだまだ早い。どうするかと考えた末に、家の近所にある誰がどう考えても常連しか行かない個人経営のこぢんまりとした居酒屋を思い出した。行くなら今しかない。

結果、行って大正解であった。それというのも、読み通り常連が集まるお店ではあったものの、お店の方も良い方、常連の方も気の良い方々で、極め付けは乳幼児を連れて行っても良い、というかわりと歓迎ムードであったことだ。お店にバンボが備え付けられているらしい。お店は夫婦で営まれており、お子さんが常駐しているようだったのでたぶんそのお子さんが使っていたものなんだろうな。いずれにせよ大助かりであるのには違いない。お子さんにとってお店が居間みたいになってるのってちょっと羨ましい。人見知りしない子に育ちそうだなあ。

常連さんとの会話もそこそこ弾み、お店の方とも雰囲気よくお話しできたので確実にまた近いうちに飲みに行くに違いない。最近行きつけのお店も閉店してしまったので1人飲み難民になっていたが、新たな港ができそうで嬉しい次第。

おじさんと飲めなかったのは残念だったけど結果オーライだったな。こういうところの縁って大事にしていきたいので素直にありがたがっていこうと思います。