普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

煽り耐性ゼロなのでその手の商品はすぐ買ってしまうおじさん

このところひとの心を掴むために手段として煽り気味の文言を使用する事が増えているのではないかと思う。だってこれだもの。

お?やんのか?

「最高にうまいラーメン」だけであれば大言壮語に感じ、おやおや、言っちゃってますなあくらいで手に取るまでに訴求力はないかもしれない。しかし「最高に面倒」とある。あえての「面倒」。しかも「最高に」。言っちゃうのかい。それをあえて言ってしまうのかい。

よしわかった。どれほど面倒なのか試してやろうじゃないかという気持ちになる。けっこう迷いなく購入に至った。煽られるとすぐのってしまうという煽り耐性ゼロぶりを発揮してしまった。時代に負けている。

何が面倒なのかというと、パッケージにもちょこっと書いてあるようにお湯を2度がけということなのである。お湯で麺を戻し、1度湯切りをしたあとにスープ用にお湯をもう1度注ぐということだ。カップ焼きそばの手順にスープ作りの手順が加わった格好で、まあ面倒と言えば面倒だけど、カップ焼きそば+お湯ワンモアって考えると個人的にはそんなに面倒でもないな。

商品の根幹を揺るがすような気持ちになりつつも作ってみないことにはその感想も実態を伴わない。ひとまず作ってみよう。ちなみに付属の小袋たちは以下。

ひとつ早まってあけてしまった。

小袋は多いほど期待感がある。あれこれ指定された順番通りに投入していくことでカップ麺と言えども少しだけ調理している感覚に。その手間が味に反映されるのではと心の中で期待値があがっていくのだ。

そして出来上がったのがこちら。

のりだけついてました。

めちゃくちゃシンプルな見た目だ。個人的にはラーメンを食べるときに具のことは気にしないのでこれでまったく問題ないのだけど。ただ、確か価格が400円くらいしたと思うので気になるひとは気になるのかもしれない。

言っときますけどね、この時点で相当にハードル上がってますから。そりゃ「最高にうまい」だからなあ。でも「最高に面倒」ってこともなかった。これで最高にうまければお得でしかない。さあ、これ以上は食べてからだ。ラーメンを口に運ぶ。

 

最高…かなあ…?

 

いや、おいしい。おいしいとは思う。カップラーメンの中では断トツで上位だ。ではあるのだけど、いかんせん前提が「最高にうまい」なので心に迷いが生まれてしまう。ハードルがあがりすぎて思い切りジャンプしたらそのハードルが実際はそんなに高くもなく、全然跳びすぎてしまって気まずさを感じながらの着地といったところか。

”家系”と売り出されていたのでそこにも期待していた部分はある。僕は家系ラーメンといえばくっせーのが好きで、ギリギリ感のある豚骨臭をただよわせるきつめのものが好みだ。なんならギリ食べ物くらいのくっせーの。それを考えるとこのラーメンはとても上品と言える。それはまあコンビニで売るような商品に限界豚骨みたいなものがあるわけがないのだけど。

ちょっと期待していたものとは違ったけど、カップ麺のお昼ご飯としては優雅で満足だった。サイゼリヤで豪遊したくらいの満足度はある。実はサイゼなのに「おれイタリアンで好き放題たべまくってやったよ〜」というくらいの感じで。自分で言っていて意味がよくわからないけど。要は満足はしたということである。

煽り気味な商品ではあるので食べたひとは色々な感想を持つ事だと思う。僕は煽り耐性ゼロなわりには引き下がるのも秒速なので本件については深追いしないことにする。

ただまあ…商品名「(カップラーメンの中では)最高に面倒で最高にうまいラーメン」くらいに表記してくれるともう少しハードルが下がっていいかなと思います。そして相対的に評価もあがる。

これからも果敢に煽られて高さ不明のハードルをばんばん跳んでいこう。

 

 

金木犀が香ってくるのににおいの出どころがわからない

10月になったということに若干引いてしまっている。体感ではついこの間GWが終わったような気分でいるというのに。いつの間にか月の数字が一桁増えていた。毎年のことながら月の桁が増えるというイベントにはひるんでしまう。今年の終わりを感じさせるものがあるのだ。下手したら12月よりも9月から10月になったときのほうがなんだかよくわからない焦りを感じているかもしれない。

しかしながら今年は例年とは大きく違う点がある。「今年、なにもしなかったな…」とはならない自信がある。それに関しては近日中にでもお伝えしやっす。考えてもみれば去年は免許取得したりがあったのでコロナで行動範囲が狭まったわりには健闘しているほうかもしれない。

若干の焦りを感じはしつつも焦っても仕方ないというか、焦ることにあまり向いていないので週末は天気の良さに後押しされ散歩に出かけた。

この時期どこにいても金木犀の香りがする。匂いで「あ、金木犀」とわかるのだけど、匂いの出どころがまったくわからない。それどころか金木犀がどんなものだったかも思い出せない。もしかして地球が秋っぽさを演出するために地面の隙間から金木犀フレーバーを噴出しているのではと疑ったが、妻に「金木犀はこれだよ」と言われ視線を向けた先におわした、金木犀が。

こんなんだっけ…?

「おー!これこれ!」と正しいリアクションをしたかったがいまいちピンとこない。こんな形だったっけ?もっと樹木っぽさがあったような。橙色の感じは既視感あるのだけどな。

寄ってみるとわりと違和感ないかも

こうして寄ってみると「あー、こんなんだわ」となる。

一応もっとしっくりきた金木犀も載せとこう。

このイメージなんですな

そう、このイメージなのだ。なのだけど、これ、先に載せたものと全然葉のつき方が違う。金木犀って種類があるんだろうか。それとも育て方次第で結構フレキシブルな成長をうながせるものなのだろうか。いずれにせよ変幻自在に街に溶け込んでいるのであればその姿を確認するよりも匂いを先に認識してしまうというのも納得できる話だ。

ひとまず今年の金木犀のくだりは充分味わった。来年までその姿、覚えておけるようにしよう。向こうから「お久しぶりですー」って言われて「あー、どうもどうもー」と言いながら(誰だっけな…)というような展開にならないように気を付ける。

金木犀の香りは秋の代名詞であり風情であるというように感じることができるようになってきたが、心の奥底ではいまだにこっそり「トイレのにおい…」と思ってしまっていたりもする。たぶん、一定の年齢以上のひとはその傾向hがあるのではないだろうか。今どきどぎつく金木犀の香りを漂わせる芳香剤ってあまりないと思うのでピンとこないひとにはまったくピンとこない話なのだろうけど。

ちなみに、金木犀について検索しようとすると「金木犀 植えてはいけない」とサジェストされる。穏やかではございませんなあと野次馬根性丸出しで内容をのぞいてみたら、思った以上に育ってしまって大変だという理由も挙げられていたが、花言葉が不気味ということも挙げられていた。

基本的に謙虚とか高貴とか褒め系の花言葉が並ぶなか、”隔世(かくりよ)”も花言葉のひとつなのだという。隔世と言ったらあの世だ。散々褒めておいていきなり「君、あの世っぽさあるよね」とかひどすぎる。泣いちゃうぞ、この子。

しかし無闇にあの世とか言い出しているわけではないようで、その強い匂いがあの世にまで届いて魔除けになるから、ということらしい。魔除けになるということはそれたぶんいい匂いではないのでは。ディスってんのか。トイレだったりあの世だったり散々ないわれようだけど、僕はいい匂いだと思いますのでどうか泣かないでこれに懲りず来年以降も香りを振り撒いて秋を感じさせておくれ。

金木犀でブログ書くってなんだかおじいちゃんぽさがあるなと思ったけど、花言葉を知れたりしたのでこれはこれで良かった。冬になったらサザンカとかで1本いってみよう。

対極の卓上調理を味わった日

今週末は透析を土曜にしてもらい、金曜に飲み会へと出掛けていた。6月で退職し地元へ戻っていた方が帰京されるとのことでその飲みに誘ってもらったのだ。

その方はシニア派遣で働いていた方で、よくつるんでいる定年派遣おじさんと仲良しでもある。聞けばこの9月に古希を迎えたそうであるが、ダンディズムに溢れた素敵な歳の取り方をしている。やっぱ人間年齢ってことではなく心意気で生きていくべきなのかもしれない。心がおじいちゃんになるから見た目にもそれが出てしまうのだろう。

そういったきちんとした方と飲むので安居酒屋で飲むというわけにもいかない。ダンディさんを送り出したときと同じ高級焼肉に行くこととした。焼肉が食べたい頃合いだったので渡りに船としか言いようがない。

が、なにぶん一緒に行ったメンツはわりと大人…というか…有体に言ってしまうとシニア側のメンツだったので、良いお肉の脂とて脂でしかなくカルビなどの獰猛な脂に対しては全員ひるんでいた。ってこれ前にも書いたな。

うまい脂であることはわかっても身体がすぐ悲鳴をあげる

脂に関してはうまいこと回避しつつ焼肉を楽しんだのだが、この日は9月末(上期末)、金曜日、世間でいう給料日後等の混雑しそうな要因が全て重なってしまったこともあり、入店したときから「2時間制でお願いしますね、このあとも予約が入ってしまっているので」と店員さんに釘を刺された。

まあそれは仕方なかろうと宴を楽しんでいたのだけど、開始から1時間20分後くらいに「フード、ドリンクともにラストオーダーとなります」と言われたときの定年派遣おじさん、めちゃくちゃ不機嫌になってしまったのだ。気持ちはわかるのだけど。たぶんいうこと聞いてくれないお客さんがいて、あとの予約のお客さんに迷惑がかかってしまうのを防ぐために早めのラストオーダーなのだろうけど、それにしても早いだろうと思う。

僕らは比較的いうことを聞いてきちんと動こうとしていただけに、おじさんは余計にその対策が気に入らなかったと見え、終わり際ちょっとくってかかってたもんな。そんな中でもダンディさんは落ち着いていた。タイプが違う二人のシニアさんたちの対比がおもしろい。

焼肉屋を退店後、さてどうしたものかと夜の街を彷徨うも、前述の通りコロナなどどこへやらと街は熱気に溢れており、なかなか空席のある店が見つからなかった。

ほとほと困り果てていたところにダンディさんからの提案が。

「おれの知り合いがやっている店があるけど聞いてみようか」

え、そんなんありなんすかと即座に乗っかることにした。焼肉屋を出てすぐということでもなく、困ったなあくらいのタイミングで提案してくれるのがなんとも絶妙である。さすがとしか言いようがない。

確認をとってもらったところ、席を融通してもらえるとのことで訪れたお店はほぼ料亭みたいなお店で普段の飲みの場としては絶対にチョイスするようなことがないお店でひるみまくってしまった。

考えようによっちゃ木曽路とかに見えなくもない

このお店はどうやらお豆腐をメインとしているお店とのことで、ガッツリ焼肉の前半戦からのお豆腐という見事な連携プレイを成し得たのであった。

とはいえ、お豆腐でさっぱりとはいえ、意外としっかりお腹にたまるのがお豆腐である。前半戦ではしゃぎすぎた中年以降の胃袋にはなかなかダイレクト豆腐はつらいものがある。そこで目を皿にしてメニューをくまなく見渡したところ、”引き上げ湯葉”なるものを発見。店員さんに聞いたところ、席で豆乳を炊いて湯葉をこさえてその場で食すものだという。エンタメ性があって楽しそうだけど優しいなんて最高じゃないか。これだ、今のお腹にはこれしかないと喜びいさんでオーダーした。

そうして用意された豆乳を卓上ヒーターの上にオン。

リセットの白

これを温めているうちに

こうなるので

こう!

こうして出来立ての湯葉を出汁ポン酢のようなものでいただくというのが”引き上げ湯葉”である。これはよかった。焼酎がいくらでも進む。この後帰宅という萎えイベントが待っていたので飲み過ぎには注意したが、家でこれをやったら寝る直前まで飲みながら湯葉を引き上げまくっていたことだろうと思う。なんなら掛け布団を湯葉で作り上げるくらいのことはするだろう。いうまでもなく優しくうまい。

この他にも重くなく優しくおいしいものを何品かいただき大人の宴として時は過ぎていった。焼肉もよかったけど最初からこちらでもよかったくらいだな。焼肉屋は少々騒がしかったのに比べ、こちらは個室で静かに飲めたので。

結論、同じ日にどちらもいけたのはよかったのだけど。思えばどちらも卓上調理しているのに出来上がりが対極であるというのもこの日の醍醐味だったかな。こういう日はなかなかないだろう。よき日を過ごせたということで下期の糧としていこうとかそれっぽいこといって本日はおひらきでございます。

学生のときにSpotifyに出会っていたら時間を無限に溶かしていただろう

今さらながらSpotifyの存在に驚愕している。知っているアーティストを検索してお手軽に音楽を楽しめるくらいの感覚で使っていたが、真の醍醐味はプレイリストなどでまったく知らない音楽にいくらでも出会えることであることに気づいた。これ、学生時代にあったらいくらでも時間を溶かしていたところだったと思う。

今聴いているプレイリストが"Sad Hardcore"というプレイリストなのだけど、その名の通り悲しげでエモエモした楽曲が500曲以上まとめられている。そんなに悲しみを放出されたら一生笑えなくなっちゃうんじゃないかってくらいにsadな曲のオンパレードだ。作ったひと本当にすごい。悲しい曲の知識量が尋常ではない。悲しみの深淵の存在に違いない。

この哀しみを喰らえ 俺と共に

中にはイタリア等の英語圏以外のバンドも含まれており、自分の興味と行動力だけでそれらのバンドに出会うことは絶対になかっただろうと思う。かっこいいかっていうとそのあたり微妙なんですけど。いやまあ好みですからな、こういうのは。イタリアのエモいハードコアのトレンドというものがたぶんあって、今の僕の趣味とは異なるというだけだろう。

個人的には良さしかないSpotifyだけれども、川本真琴Spotifyを心底憎んでいるのだそうだ。楽曲を発表している当事者の側だとまた気持ちや意見も変わってはくるだろうけど、僕が知らないバンドを知ることが出来たように川本真琴を知らないひとが偶然川本真琴を聞くことになることだってあるのだろうからそう考えれば悪くもないのではと思ってしまう。

ただ、再生に対する収益というのはだいぶ低いという話を聞いた。だいたい1再生につき0.3円だそうで、他の音楽系のサブスクの中でも低めの設定である。利用者数でいったら断トツではあると思うのでそちらに期待するしかない。

とはいえ、100万回再生されて30万円程度の収益であると考えると結構キツめである。一応僕も音楽活動をしていた身として、100万回再生の壁の高さは容易に想像することはできる。そんなに再生されて中堅サラリーマンの月収程度。しかも月収ということではなく累計だ。これでバンドだったら人数分目減りする。事務所の取り分だってあるし、手元に渡るのは雀の涙かもしれない。趣味ならともかく本業でこれでは川本真琴が愚痴っちゃう気持ちもわかる気がしてきた。

僕が知らないだけでもしかしたらもっと収益につながるシステムがあるのかもしれないのであくまでも今さらサブスクに感動しているおじさんの独り言程度に読み流してくだされば幸いです。

夢のない話になってしまうけど、楽曲そのもので儲ける時代ではなくなってしまったのかもしれない。要は商売の仕方が変わってきたということで、それに敏感に反応していかなければいけないのだろうな。僕はただでさえ金勘定が苦手なタイプなので今の時代音楽で稼ぐとか絶対に無理そうだ。

一方でザ・資本主義だなと感じたのがL'Arc〜en〜Ciel等の大物だ。アーティストトップに再生数ベスト5が出ており、そこだけで合計5000万再生以上。ため息でちゃうよね。

ちなみにデビューの頃の「Tierra」を聞こうと思ってたどり着いたのだけど、アルバム全体で1000万再生を超えていた。もう30年くらい前の音源でそれだけ再生されていて利益を出しているというのがえぐい。思わず川本真琴の再生数見に行ってしまったよ。リアルエモみ。

悲しいことばかり言ってしまうのもSad Hardcoreのプレイリストのせいかもしれない。ずっと悲しい曲聴きっぱなしだからな。もうせっかくなのでこの悲しみをあなたに。

ちなみにまだ全部聴いてないけどForecast、Counterparts、Mayfieldあたりが涙腺をぐいぐい刺激してきて非常にsadだった。たぶん前半あたりにいます。

いつまでたってもこういうの好きなんよな。もう一生こういう音楽好きなんだろうな。みなさまにおかれましてもプレイリストからお気に入りの悲しみを見つけていただけますよう祈念いたします。つってな。

2億センチと球と直線

マキシマムザホルモンの新曲のタイトルが「刃渡り2億センチ」らしい。たぶんこのブログを書いている時点では歌詞は解禁されていて、曲は発表されていないと思うのでどういう曲なのかは知らないのだけど、なにしろそのタイトルである。

刃渡り2億センチ。めちゃくちゃ長い。2億センチというと途方もない数字なのでもう少し生活に近づけた数字にすると2,000kmということになる。どの程度の長さとなるのか調べたら北海道の知床岬から種子島の宇宙センターくらいの長さとなるようだ。要は日本の北端から南端ほどの長さということである。そんな刃物存在したら一振りで日本を真っ二つにできる。

相当な業物であることは間違いないが、その長さを考えているうちに、そんな長いものを振り回したら宇宙からはどう見えるのだろうということが気になり始めた。日本を縦断するほどの長さのものを振りかぶったら「あ、なんかたこ焼きに爪楊枝刺してるみたくなった」となるのではないだろうか。日本列島を盾にしたくらいの長さだと少し長さが足りないかな。地球の直径は12,000kmくらいらしいので2,000kmだと6分の1か。やっぱり少し足りないな。

ではこの際たこ焼きに見えるか基準にあわせて刃渡り12,000km(12億センチ)とすれば振りかぶった際にたこ焼きに爪楊枝を刺した見えるということだろう。ではそれを振り下ろしたときはどうだろうか。振り下ろし切ったとき、球状のものに対して並行に棒状のものが添えられることになるので、イメージとしては孫の手のボールの部分にあの”孫の手”部分が貼り付けられたような状態になるのだろ思う。

このボールとの接合部ということです

そこでまた僕は思ったのだ。地面に対してずっと並行な道路を作り続けてもこうはならないよな、と。例えば日本からスペインあたりまで凹凸のない真っ直ぐな道路を造ったとしても前述のような状況にはならない。宇宙からみても地球に沿ってやんわりと湾曲しているようになるだけなのだ。真っ直ぐ並行にしているつもりなのに。地面に並行は直線であるはずなのに、実はそうではないということなのだなと。

真の”真っ直ぐな道路"を造ろうと思ったら地球からはみ出しちゃうよねということが言いたかっただけなんだけど、最終的に何言ってるんだかよくわからないことになってしまった。

もっとシンプルにいうと犬吠埼あたりからハワイに向かって如意棒(ドラゴンボールのやつ)を真っ直ぐに伸ばし続けたらハワイに着く前に地球から飛び出しちゃうんじゃないかなということだ。(この場合棒のしなりなどはないものとする)こっちの方がわかりにくいかもしれない。

誰も試すことはできないと思うので実際のところどうなるのかはわからないけれども、自分で言いながら主張の内容がフラットアーサーに帰結しそうな内容だなとは思う。僕は地球が平坦でも球状でもどちらでも良い派ではあるので刃渡り2億センチみたいな物騒なものがこの世に爆誕しないことだけ願っておこうかなと思います。

なりたくない、なれることもないと思っていた自分になっている

連休初日、見事に何もしなかった。そもそも起床が脅威的に遅かったうえに透析をしなければいけないというのが主な理由となるだろう。

なぜ起きるのが遅かったかといえば昨日定年派遣おじさん、先輩と飲みにいったことによる。酒量はそこまででもなかったと思うし、帰ってきてから追い飲みもしなかったのだけど、結構しっかり酔っていたようで寝覚めが最悪だった。こりゃやってられんと二度寝をしたところ二度寝のレベルをはるかに超越する眠りっぷりを発揮してしまった次第である。二度寝だけで3時間くらい寝てしまったんじゃないかな。我ながら自分に甘い。というかこれもう二度寝と言わないかもしれないな。睡眠時間が短くなっちゃうけど明日つらくなっちゃうから寝なきゃの睡眠時間だ。

こういうことがあると最近悩みの種であるお酒との付き合い方というのが嫌でも脳裏によぎる。いくら休みの日とはいえ、惰眠を貪ることに時間を消費することを容認するほど僕の人生の時間はそう多く残されていない。お酒を飲んだことにより寝起きが悪かったことは明確なので対策を考えなければ。かといって飲みの場というのは楽しいのでなんとかバランスをとっていきたいところだ。

今の気持ちとして、めっちゃ仲良しだったのに、そのひとの良くないところを見つけてしまってお付き合いの距離感が微妙になってしまったときの心境に似ている。こういうとき僕はだいたい関係をフェイドアウトさせるのだけど。

お酒さんともそんなことになってしまったら悲しい。思えばもう20年以上の付き合いになる。ぼこぼこにやられたこともあったし、逆にねじふせてやったとだってある。良いお付き合いができていると思っていたのにここにきて関係のこじれを起こすとは。ここはひとつ僕が強い心を持って関係を修復するしかないだろう。頑張りやっす。

ちなみに昨日の飲みの席では職場に新しく配属になったひとが著しく仕事ができないという話がハイライトだった。本当に仕事がまわっていないのに焦りを見せることがないらしく、おじさんはその回っていない仕事を手伝っているのにその焦らなさはなんだと憤っていた。手伝ってもらっているということを少しも問題に感じていないのだろうな。ある意味そのハートの強さが羨ましい。僕だったらその場から逃げ出したいくらい追い詰められてしまいそうだ。

おじさんがどれほど手伝ってもおじさんの給料はあがらず、そのひとの給料はその時点では下がらないわけなので、不公平感が出るのは当然の話である。話によると先輩のシマにまでそのお手伝い依頼は波及しているらしく、なんのために配属されたんだ、このひとと思ってしまうところまできている。見た目は「おはよう!スパンク」のスパンクを全体的にムーミンナイズしたようなビジュアルの還暦ちょい前くらいの女性である。まあ愛嬌があるというか、安心感があるというか、とにかくキャッチーではある。ハマるひとにはハマるビジュアルをしているので是非ともその部分で頑張ってほしい所存。

あまりにも業務遂行能力に問題があるのにあの余裕は何か裏に理由があるに違いないと邪推までしてしまった。もしかしたらどこぞの令嬢かもしれないとか、創業者の娘説ななど、とにかく僕らの介入できない謎のパワーバランスが発生しているのではないかとという話になったが、結局のところ人事の評価システムどうなっとんじゃいというなんともサラリーマンらしい直地点に落ち着いた。

飲み自体は楽しくはあったのだけど、話の内容が全体的にサラリーマンの悲哀みたいなものが多く、僕がその場にいるのって以前であれば考えられないことだ。人間変われば変わるものだと思う。それでも元々のダメな部分というのは心の奥底でひっそり生きているのでたまにそれが顔を出してしまって焦る。しっかり飼い慣らしていかなければ。サラリーマンになんてなりたくない、なれるわけもないと思っていたが、今の自分はきっちりサラリーマンだ。以前の自分からしてみたらきちんと働いているだけで充分えらい。褒めのハードルがほぼ床すれすれくらいの高さである。

これでまた数年後に今の僕からは考えられない会話、行動をしているのかもしれない。誰しもこういった以前の自分では考えられない出来事というのを体感しながら生きてるのだろうか。そういう話があれば是非聞いてみたいな。

サラリーマンの悲哀的な写真

 

毎年1回年齢デバフくらうようになってきました

またひとつ歳をとってしまった。年齢的に中途半端なのであまり感慨というものはないのだけど、「歳をとって”しまった”」と言っているあたり、あまりポジティブにとらえてないのかもしれないな。自分のことながら曖昧だ。

以前であれば確実に飲みに出かけていたところだが、今年はおとなしく家で過ごした。というか特に何かを催すということもなく、昨日から今日へ、今日から明日へと連綿と続く正真正銘の日常の一部としての1日となっていたと思う。

強いて何か普段と違うことがあったというなら普段よりも少し高価なお酒を買ったことくらいか。

少し高価といってもワンランク下のアードベッグ

あとは急にステーキが食べたくなってスーパーで牛肉を買ってきた。これも少しだけいつもより高価なものだけど、誕生日だぜー!いえー!というほどの値段ではなく、ただ単にウイスキーの酒アテとして牛肉が食べたかっただけである。

アードベッグは芳しいしステーキは焼きたてで満足はしたのだけど、一晩明けた今日、「昨日飲まなければよかったかな…」などと思うはめとなっている。

最近、【飲む楽しさ<次の日の辛さ】という図式を身をもって体感することが増えてきたのだ。前までだったら【飲む楽しさ>>>>>次の日の辛さ】だったし、20代くらいのときなら図式すら存在しなかった。強いていうなら【飲み=楽しい】が通常運転だったのだ。パリピか。

ただの飲み過ぎではという意見もあるかもしれないが、それがそこまで飲んでいない。純然たる弱体化なのである。図らずも老いを感じるという誕生日としての醍醐味を味わうこととなってしまった。

次の日の影響が出まくるようになってくると本当に悲しい気持ちで心が満たされてしまうので、お酒の量をきちんと減らすか、次の日が休みの日のとき、もしくは誘われたときしか飲まないくらいのことはしていくべきなのかもしれない。めちゃくちゃ消極対応でこれもちょっと老化っぽさがあって誕生日へ帰結していく。

もう来年から誕生日とか無視してしまおうかな。永遠の43歳とかいって残りの人生やっていこう。43歳が永遠って中途半端にも程があるけど。永遠を語るなら人生前半がおすすめ。

永遠の43歳でもフィジカルは確実に老化していくので、実年齢が70歳くらいのときに「43歳です!」とハツラツと答えたときにこのひと認知大丈夫かなと思われることは請け合いである。かなり好意的にとらえてもらっても「シンプルに老けてますね」あたりの返しになりそうだ。「達観した外見ですねー」とかもはや本人も何言っているのかわからないトリッキーな回答もあり得る。

他人を惑わせる人生はよくないな。やっぱり来年も粛々と歳をとっていこう。考えようによってはお酒ときちんと向き合う良い誕生日になったと言えるじゃないか。恐ろしいのは来年に新たに何か考えさせられる事象が発生してしまうのではということだけれども。会社の上司が「まだまだ信じたくないことがたくさん起こるよ」と遠い目をしていたのを思い出す。少し覚悟はしておこう。