普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

豚トロ乱獲のために首3本の豚とかいるかもしれない

相変わらず咳が止まらない。たぶんなのだけど、風邪としての症状はもう回復しているような気がする。咳だけが残留しているのだ。風邪本隊は撤収したというのに。

この状況、占領された街を解放しに解放軍が訪れて見事勝利を掴み取りその大半は引き上げて行ったというのにスジの悪い連中だけが居残って酒場とかでクダを巻いているあの状況ではないのか。でもこの喩えだと風邪が解放軍になってしまうので、街(身体)にやってきた占領軍(風邪)を見事追い払ったけど一部陥落してしまったというべきか。

めちゃくちゃどうでも良いことで喩えようとしている程度には元気です。

ただ、この段階まで咳が止まないとなると喉が炎症を起こして1ヶ月近くけほんけほんやるはめになるのではないかという懸念がある。以前にそういう経験があるのだ。もう風邪菌を外に出したい咳ではなく、喉がむずむずするからソフトに刺激するために咳払いしているみたいなところまであるからな。

ただ、はたから見れば大風邪っぴきなわけで、警戒対象であることには違いない。昨日もこんな状況の中出社をしてきたわけだけど、やっぱりほんのり職場のみなさんとの距離を感じたものな。当たり前だけれども。

しかも、昨日などは朝のうちは「お、けっこう調子よいのでは」と思えた体調(というか主に咳)が時間を追うごとにボルテージをあげていくのだからたまったものではない。仕事が終わって家に帰ったころにはそういう楽器なんじゃないかなというくらいに咳払いの音色を奏で続けていた。さすがに自分でもちょっと心配になってしまった。

とかいいつつお酒は飲んだんでしょ?と、僕を知るひとであれば2万%くらい思うだろうけれども、昨日なんとお酒を飲まなかった。しかも早めに就寝。熱もないのに。1等です。1等をとりました。念のため付け加えておくと体調悪いのに飲むなと妻から怒られたとかではないです。あくまでも自主的にというのが表彰対象である。

明けて本日、その甲斐があったのかというと微妙なところではあるが、睡眠時間を潤沢にとれたというのは人生においてプラスであるはずなので勝ち越しているに違いない。少なくとも在宅勤務においての機嫌は上々だった。あとは家だと咳をしていても周りが気にならないので楽だ。気持ちが楽なせいで昨日は少しよくなったと錯覚していたのかもしれない。心の余裕ってやはり大事だ。

この状況でお昼ご飯を買いに行くのは面倒に思うだろうなという昨日の僕からの贈り物を見事受け取りお昼ご飯は豚トロ炒めとした。

はじめて知ったのは牛角だったなあ

豚トロって希少部位(首まわりらしい)という話だけど、そのわりには安くておいしいみたいなポジションとして君臨しているような気がする。希少だからって必ずしも高級かっていうとそうでないのは確かだけれども、需要だってあるだろうになぜ安いんだろうか。ケンタッキーがおいしくて安いのは原料のチキンが4本脚だからだ、みたいな都市伝説があったように首が3本の豚が存在するという都市伝説があったりするかもしれない。

そもそもケンタッキーは脚ばかり売っているわけではないし、メインはむしろ脚以外なのでその都市伝説を流布した人物は本当のケンタッキーの良さを知らない。豚にしても豚トロのために首を増やすくらいなら愛嬌度外視でヒレがたっぷりとれる異形が開発されるだろう。

お昼ご飯にも満足して機嫌はよいのだけど、やっぱり咳は止んでほしい。咳が当たり前になってくると咳のなかったころの快適さやありがたさというのをすっかり忘れてしまうので、いまのうちに咳の苦行を味わい尽くして回復した際の喜びのためにありがたさのハードルを下げておこうと思う。

風情の源には彼奴等あり

秋の気候も板に着きかけてきているのではないかという9月末日である本日。外から蝉の鳴き声が聞こえてきた。完全に季節外れである。そう思うのは完全に人間側の都合かつ感想であって、蝉側からすればただ単に鳴いたのが今日だっただけで、そこに特に意図はないのだろうと思う。もしかしたらタイミングを逃しに逃しまくってせめて9月中にと半ばヤケクソで振り絞った鳴き声であった可能性も否定し切れるものではないが。

虫の鳴き声で季節を感じ、それを風情と感じる向きがある。夏であれば前述の通り蝉だし、夏の終わり頃にはひぐらし、そして秋も深まれば鈴虫。

確かにわからないでもない。「そういうもの」として日本人の心に刻み込まれているものではある。しかしどうだろう、家の外から聞こえてくれば”風情”であるその数々の音にフォーカスとしていくと、どの音の発生源にも存在するのは家の中で遭遇してしまったら即討伐対象となるビジュアルの彼奴等であるのだ。

でも世の中ってそういうものかもしれないなと思う。遠くから聞こえてくる綺麗事をその時点では称賛しながらも、いざ自分ごとになったら拒否感をおぼえる。ああ、人間の心はかくも汚れているものなのか…

と、闇堕ち寸前のエルフみたいなことを言ってしまっているが、要は虫が嫌いすぎるという話である。何かのタイミングで鈴虫で秋のお裾分け!みたいなことを言っているのを見かけて冗談じゃないと思ってしまったが故に秋の風情の源に思いを馳せ、相容れない存在へのお気持ちを改めて表明した次第。

思えば子どもの頃、祖父の家で秋になると鈴虫を飼育していた。今考えればそんな恐ろしいことはない。いつでも家の中に鈴虫が放たれる可能性が存在しているのだ。妻に聞いたら妻の実家でもそんなことがあったというので地方の昭和の文化のひとつだったのだろうか。今だったら何かしらのハラスメントにつながりそうですらある。

そもそも鈴虫とか、ビジュアルがギリギリすぎる。生ているうちから佃煮めいているし。生まれたときから煮物界隈だ。もうなんか自分でも何言ってるかわからなくなってきたけど、そのくらいなんかもう嫌ってことだけ伝われば幸いです。

これからの時期、気温とともに僕のテンションも低下の一途を辿るが、虫の脅威にさらされなくなるというのが唯一にして最大の救いである。

今、最も懸念しているのは子がいつか虫に興味を示してしまったときのことだ。世の中にはそういうものは存在しないのだよと本気で教えたい。でもそういうことをすると反動でえらいことになったりする可能性があるので虫嫌いということ自体子にふせてこの先の人生過ごしていくのが吉か。

子よ、虫とは無縁の人生であれ。

 

腹筋痛くなるくらい咳しちゃってる

先週誕生日プレゼントされた風邪であるが、実はまだくすぶっている。というよりも今がピークかもしれない。

先週金曜に発熱し、あっという間に熱は下がり、それなりに楽しい週末を過ごし、連休明けには元気に出社。火曜あたりは前回の記事にもあったように昼食戦線でMVPを獲得するなどしていた。要は少なくとも元気ではあったということである。それが水曜あたりから陰りを見せ始める。

なんかもう咳がすごいのだ。発熱はない。喉の痛みもそれほどでも。しかし咳だけは一大事と言わざるを得ないほどに荒ぶっており、どれほどすごかったかというと水曜の透析に行ったときにその様子から隔離ベッドを用意され、「もしかしてこいつ…」と、コロナの抗原検査を施されるほどであった。5日ぶり本年3回目の鼻ぐりぐり。何度やられても泣いちゃう。

結果は陰性。今度こそ無事に非コロナのお墨付きを得たといえるが、いかんせんこの咳。どうしたもんかと考えてはみるも、薬ももらったし、ということで持ち前の楽観的思想を遺憾なく発揮。次の日の出社予定について、「明日はお昼ご飯ラーメンかなー」などと思いながら眠りについた。

明けて次の日。目覚めてびっくり。少しも良くなっていない。なんなら少し咳の威力が増している。そしてちょっと腹筋が痛くなってきた。別に咳以外のところでいうと具合が悪いかっていうとそうでもない。熱もあるわけではないし。仕事は完全にできる状態である。

ただ、こんなに咳き込んでいる人間が出社して良いものだろうか。というかふつうに嫌がられそうだな。僕だったらちょっと距離取って欲しいなと思ってしまうだろう。

そんなことからこの日は急遽在宅勤務とすることとした。この感じ、コロナ前とコロナ以降で大きく変わった点だし、融通のきく世の中になったと思う。前までだったらこのくらいのことで有休使うのもの嫌だしってことでとりあえず出社はしていたんじゃないかな。そして職場でごっほごっほやって一部のひとからめちゃくちゃ煙たがられて、下手したらそのときちょうど身体が弱っていたひとにうつっちゃったりなんかして、僕が爆心地となって職場が荒れるところだった。

それを考えると風邪のリテラシーってここ数年で本当に変わったな。時代の変遷を身をもって体感している。僕がこどもの頃なんて「風邪はひとにうつせば治る」なんて言われていたけど、そんな呪いみたいなことあってたまるかという感じだ。

その話が本当なのだとしたら、ひとの身体を巡り巡って最終的に寄生先の宿主を見つけられない風邪菌がたどり着く掃き溜めみたいな場所が存在してしまうはずだ。そうじゃないと軽度の風邪でばんばんひとが亡くなってしまうし。でもその掃き溜めで風邪菌社会が形成されるならそれをこっそり眺めたい。

思えば、こういうふつうの風邪を引くのも久しぶりで、こういう咳のひどい風邪を引いたのってもう7、8年前とかになるんじゃないだろうか。それからはインフルとかコロナとかのスマッシュぶちかまされてからの撃滅カウンターで討ち滅ぼすというスタイルの風邪しか罹患した記憶がない。

ふつうの風邪を引くってのも世の中がコロナに縛られなくなってきたということなのかもしれないないなということで体調回復に努めようと思います。

食べたらどうにかなるんじゃないかなと思って食べたすた丼のやつ。どうにもならなかった。

 

グルメさんとのボーナスステージ(あんこう編)

夏の終わりが訪れた。建物から出たときのムワッとする感じが一切なくなり、なんなら肌寒さすらある。終わりの始まりという情緒に溢れた夏の終焉には出会うことなく、スイッチを切り替えるようにドライに夏は去っていった。

そうなってくると変わってくるのが出社時のお昼ご飯事情である。真夏の炎天下の中、歩いて5分以上の距離のお店に旅立つのは自殺行為であるが、このくらいの時期であれば徒歩10分程度の遠征ができる。

昨日など遠征にうってつけの気候であったところにこれまた都合よく職場のグルメさんからお声がけいただいた。なにやらあんこうを食べに行こうとの由。これまでの人生でお昼ご飯にあんこうを食べたことなどない。ふたつ返事でOKした。

相変わらずの軽歩なグルメさんに対して鈍歩がすぎる僕。ほぼ小走りでグルメさんに追従し、初めての昼あんこう会場に辿り着いた。

こんちは

お店はあんこう専門店で老舗も老舗。天保元年創業だという。もはや古い以外に何も伝わらないくらいに古い。天保元年を調べたら1830年らしい。今から200年くらい前だ。長いこと営業していること自体すごいとは思うのだけど、それよりもそんな頃からあんこう専門で商売をしていたというのが人生勝負しているなという感じがして魂が震える。真面目な話、輸送とかどうしていたのか気になる。海運でなんとかしていたんだろうか。

趣しかない玄関を経て、2階に案内された。

こいつはなかなか…

完全に平日のお昼ご飯の風景ではない。平日お昼ご飯にこの景色があるのだとしたら風邪を引いておばあちゃんちに預けられたときの昼食どきである。いや、そんな台無しかつエモい話ではなく良さに次ぐ良さが押し寄せるナイスシチュエーションである。

このシチュエーションを最大限に活かし切るにはこのお店おすすめの料理を食べるというのが最もクレバーな手段であろう。ランチメニューの一番上に燦然と輝くあんこう柳川御前とすることとした。新さんま御前とかもあったけど、ああいうのを頼むひとはハンバーグのさわやかでしらす雑炊を頼めるタイプのひとである。それかあんこうが苦手なひとが頼むとか。でもあんこうくらいにニッチな食材を食べにくるのにわざわざ苦手なひとを連れてくるなんてその人間関係は確実に拗れているものであるに違いない。

繰り返しになるが、平日の会社員がランチに訪れるようなお店ではなく、僕ら以外は「お出かけのお昼ご飯」といった雰囲気でランチを楽しむひとが大半を占めていた。そして、僕の後ろに座っていた初老の男性は部屋の隅の窓際の席に座り、あんこうのコースを楽しみながらお酒を楽しんでらっしゃった。あんな人生でありたい。

待ち侘びた御前が到着。

この日が涼しくてよかった。ぐっつぐつの柳川を喜んで頬張った。ちなみにご飯は一緒に運ばれてくるおひつから食べたい分をよそうスタイルで、これが本当によかった。不意のご飯大盛りによって悲しみにくれることもないし、食べたいひとが食べたいだけ食べるという良さしかないシステムだ。全飲食店が採用すべきとけっこう本気で思った。

あんこう自体そんなに主張のある風味ということもないので柳川に放り込まれたあんこうは柳川色に染まっており、米泥棒として僕らのランチタイムに君臨した。おいしゅうございました。

よきランチタイムを過ごせた日の午後は上機嫌である。機嫌だけ良くて何をして過ごしていたのかいまいち覚えてないけど次の日の自分が困ることない程度には仕事をこなした。

ほんと、グルメさんとのご飯はボーナスステージである。

お酒+ライブ=楽しい の極地

はてなブログ今週のお題「夏の思い出」を見て、真っ先に思い出したのが「ビール祭」である。語感が完全に安居酒屋チェーンのそれであるが、そうではない。

あれは確か2008年。当時活動していたバンドで「バンドで何か楽しいことがしたい」という思いに駆られ、「みんなでお酒を飲む」+「ライブ」=最高じゃないかっ!という何の捻りもない単純明快な図式によって導き出された、いわば自分のバンド主催のフェスなのであった。

通常、バンドが主催イベントを行うとなるとライブハウスを借り切って行う行うわけだが、当時の僕は良くも悪くも頭が悪かったので「ビールを飲むなら日中屋外!」という部分を譲れなかった。

そんな面倒なことを言っている輩の計画は頓挫するものだが、都合よく自分の住んでいる隣町に野外イベント用のステージがあることを知った。この当時はまだインターネットとかそこまで整備された時代じゃなかったから、たぶん他のバンドがきちんとした音楽イベントをそこでやっているのを見て、それならうちらもとなったんじゃないかと思う。なにぶんもう16年も前だとこのあたりの記憶かっすかすですな。

こりゃいけると管理事務所に電話をし、ステージを利用したい旨を告げたところ、「では企画書を提出してください」と言われた。

「キカクショ…?」

今となればそういうものが必要になってくるのは当たり前に理解するが、当時僕は野生のバンドマンだったのでそういうきちんとしたものにはとんと縁がなかったのだ。

そうは言ってもそれがないと貸し出されないというのであれば書くしかない。コピー用紙みたいなものに企画の趣旨とか見込み動員数とかそんなことを書いたんだったんじゃないかな。あまり覚えてないけど、チラシの裏にだってもっとマシなもん書くわというくらいに粗末な企画書だったと思う。それをよくまあ恥ずかしげもなく提出したよなと今なら思える。というか、管理事務所のおじさんもあれでよく貸し出したな。

経緯はともかく貸し出してくれたらあとは本番を楽しむのみである。当日を迎え、酒の準備に走った。ちなみにこの日の酒代は全部僕らのバンド持ちということでやっていた。もう何も考えずにべろんべろんになってもらってただただひたすら床のシミになろうの会でもあったのだ。20代の頃の酒リテラシーの低さがうかがえる。あとは時代もあったんでしょうけど。今そんなことやったらハラスメント一直線だろうし。

近所のディスカウントストアでひととおりの酒類を調達したその帰り道、空の元栓ぶっ壊れたんじゃないかなというほどの大雨が降り注いだ。どれほどだったかといえばあっという間に道路が冠水するほどだったので今考えても相当な雨量だったと思う。ただ、今で言うところのゲリラ豪雨というやつで、量はともかく時間にしたらそう長い時間ではなく、雨上がりを待ちなんとか体裁を整えて乾杯(開演)に漕ぎ着けた。

1バンド目が始まってほどなく、携帯電話に着信が。

「音がでかすぎます。音量を下げてください。」

管理事務所が許容する音量を秒で超えていたということである。事前にも何デシベル以上音が出ませんよね?みたいな確認はされていたが、そんなもんまあ適当に答えておきゃ大丈夫だろと高を括っていた。しかし実際は観客席最後方で騒音計を持ち粛々と音量を測定する管理事務所のおじさんがいたのだった。そしてこの日出演していた面々はわりかしゴリっとした音楽的指向の決して音量の小さくないバンドばかりだった。良いバンドが揃ってましたよ。

これも今考えればそりゃそうよねという話なのであるが、その当時の僕はそこまで考える頭を持ち合わせてなく、ただひたすらに謝り続けることでその場をしのいだ。いちおう出演者の皆さんにも音量を気持ち抑えめでお願いしたい旨を伝えはしたが、そこは皆さんロケンローの魂をお持ちでらして、「あん?そんじゃあいつも以上にやったらぁ」という火に油を注いだ形となった。

そんな状況だったものだから、ひっきりなしに電話は鳴り響き、その場しのぎの謝罪を続けると言う悪夢のような時間は続いた。だがしかし、状況が変わる瞬間が訪れる。

この日は僕がいちおうの責任者でありながら、同時に出演者でもあった。僕らのバンドの出番が回ってきたのである。これまでの状況はともかく、ステージそのものは楽しみたいし、みんなにも楽しんでもらいたいしでめちゃくちゃ楽しいライブであったのを今でも覚えている。自画自賛だけど、良いライブだったよ、ほんと。

しかし現実はそんなこと言っている場合でもなく、ライブ終わりに携帯電話を確認したらヤンデレ彼女だってもうちょっと遠慮するだろくらいに着信履歴が積み上げられていた。発信元は当然管理事務所のおじさんである。

さっきまではいちおう電話に出ては謝り倒すという何の解決にもならないながらも直接的な対応はしていたが、ライブ中となるとさすがにそうもいかない。鬼電の果てに留守番電話が残されており「これ以上この音量が続くようなら主電源ごと落としますからね!」という最後通告まで入っていた。あっぶな。

自分のライブ直後に即ごめんなさいの電話を入れ、ひとまず最悪の事態は逃れた。とはいえ、ライブはまだまだ続くわけで根本的には何も解決しないままその後もおじさんと僕のホットラインは強固なまま衰えることはなかった。

その後もライブ本編でエモい展開などありつつ、終演を迎えるライブ。最後に精算するためだったかなんだったかで管理事務所を訪れなければならないことになっていた(当たり前)。本番中あんなことになっていたし、おじさんにお灸を据えられるんだろうなあとしょぼくれながら管理事務所に行ってみたところ「はい、じゃあおつかれさんでした」と、明日もよろしくねくらいの感じのおつかれさんでしたで祭りは幕切れとなったのであった。おじさん、面倒が過ぎればとりあえず良いかというタイプのひとだったんだろうな。その節はご面倒&ご迷惑をおかけしてすまなんだ。

その後、昼に散々飲んだってのにじゃあ打ち上げいきますかーって言って夜の街に繰り出していったのも若さでしかないよなあと遠い目になってみたり。あの頃は打ち上げまでがライブみたいな気持ちでやってたからな。

 

生まれたばかりの子どもがどう接していいかわからないくらいに成長する程度には時が経っているけれども、僕の夏の思い出といえばこれかな。夏って思い出機能にブースターがかかる感じしませんかね。

こんな感じの雰囲気だったような気がする

 

ハッピーフィーバー おれ

何はなくとも今日は僕の誕生日なのだけど、なんと発熱している。

この1週間くらい子が発熱したりしていて、危ないかなあなんて思いつつも必要以上に対策もしていなかったらこのザマである。

そして昨日、なかなか熱が下がらない子を心配してくれた近所のかかりつけの町医者が大きめの病院を紹介してくれ、そこできちんと検査までして「風邪ですね」のお墨付きをいただいた直後のことだった。

子は有名どころのウイルスはすべて陰性だったのでたぶんうつっていたとしても重篤なものではないだろうことが予想されるが、なにせ誕生日である。

この年齢になれば誕生日で浮かれるなんてこともなくなってはくるのだけど、今日カクヤスで水を頼むついでにちょっと良いウイスキーを買っていたのにこの状態では飲むわけにもいかない。せめもの非日常の演出が潰えてしまったというのは遺憾にもほどがある。

そもそも、今日は午前中に用事があったので仕事を休んでいたのだけど、職場のうざおじ(うざいおじさん)がのっぴきならない状況で入院となったらしく、何も言われはしないけど救援信号が発せられているような気がしたし、何よりも週明けの僕自身のために少し雑事を片付けねばなるまいと午後から家で働いた。思えばそれがケチのつきはじめかもしれない。

それでも仕事はまずまずの成果で終え、いつもよりも遅い時間に透析クリニックに到着。透析をスタートした。ふだんであればこのタイミングでブログを書くのだけど、どうもノってこない。ただ単にネタがないとかそういうことでなく、単純になんか身体に違和感が…

最初のうちはまあそんなこともあるやなと気にせずごろごろしてしまおうと開き直っていたのだが、徐々に身体の火照りを感じるところからのちょっとしたゾワゾワ感を感じるようになってきた。

この頃はまだ軽微なものだった。とはいえ、発熱疑いの状態で透析を終えて、家に帰ってから発熱が発覚したらまったくの未処置のまま一晩を過ごさなければならない。多少の気まずさはあるけど、看護師さんに正直に症状を告げよう。

「気のせいならいいんですけど…熱があるかもしれません」

僕の発言を聞くや否や体温計が用意された。すぐさま脇にイン。緊張の瞬間を待ち侘びる。体温計測完了のアラームが鳴った。

36.7℃

へ?まじで?こんなもんか。いやはやびびらせやがって。「疲れてたのかもしれませんね〜」なんて言ってふたたび通常モードに移行した。

その後、おなかがいたくなったりしながら透析が終わるまでの時間を過ごしていたのだけど、やっぱりどう考えても身体の調子がおかしい。さっきまであったゾワゾワ感が明らかに寒気になっている。気を抜くとがたがた震えている。布団をかぶっているのに。

この状態、今年の初めにコロナに罹った時と似ていてめちゃくちゃ焦った。これはもう何もないわけがない。看護師さんが「透析終わりに念の為に計りましょうか」と置いていった体温計に手を伸ばし、ふたたび検温の儀を執り行った。しばしの後、鳴り響く審判の音。

38.2℃

やっぱり〜。やっぱりじゃんかよ〜。あんなにがたがたしていて熱も何もなかったらむしろ風邪なんかよりもっと大ごとになってるところだったよ。むしろ順当。安心したまである。

しかしここは病院である。これには看護師さんも少しの焦りの色を見せ、当直医を呼びに行った。

医師が駆けつけ、その手に持つのはロング綿棒。あれですか。あれをやるんですか。でももう観念するしかない。むしろこの状況で鼻ぐりぐりをやられない理由がない。こうして2024年、2回目の鼻ぐりぐりの刑に処された。

前述の通り、子の病院に付き添って基本的な抗原検査を行い、その他検査も行いそのほぼ全てに陰性判定が出ている。それはコロナも同様。これでもしもがあったらどこでうつったのかとんと検討がつかない。そして年始のような一家全滅は避けなければと結果待ちの時間、最悪の場合を想定した。

結果、今こうしてブログ公開しようとしているくらいなので陰性だったんですけどね。要はただの風邪でしょうねと。カロナール飲んで家に帰ってきたら熱もほぼ下がって今通常運転だし、寒気もゼロです。

やっぱり透析中に告白しておいてよかった。軽めのものとはいえ処置をしてもらえたし。でもやっぱり今日お酒を飲むわけにはいかないのでかなり久しぶりの休肝日となったのでした。もしかして身体がこれを求めてた?

まあこれも引きっちゃ引きよね

 

せっかくだから月見で一杯

仕事を終え帰宅し、近所のスーパーに買い物に出かけた際にやけに月が綺麗だなと感心するなどしていたら、どうも昨日は中秋の名月だったらしい。道理で。そうだと知らなくても心惹かれる美しさなのだから、知っていたらイベントとしてきちんと楽しみたいというのもまた道理だ。まあ実際お月見ってしたことないけど。

昭和の人間なので「お月見」というと縁側に座って側にはピラミッド型に積まれた団子、ススキを視界におさめながら月を鑑賞というイメージだ。

こういうことでね(フリー素材)

こどもの頃にこのイメージが刷り込まれており、だいぶ涼しくなってきて、雅さすら漂うイベントなのだと思っていたが、実際に昨日くらいの感じで状況を再現したら、湿気はまだまだ不快だし、団子の量に不安を覚えるし(食べきれない)、そもそもほぼ外みたいな縁側に長時間無防備でいることかなり抵抗を感じてしまいそうだ(虫出没的な意味で)。

そういうことなので短時間でおいしいところだけ味わおうと家のベランダに出てナイスお月様を撮影するなどしてみた。

なんだよ、これ

後で見返したら何を撮ったんだかわからないんじゃないかなというくらいには全然うまく撮れていない。心はこんなに感動しているのに、その感動に反したできの写真を量産しまくるという風情と最も対極の位置に辿り着いてしまった。こんなのすりガラス越しに懐中電灯当てられたときの写真だ。「しまった…!見つかる…!」のときの空き巣目線の写真。

 

そして一夜明けての今宵はハーベストムーンということらしい。9月の満月の日をそういうとの由。ハーベストといえばお菓子だし、そのバタートースト味がめちゃくちゃおいしいのでその栄誉を讃えて9月代表のポジションに抜擢されたのかなと思ってしまうところではあるがそうではない。

ハーベスト(harvest)は収穫を意味する単語なので、時期的にそうだよねということなのだそうだ。アメリカの先住民の中での呼び方だったらしく、1年通して他の月もそれぞれの呼び名があるとのことだ。

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スノームーン(2月)、フラワームーン(5月)など日本人にも感覚的にわかりやすいものもありつつ、スタージョンムーン(8月)、ビーバームーン(11月)等、日本人からすると「いきなりどうした」な月もある。もちろん現地では理にかなった名前であるようだけど。ちなみにスタージョンの意味はチョウザメだそうです。意味を知ってなおピンとこなさが異文化だなと感じる次第である。

当たり前のことだけど、月は世界中で観測できるものでありながら国によって見たものの感じ方、表現の仕方は違う。でも、どの国でも一定の神秘性をもってある種、憧憬の対象として扱われているのではないかと感じる。Cry for rhe moon(ないものねだり)なんて言葉もあるくらいだし。

今日も月を眺めて酒でも飲むか〜と思ったものの、関東は天気が良くなさそうなのでただお酒を飲もうかと思います。月に責任を押し付けたいだけの酒飲み論でした。