普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

2億センチと球と直線

マキシマムザホルモンの新曲のタイトルが「刃渡り2億センチ」らしい。たぶんこのブログを書いている時点では歌詞は解禁されていて、曲は発表されていないと思うのでどういう曲なのかは知らないのだけど、なにしろそのタイトルである。

刃渡り2億センチ。めちゃくちゃ長い。2億センチというと途方もない数字なのでもう少し生活に近づけた数字にすると2,000kmということになる。どの程度の長さとなるのか調べたら北海道の知床岬から種子島の宇宙センターくらいの長さとなるようだ。要は日本の北端から南端ほどの長さということである。そんな刃物存在したら一振りで日本を真っ二つにできる。

相当な業物であることは間違いないが、その長さを考えているうちに、そんな長いものを振り回したら宇宙からはどう見えるのだろうということが気になり始めた。日本を縦断するほどの長さのものを振りかぶったら「あ、なんかたこ焼きに爪楊枝刺してるみたくなった」となるのではないだろうか。日本列島を盾にしたくらいの長さだと少し長さが足りないかな。地球の直径は12,000kmくらいらしいので2,000kmだと6分の1か。やっぱり少し足りないな。

ではこの際たこ焼きに見えるか基準にあわせて刃渡り12,000km(12億センチ)とすれば振りかぶった際にたこ焼きに爪楊枝を刺した見えるということだろう。ではそれを振り下ろしたときはどうだろうか。振り下ろし切ったとき、球状のものに対して並行に棒状のものが添えられることになるので、イメージとしては孫の手のボールの部分にあの”孫の手”部分が貼り付けられたような状態になるのだろ思う。

このボールとの接合部ということです

そこでまた僕は思ったのだ。地面に対してずっと並行な道路を作り続けてもこうはならないよな、と。例えば日本からスペインあたりまで凹凸のない真っ直ぐな道路を造ったとしても前述のような状況にはならない。宇宙からみても地球に沿ってやんわりと湾曲しているようになるだけなのだ。真っ直ぐ並行にしているつもりなのに。地面に並行は直線であるはずなのに、実はそうではないということなのだなと。

真の”真っ直ぐな道路"を造ろうと思ったら地球からはみ出しちゃうよねということが言いたかっただけなんだけど、最終的に何言ってるんだかよくわからないことになってしまった。

もっとシンプルにいうと犬吠埼あたりからハワイに向かって如意棒(ドラゴンボールのやつ)を真っ直ぐに伸ばし続けたらハワイに着く前に地球から飛び出しちゃうんじゃないかなということだ。(この場合棒のしなりなどはないものとする)こっちの方がわかりにくいかもしれない。

誰も試すことはできないと思うので実際のところどうなるのかはわからないけれども、自分で言いながら主張の内容がフラットアーサーに帰結しそうな内容だなとは思う。僕は地球が平坦でも球状でもどちらでも良い派ではあるので刃渡り2億センチみたいな物騒なものがこの世に爆誕しないことだけ願っておこうかなと思います。

なりたくない、なれることもないと思っていた自分になっている

連休初日、見事に何もしなかった。そもそも起床が脅威的に遅かったうえに透析をしなければいけないというのが主な理由となるだろう。

なぜ起きるのが遅かったかといえば昨日定年派遣おじさん、先輩と飲みにいったことによる。酒量はそこまででもなかったと思うし、帰ってきてから追い飲みもしなかったのだけど、結構しっかり酔っていたようで寝覚めが最悪だった。こりゃやってられんと二度寝をしたところ二度寝のレベルをはるかに超越する眠りっぷりを発揮してしまった次第である。二度寝だけで3時間くらい寝てしまったんじゃないかな。我ながら自分に甘い。というかこれもう二度寝と言わないかもしれないな。睡眠時間が短くなっちゃうけど明日つらくなっちゃうから寝なきゃの睡眠時間だ。

こういうことがあると最近悩みの種であるお酒との付き合い方というのが嫌でも脳裏によぎる。いくら休みの日とはいえ、惰眠を貪ることに時間を消費することを容認するほど僕の人生の時間はそう多く残されていない。お酒を飲んだことにより寝起きが悪かったことは明確なので対策を考えなければ。かといって飲みの場というのは楽しいのでなんとかバランスをとっていきたいところだ。

今の気持ちとして、めっちゃ仲良しだったのに、そのひとの良くないところを見つけてしまってお付き合いの距離感が微妙になってしまったときの心境に似ている。こういうとき僕はだいたい関係をフェイドアウトさせるのだけど。

お酒さんともそんなことになってしまったら悲しい。思えばもう20年以上の付き合いになる。ぼこぼこにやられたこともあったし、逆にねじふせてやったとだってある。良いお付き合いができていると思っていたのにここにきて関係のこじれを起こすとは。ここはひとつ僕が強い心を持って関係を修復するしかないだろう。頑張りやっす。

ちなみに昨日の飲みの席では職場に新しく配属になったひとが著しく仕事ができないという話がハイライトだった。本当に仕事がまわっていないのに焦りを見せることがないらしく、おじさんはその回っていない仕事を手伝っているのにその焦らなさはなんだと憤っていた。手伝ってもらっているということを少しも問題に感じていないのだろうな。ある意味そのハートの強さが羨ましい。僕だったらその場から逃げ出したいくらい追い詰められてしまいそうだ。

おじさんがどれほど手伝ってもおじさんの給料はあがらず、そのひとの給料はその時点では下がらないわけなので、不公平感が出るのは当然の話である。話によると先輩のシマにまでそのお手伝い依頼は波及しているらしく、なんのために配属されたんだ、このひとと思ってしまうところまできている。見た目は「おはよう!スパンク」のスパンクを全体的にムーミンナイズしたようなビジュアルの還暦ちょい前くらいの女性である。まあ愛嬌があるというか、安心感があるというか、とにかくキャッチーではある。ハマるひとにはハマるビジュアルをしているので是非ともその部分で頑張ってほしい所存。

あまりにも業務遂行能力に問題があるのにあの余裕は何か裏に理由があるに違いないと邪推までしてしまった。もしかしたらどこぞの令嬢かもしれないとか、創業者の娘説ななど、とにかく僕らの介入できない謎のパワーバランスが発生しているのではないかとという話になったが、結局のところ人事の評価システムどうなっとんじゃいというなんともサラリーマンらしい直地点に落ち着いた。

飲み自体は楽しくはあったのだけど、話の内容が全体的にサラリーマンの悲哀みたいなものが多く、僕がその場にいるのって以前であれば考えられないことだ。人間変われば変わるものだと思う。それでも元々のダメな部分というのは心の奥底でひっそり生きているのでたまにそれが顔を出してしまって焦る。しっかり飼い慣らしていかなければ。サラリーマンになんてなりたくない、なれるわけもないと思っていたが、今の自分はきっちりサラリーマンだ。以前の自分からしてみたらきちんと働いているだけで充分えらい。褒めのハードルがほぼ床すれすれくらいの高さである。

これでまた数年後に今の僕からは考えられない会話、行動をしているのかもしれない。誰しもこういった以前の自分では考えられない出来事というのを体感しながら生きてるのだろうか。そういう話があれば是非聞いてみたいな。

サラリーマンの悲哀的な写真

 

毎年1回年齢デバフくらうようになってきました

またひとつ歳をとってしまった。年齢的に中途半端なのであまり感慨というものはないのだけど、「歳をとって”しまった”」と言っているあたり、あまりポジティブにとらえてないのかもしれないな。自分のことながら曖昧だ。

以前であれば確実に飲みに出かけていたところだが、今年はおとなしく家で過ごした。というか特に何かを催すということもなく、昨日から今日へ、今日から明日へと連綿と続く正真正銘の日常の一部としての1日となっていたと思う。

強いて何か普段と違うことがあったというなら普段よりも少し高価なお酒を買ったことくらいか。

少し高価といってもワンランク下のアードベッグ

あとは急にステーキが食べたくなってスーパーで牛肉を買ってきた。これも少しだけいつもより高価なものだけど、誕生日だぜー!いえー!というほどの値段ではなく、ただ単にウイスキーの酒アテとして牛肉が食べたかっただけである。

アードベッグは芳しいしステーキは焼きたてで満足はしたのだけど、一晩明けた今日、「昨日飲まなければよかったかな…」などと思うはめとなっている。

最近、【飲む楽しさ<次の日の辛さ】という図式を身をもって体感することが増えてきたのだ。前までだったら【飲む楽しさ>>>>>次の日の辛さ】だったし、20代くらいのときなら図式すら存在しなかった。強いていうなら【飲み=楽しい】が通常運転だったのだ。パリピか。

ただの飲み過ぎではという意見もあるかもしれないが、それがそこまで飲んでいない。純然たる弱体化なのである。図らずも老いを感じるという誕生日としての醍醐味を味わうこととなってしまった。

次の日の影響が出まくるようになってくると本当に悲しい気持ちで心が満たされてしまうので、お酒の量をきちんと減らすか、次の日が休みの日のとき、もしくは誘われたときしか飲まないくらいのことはしていくべきなのかもしれない。めちゃくちゃ消極対応でこれもちょっと老化っぽさがあって誕生日へ帰結していく。

もう来年から誕生日とか無視してしまおうかな。永遠の43歳とかいって残りの人生やっていこう。43歳が永遠って中途半端にも程があるけど。永遠を語るなら人生前半がおすすめ。

永遠の43歳でもフィジカルは確実に老化していくので、実年齢が70歳くらいのときに「43歳です!」とハツラツと答えたときにこのひと認知大丈夫かなと思われることは請け合いである。かなり好意的にとらえてもらっても「シンプルに老けてますね」あたりの返しになりそうだ。「達観した外見ですねー」とかもはや本人も何言っているのかわからないトリッキーな回答もあり得る。

他人を惑わせる人生はよくないな。やっぱり来年も粛々と歳をとっていこう。考えようによってはお酒ときちんと向き合う良い誕生日になったと言えるじゃないか。恐ろしいのは来年に新たに何か考えさせられる事象が発生してしまうのではということだけれども。会社の上司が「まだまだ信じたくないことがたくさん起こるよ」と遠い目をしていたのを思い出す。少し覚悟はしておこう。

 

うに豆腐という刺客

食に関してはわりと攻めの姿勢で向き合うように心がけている。世の中自分の知らない食べ物がやまほどあり、その味を知ることがないまま人生を終えてしまうのはあまりにもったいない。ちょこちょこ顔を出す僕の中の貧乏根性のひとつであると言えるだろう。

あまり良くない傾向なのかもしれないけれども、他人が知らないものを食べていて、絶賛しているようなものはすぐ食べたくなる。最近YouTubeさまぁ〜ずチャンネルをよく見ていて、そこで紹介されていた"うにのようなビヨンドとうふ"と呼ばれるものもまんまと食べたくなってしまった。

実をいうと近所のスーパーに売っているのは以前から知ってはいた。知ってはいたのだけど「ふ〜ん、うに豆腐ねえ…まあうにとはほど遠いんでしょうな」と素通りしてしまっていたのだ。食に関して攻めの姿勢とか言っておいて思い切りスルーしてしまっているのもどうかと思うところではあるが、さまぁ〜ずチャンネルで紹介され、高評価を得ているのを見て手のひらを返した格好である。率直に言ってさもしい。お恥ずかしい限りで。

ただ、購入したのは僕ではなく妻であった。あっという間に影響された僕の心を見抜いて買ってきてくれたのだろう。さすがである。ひと喜びして週末の楽しみとしてひとまず冷蔵庫で保管することとした。

そうしてやってきた週末。食卓にうに豆腐が舞い降りた。

豆腐界随一のシズル感

さまぁ〜ずの評価では「おー!うにだ!」という言葉も出ていた。期待が高まる。

いや、君は豆腐では

見た目としては結構うにに寄ってる部分もあるかなとは思うが、そこは期待値を上げすぎているからそう見えているだけで、結構豆腐だ。空気に飲まれているな。

なにはともあれいざ実食。

食べた感想を率直にいうと「うにではないなあ」というのが正直な感想であった。しかしそれはあまりマイナスな感情ではなく、こちらから歩み寄ればうにといえばうにかも、くらいにはうにだ。無遠慮にうにっぷりをアピールしてくるかと期待してしまっていたがさすがにそのようなことはなかった。ただし、食べ物としてレベルが高いものであるのは間違いない。きちんと美味しい。たぶんまた買うと思う。

世の中、豆腐丼という好み、評価がわかれる食べ物があるが、このうに豆腐であれば豆腐丼ウェルカムである。むしろ食べ方のお作法として推奨すらできる。なによりうにをこの量食べたら明らかにギルティであるが、このうに豆腐であれば無罪だ。尿酸値高めの方も安心。

このうに豆腐、そのまま食べても美味しいのだけど、調味料としても使えるらしい。いわゆるうにクリームのパスタ風みたいなこともできるというわけだ。いいやつじゃないか。

またひとつ知らない食べ物を味わうことができて本当によかった。ありがとうさまぁ〜ずチャンネル。ありがとう妻。

ただ、世の中には食に関して保守的なひとというのは結構いるもので、そういうタイプのひとはあまりこの手の商品は手に取らないと思う。そのことから考えると早くに終売してしまう可能性があるので早めに2回目をいっておこうかなと思う。

食べ物としておもしろくて美味しいという優等生なのでみなさまも是非食べてくだされ。

 

タイパ重視VS作品の情緒

タイムパフォーマンスという考え方があるらしい。略してタイパ。あるらしいというか昔から考えそのものがあったとは思うのだけど、最近になってわかりやすく取り沙汰されるようになったというほうが正しいような気がする。それはやはり動画の視聴が生活に組み込まれるようになったからなのだろう。

今日、ネットニュースで見たのだけど、大学の講義が動画で配信されていて、その動画を倍速で視聴している学生さんがいるのだと知った。90分の講義が長くてつらいらしい。それ自体は頭に入ってさえいれば効率的だなと思う。ただ、倍速の理由が「普通に長くて辛い」だったのはただ我慢ができていないだけなのではとも思ってしまった。そこは「時間がもったいないから内容さえ理解できればできるだけ短縮したい」くらい言ってくれるとかっこがつくような気がする。それこそ本当の意味のタイパなのではないだろうか。

講義に関してはそれでも内容さえ入ってくればという前提なのでそれでよいのかもしれないが、映像作品に関してはどうだろうか。映画なりドラマなりアニメなどというのは製作者が演出として意図的に作られた間というものが存在する。倍速視聴ではそれを汲み取るのはなかなか難しいように思う。そもそも倍速視聴するタイプのひとは間云々よりも会話の流れからストーリーを理解できればよいという考え方なのかもしれないけれども。

ここまでだと僕が倍速視聴に否定的な考えを持っていると思われるかもしれないが、別にそんなことはない。そういう視聴のタイプがあっても良いし、そういうのができる世の中になったんだなと便利さに感心すらする。

でも僕は倍速視聴はしないだろう。なぜなら会話をじっくり聞かないと頭の中で意味をきちんと理解できないのだ。会話をきちんと咀嚼できないとも言える。なんなら「え?今なんつった?」とか「え、なに、どういう意味?」と巻き戻しすらする。等倍速より視聴時間がかかっているということだ。カンの悪いおっさんである。

そこを考えると倍速とかで作品を視聴してきちんと内容を理解できているひとってものすごく頭の回転が速いひとだったりするのかな。それは素直に羨ましい。攻殻機動隊とか倍速で1回見て理解してしまったりするのだろうか。

作品を倍速視聴することに関してクリエイターが苦言を呈していたことがあり、それに対して視聴者が「見る側の勝手でしょ」と反応しているのを見たが、これに関してはクリエイター側の意見に肩入れしてしまうなと思った。見る側の勝手といえば確かにそうだし、それが購入されたものであればさらにその意見は補強されるのだけど、作った側が見たひとに何かを訴えたいときに考え抜いた間があるはずなのだ。それを感じ取ることができない環境で視聴されるのは複雑な気持ちだとは思う。秒速5センチメートルとか言の葉の庭とか倍速で見たら情緒も何もあったものではないような気がするんだよな。タイパと情緒は相性悪いのか。かなり前書いたけど、どこでもドアができたとして移動時間を飛躍的に短縮できても電車で移動という情緒は残るだろうなというのと同じようなことかもしれない。

しかし時代は変化し、その時代にマッチしたものが生まれるものである。もしかしたら倍速専用の台本、演出で作品が作られるかもしれない。それでどこまで情緒を表現できるかに挑戦するクリエイターが現れる可能性だってじゅうぶんにあり得る。僕が知らないだけでもしかしたらもうそういう作品を作り出しているクリエイターはいるかもしれない。情緒新時代の幕開けも近いか。

基本的に倍速視聴傾向については静観する所存だが、YouTubeを見ていると出てくるなんかよくわからん早口広告だけは受け入れることまかりならぬ。あれ、なんであんな感じなんでしょう。なんだかイライラしてしまうし、内容も下世話で胡散臭いものが多い。僕に広告の裁量権があったらお家断絶レベルで駆逐すると思う。

人生は有限なのでタイパ重視で行動するというのは現代らしい生き方なのかもしれない。そういう意味でいうと僕はあまり現代的な生き方ができていないというか、向いていないタイプなのかもしれない。あまり気にしてないけど。ゆっくり機嫌良くってのもまたよいものです。

ところでタイパって何度も言っている間ずっと思っていたのだけど、”タイパ”ってタイ焼きパーティーの略かなって一瞬でも考えませんでしたか。たこ焼きパーティーを”タコパ”と略すように。

思ってない?あーそうですか。

思ってないそうです。

こちらからは以上です。

ザ・情緒の写真

 

妻からの唐突バターナッツかぼちゃ(ポタージュ編)

ある日、妻が仕事から帰宅すると同時に僕に見慣れない物体を渡してきた。

ひょ…ひょうたんですか…?

ひょうたんのような形をしたこの物体、バターナッツかぼちゃだそうである。渡されて開口一番

「スープを作ってたもれ」

いや、嘘。たもれとか言ってない。雅なオーダーということはなく普通にスープを作ってほしいと頼まれた。でもまあまあいきなりではあるけれども。この間ご飯を食べに行った時に美味しいスープだなあと思ったものがバターナッツかぼちゃのポタージュと教えてもらったのでどこかで見つけて買ってきたようだ。

ポタージュは作ったことがないけどちょっと前に手に入れた舶来品、クイジナートのフードプロセッサーを使うチャンスだ。いっちょやってみっか。

まずはへたと底を切り落とし半分に切り種などを取り除く。

底を切りすぎてしまった

形以外は概ね通常のかぼちゃだ。普通のかぼちゃは一回レンチンしないと硬すぎて怖いので切れないけど、こいつはそこまで硬くなかった。素直に切断されて好感がもてる。

あとはよい塩梅の大きさにカットしてたまねぎと一緒に鍋にぶち込む。

たまねぎがちょっと少なかった

で、完成!

すごい黄色い

完成じゃないよ、舶来品どうしたって思いますよね。僕も読んでいる側だったら間違いなく思う。事前に「いえーい、クイジナート〜」みたいなこと言っといて出得てこないんかいと。もしかしてクイジナート買ったとか嘘ついたん?とまで思うかもしれない。

違う、違うんすよ。がっつり撮り忘れた。ハイライトだってのに。なんなら動画すら撮ろうと思っていたというのに。意外に必死になっちゃってその余裕がなかった。

忘れてしまったのは悔やまれるが見ての通り滑らかな仕上がりであるのでフードプロセッサー氏が大活躍したのはわかってもらえるだろう。ただアメリカ生まれだからなのか音量に遠慮がなかった。住宅事情が異なる国からやってきたフープロ氏にも日本の流儀を教えてやらねば。

なにはともあれ無事完成だ。味見をしてみたらきちんとポタージュになっていた。いやうまい。ポタージュになるために誕生した植物と言われても違和感がないくらいにポタージュぶりが板についている。本当は裏漉しとかそういうのまでするともっとおいしいのだろうけど、晩ご飯にというくらいであればそこまでしなくてもじゅうぶんだ。初のバターナッツかぼちゃ調理およびポタージュ作り、大成功と言っていいだろう。ほぼ仕事したのフープロだけど。

クイジナートのフードプロセッサー、あると大変に便利なのでアメリカから是非招聘されてみてはいかがでしょうか。いかがでしょうかって言われてもねえ。でもリンク貼っちゃう。

なんだか普通にクイジナート紹介したいだけの記事みたいになってしまったけど全然そういうことではないのでご承知いただきたいところ。どっちかというとバターナッツかぼちゃを推したい。推せるうまさだ。そうか、バターナッツかぼちゃこそリンク貼っとくべきか。

あとなんでかはわからないけどやたら高価なバターナッツかぼちゃのぬいぐるみも貼っとこう。

よし、これで一連のバターナッツかぼちゃについてはすべて出し切った。次回のポタージュ作りもどんと来いだ。

ちなみにポタージュではおかず力が低いのできちんとしたおかずを作ろうとはした。作ろうとした結果南米あたりで出てきそうな炒め物が出来上がった。

プエルトリコあたりで出てきそう

きちんとしているかはともかく、まあまあのおかず力を発揮晩ご飯は平和な白米消費タイムとなったのであった。

自分で買い物して料理するだけだとどうしても保守的になってしまうのでひとに買ってきてもらったもので調理するのもよいものだと思ったのでした。みなさまにおかれましてもよき南米っぽい炒め物ライフを🍳

カフェという言葉に対して斜にかまえてしまう

今日はそこそこ暑い日であったけど、最近は暑さもすっかり落ち着いてきた。夏も終わるのだなとセンチメンタルな気持ちにすらなっている。ちなみに去年の今の時期の自分の記事を確認したところ、9月に入った瞬間夏が終わったことを嘆いていた。それに比べると今年の夏はフェイドアウト気味に終わっているので情緒面では安定しているといえる。

暑さは落ち着いてきているのだけど、盛夏の頃より外に出ていないような気がする。今の方が圧倒的に散歩などに向いている気候になったというのにだ。自分なりに理由を考えてみたところ、夏を取りこぼしたくなくて多少躍起になって外に出ていたという線はありえるなと感じる。夏に対して貧乏性なのだ。

しかし考えてみてほしい。夏で「暑い」と感じる時期は1年のうちでほんのわずかだ。今年は多少前倒しで「暑い」が始まったが、通常7月〜9月中旬ころまでである。1年のうちのこの貴重な時期をなんとしても満喫したい。そういった思いから酷暑の中外に飛び出し水の妖精よろしくじゃぶじゃぶと汗をかいてごりごりに体力を削られ帰宅するのである。

夏が好きで歩み寄っていたつもりだが、こうして文章にしてみると辛さしか味わっていないように見えるかもしれないけれどもこういうのってのは心意気の問題なので深く考えてはいけない。

夏本番も終わり意地でも外に出てやろうという時期も過ぎ去ったが、週末は外出をしてみた。久々の喫茶店への訪問だ。喫茶店というよりはカフェなのだろうけど僕の気持ちの問題で「カフェ」という言葉にどうしても斜に構えてしまうところがあるのであえて喫茶店と呼ぶことにする。このこじらせ、たぶん一生なおらなそうだ。

さて訪れた喫茶店。とにかくご飯が食べたかった。なんだか面倒臭くてご飯を夕方近くまで食べていなかったのだ。いわゆるカフェメシ的なものをオーダーしてやろうという気満々で鼻息荒くライスプレートをオーダー。

ポークトマトソース煮込み

京都風に言えば"豚肉をトマトと一緒に炊いたん"である。家でもこの手のものは作ったりするけど、似たような料理でもひとが作ったものって味に意外性があるので頼んでみるものだなと思った。おいしかったです。

そして妻の頼んだものはこれ。

プルドポークサンド的なもの

プルドポークってなんだろうなと思ったが、コンビーフ的なもののようだ。おそらく自家製だろうけど、こういうの作れるのっていいなと思う。しっかりしているというかなんというか。だいぶ前に知人が自家製コンビーフを作っていて、めっぽう美味しかったので自分でも作りたいなと心の片隅でずっと思い続けているがまったく手がつけられていない。じっくりとか腰を据えてとかそういう行動が本当に苦手なのでかなり気合を入れないとこの手のものは取り掛かれなそうだ。そう、しっかりしていないのですな、僕は。あと、パンがよかった。「パンがよかった」という言い回し、知性を感じないが「パンがよかった」のでそうとしか言えない。あるじゃないですか、そういうとき。

食べ物はきちんと美味しくて満足だったのに加え、妻の頼んだレモンスカッシュの提供スタイルがかわいかった。

レモンシロップは自家製

こういったかわいさをスっと差し出すことができるのもいわゆるセンスなのだろうなと思う。僕には一生かかっても捻り出せそうにない。喫茶店に行くことで一生でなし得ないことに気づきすぎた。第3の目開くな、これは。

ちなみにお店の名前はモンドパーラーというお店だ。最寄駅が急行駅の一つ前という付近に住んでいるひと以外あんまりこないんじゃないかなというロケーションではあるけれど、長いこと営業しているようなので地元の方々から愛されているのだろう。そういうお店を営むって憧れる。

以前は立派に趣味といえるほどに喫茶店巡りをしていたけど最近めっきりだ。色々最近落ち着いているように思うし遠征しての喫茶店訪問なんてのも良いかもしれない。

皆さまにおかれましてもよき喫茶ライフを☕️

ちゃっかりワインは飲む