普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

透析中の地震、成す術がなさすぎる

折に触れてお伝えしているが、透析中に本ブログを書いている。今日も同様。ただ、最近透析が始まるとついつい眠くなってしまい、今日も眠りこけていた。

そしたらですよ。

緊急地震速報が鳴り響いたわけですよ。

もうマジでびびった。本当にやめてほしい。緊急地震速報ではなく、地震そのものが。お願いしてなんとかなるのなら頭の形が変わるくらい地面に擦り付けてだって土下座してもよいくらいである。

特に透析中に大きな地震がこられたら成す術がなさすぎる。実際のところどうすればよいのやら。透析の機械とかぶっ倒れるだろうし、下手したらベッドから振り落とされるかもしれない。真剣にどうするかを考えておくべきだなと今日の件で考えさせられた次第だ。

東日本大震災のときに東北勤務だった看護師さんの話では停電を逃れられればひとまずは大丈夫ということだったけど、透析患者って基本老人が多いので一次被害を逃れたとしてもその後のほうが精神的に疲弊しそうだなあ…

地震速報のあと、揺れが始まったときに家にいる家族のことを心配したのはもちろんだが、今日のお昼ご飯に食べた松屋のうまトマハンバーグの食べ残しのことも同じくらいのスピードで脳裏に浮かび上がってきたというろくでもない話も無事だからこそできる話。日常って本当に大事だし、それが一瞬で崩れ得るものなのだなと毎回思う。それを思うとうまトマハンバーグについては多少無理してでもお昼に全量食べておくべきだったということか。「残しておいて帰ったらうまトマで一杯やろ」じゃねえということですな。

「帰ったら〜」のくだりで、同じような話と言ってしまうのもなんだけど、漫画「バガボンド」で武蔵と吉岡一門が1対多数の合戦を行うシーンのことを思い出した。

合戦に参加している吉岡門下生のひとりが武蔵と対峙したときに「死ぬかもしれない」と悟るシーンがある。そのときにその門下生は合戦の朝、お餅を食べ残してきたことを思い出すのだ。「帰ったら食べよう」と思っていたことを。そこで自分が死戦を余儀なくされるという覚悟ができていなかったことを悔やむという描写である。

この場合の「帰ったら」を想定するなんて自分が圧倒的に相手より強いか、参加したふりして逃げ落ちるかの2択でしかない。当然そのどちらにもならず門下生は散っていった。

この話は選択的に死地に赴くわけで、地震のように突発的な落命の危機とは根本的に異なるわけだけれども、でも世の中って往々にしてそういうものなのかもしれないと思ってしまう。前述の通り連綿と続く日常を想定しているひとが大半でありながらもそうでない出来事というのは起こり得るのだ。

YouTuberの「緊急でまわしてます」よろしくうろたえながら書き始めた本記事だけれども、後日「自分ビビりすぎだろwww」って笑える程度には日常が続きますように。いやほんと、まじで。

日常の象徴、うまトマハンバーグ