普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

割りに合わない便意

割りに合わない便意というものがある。

緊急性は著しく高いというのにかろうじて間に合わせ、安堵とともに放出するもののほぼ空砲であったりするものだ。

ここで重要なのは"ほぼ"空砲ということであって、完全なる空砲ではないということである。完全なる空砲であれば仮にミッションを果たせなかったときであっても取り越し苦労で済む。

しかし、少しでも実弾が込められていると失敗は絶対に許されない。BB弾程だろうがマグナム級の銃弾であろうが着衣の中での誤発砲は死を意味する。社会的な意味で。

all or nothing、dead or aliveそんな状況であるのに便意というものは常にマックスで迫ってくる。いろいろなものをかなぐり捨ててでも四隅を壁で囲まれた安息の場所にたどり着かなければならない。たどり着くまで頭の中に去来するのは「尊厳」の二文字。失敗は許されない。そんな限界の状態を乗り越えてなんとかたどり着いた結果がほぼ空砲であればやるせない気持ちになるのも無理からぬ話であろう。

 

便意をもよおし、それが高まっていくあの緊張感、そしてマックスまで高まっているのに解決策を見出せない時のあの絶望感は他ではなかなか感じることのない絶望感だ。

やっとの思いで見つけたトイレの個室が使用中だったとき、これ以上ないであろうと思っていた絶望感をあざ笑い飲み込むほど大きな絶望感に打ちひしがれる。そして、目的地が近いという安心感からか便意も表面張力を起こしてるような状態になる。

かなり前にそんな状況を味わったことがあり、そのときはもう我慢の限界過ぎて洗面台を片手でつかみながら片足立ちしてた。全然解決策になってないんだけど、もう素の状態でいられないのだ。あれは本当に生きた心地がしなかった。

念のためあえて書きますが、間に合ってますので。ほんとほんと。

最近ふだんはとんとそういったエマージェンシーなシチュエーションには出くわしてはいないのだけど、透析中の便意というものはなかなかつらいものがある。透析中は当然管とか針とかそんなものが機械とつながっているので自由にトイレというわけにはいかない。しかも4時間。そんななかで便意をもよおすというのもまた危機的状況ではある。一応中断してしかるべき処置ののち、トイレに行くことはできるのだけど、スタッフの方々に手間をかけさせてしまうし、透析も中断となるので終了時間も遅くなるのでなるべく選択したくない手段なのだ。

なので透析中に便意をもよおした際はエマージェンシーモードに突入して、いつでも脱出ポッドのボタンを押せるようにスタンバイをする。

結局透析が終わるまで我慢して、闘いに勝利したのちに凱旋トイレとすることが多い。

そこで冒頭のほぼ空砲なわけですよ。死闘を繰り広げたのに、大人の尊厳をかけていたのに拍子抜けするほどほぼ「無」。なんだか腑に落ちない気持ちになるということだ。

 

さっき昔の話で間に合ったっていったけど、あくまでもそのときはな、ということを付け加えて本日はこのへんでおいとまします。