普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

10年同じお店に通い続けたことなんてなかったんじゃないかな

1月末で行きつけの飲み屋が閉店してしまった。ひとりで飲みに行けるようなお店はそのお店しかなかったので、完全にひとり飲み難民である。

とはいえ、子が生まれてからの1年以上、もっといえば生まれる少し前からなので1年半以上はそれ以前(たぶん週2くらい)のペースではあまり顔を出せていなかった事実がある。その立場の僕が軽率に「やめないで」とは言えなかった。

仮に熱烈にやめないで欲しいと言う気持ちをアピールした結果やめないでいてくれたとして、これまで以上のペースでお店にお金を落とせるのかと言ったらそれはおそらくできなかっただろう。そう言う意味で無責任な発言は控えた。そりゃやめないでは欲しかったけど。どれほど美辞麗句を連ねたところで生活かかっているひとにはなんの足しにもならないわけで、とにかくお金落としてくんなはれやでしかない。それができなかった結果なので受け入れるしかないと思っている。

ドライな立場を装っているが、閉店は心底惜しんでいたので、閉店日イブ、閉店日と2日連続で顔を出し、閉店日には久しぶりにかなり遅くまで飲み、周到に次の日休みをとるということまでしていた。さすがに最後の最後まではいられなかったけど。たぶんあの様子だと黄色い朝日を拝む時間帯まで狂宴が繰り広げられたんじゃないかな。

思えばお店がオープンしてからほぼ9年くらいの常連であった。最初の最初から常連。というのも店主が今回閉店する店をオープンする前の他のお店から通っていたからだ。そういうことなので店主とは10年以上の付き合いとなる。自分の人生に10年間通い続けたお店があったかと言われれば他にそんなお店はない。そう言う意味でも自分の人生の大事な一部だったと言える。

なにしろ、通い始めの頃はノリだけで生きていたバンドマンだった。金もない、品もない、あるのは勢いだけ。そんな人間が結婚し、子を持つことなっている。人生の歴史を共にしてきたお店と言えるんじゃないだろうか。

あとあれだ、透析ビフォーアフターもよく知る存在でもあった。透析導入直前、たぶん人生で一番具合の悪かった掘り立てのじゃがいもみたいな顔色だった時期も知っている。そんなときでも飲みに行ってた自分も自分なんだけど。

他にも憩室炎で入院し、2週間くらい断酒していた後にきっちり腸を汚しにいったのもこのお店だ。具合の悪さに全然こたえてないの、なんだかウケるな。この間のコロナも持ち前の不健全さでそこまでの辛さもなかったし。というか倦怠感が残るとか以前にいつだってだるいわけですが?的なところもあるので何が具合の悪さかわかっていないところはある。

本当に色んな場面をこのお店で過ごしたなと思い出を語り出したら語り尽くせない。

最終日、他の常連と話していたのが「たまたまお店に来て一緒に飲めるっていうのがなくなってしまうのが寂しいよね」ということ。約束したわけではなく、お店でたまたま一緒になって会話できるあの環境、今のところ僕は持ち合わせいない。

もっと言ってしまえばその環境だから会って会話するひとというのもいたわけで、お店なき今、約束してまで飲みに行くひとというのはどれほどいるかという話である。たぶん片手でおさまってしまうな、僕の場合。そういう人間関係のふわっとしたつながりの意味でも大変重要なハブとしての存在でもあった。

語れば語るほどに閉店を惜しむ気持ちは募ってしまうけど、店主の決意を尊重して、店主のこれからの人生を応援できたらよいかなと思っております。そして、またお店をやるようなことがあればゆるく常連でい続けられたらなと思っておりますのでその際はよろしくお願いします。とかここで言っちゃう。ひとまずはお疲れ様でした&ありがとうございました。

さー、難民としてどこに流れるか。これからの飲みライフによき航海が訪れますように。

たまにメニューに登場したコルドンブルー。一番待ち侘びていた客であったという自負はある。