たまにはお題にのっかってみようかと思いお題を確認したところ、今週のお題「下書き供養」ということだったので下書きのまま放置されていたものを眺めていたら以下のようなものがあった。
最近肝臓が心配になってきた。
お酒は好きだけど、からだは大事だ。ただでさえ透析してるのにそのうえ他のとこまで具合を悪くしてしまったら悲惨だ。
透析の病院の院長に肝臓のエコーとってきたら?と言われて素直に従う程度には気になっている。
前なら面倒だから嫌だなと思ったのだろうけど、今はわたりに船とばかりに思っている。
酒を飲んでいるときは最高に楽しいけれど、二日酔いというか酒が抜けてないのは辛いし、午前中は使い物にならない。
たまに酒を飲んでない日、その翌日は自分でも驚くほどに業務効率がよい。
以上までが下書きである。
まあ下書きだよなとしか言いようのない内容なのだけど、拾い上げてきたのには理由がある。
これは2019年の4月に下書きという箱に放り込んでおいたものだ。2年という月日が経過している。
にもかかわらず今も同じことを考えている。要は改善されてないということだ。なんならちょっと酒量増えてるかもしれない。
月日というものはなにも解決しないのだなと遠い目になりつつ今度こそ真剣にお酒と向き合ってみようと思う。ていうと、どちゃくそにアルコール依存症みたいに見えてしまうかもしれないけれどもまだそこまでは行っていない。たぶん。
エコーの結果も全然覚えてないので問題はなかったということなのだろう。真剣味には欠けているなと我ながら思う。
覚えていることといえば「なんかお医者さんのキャラが微妙」くらいだ。おもしろくないイッセイ尾形みたいな先生で絡みづらいなあと思いながら診察を受けていたとうっすら覚えている。
酒量自体は増えているかもしれないのに次の日使い物にならないほどの二日酔いはここのところあまりやらかしていない。
そこに関して真剣に考えてみると、理由はおそらく飲みに行く回数が減ったことによるものだと思われる。
コロナのこともあってそんなに頻繁に飲みに行かないので家で飲む。家で飲むとお店で飲むお酒よりも良いものを安く飲めるのでその時点で悪酔いを防ぐことができる。そのうえ最近家で飲むお酒は前より少しだけ良いものを飲んでいるので適量であればまず悪酔いしない。
以上の点から置物の方がまだ有用だろうというくらいに動くことができない二日酔いを防げている理由と考える。
考える、とか言って分析したふうなことになっているけど結局酒飲んでるだけだ。1日の酒量を決めるくらいのことしたほうがいいのかもしれない。
まあかてえこと言わずにあとは飲みながら考えようぜ!と、脳内の昭和モウレツおじさんが現れては消える。瞬くおじさんを脳内で飼い慣らしていたとは。これもお酒のせいかもしれない。おじさんの中におじさんがいるっておじさんのマトリョーシカだな。不毛かつ不憫だ。
こんだけ言っておいてなんだけれども、今日透析の帰りにお酒買ってこうとか思ってますからな。
また2年後にこの記事を見てぶつくさ言い始めるかもしれない。脳内のおじさんと乾杯しながら。
でもせっかく2年前の自分と今の自分を比べるタイミングができたので善処はしていこうと思っております。
知ってた?善処ってやったふりして何もしないってことなんだぜ!
と、脳内モウレツおじさんが申し上げておりますため本日はこれにて。