普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

元穴であった空間をコレクションする鬼、ということですか

「雷様におへそを取られちゃうよ」と、こどもの頃に言われた記憶があるひとはいると思う。僕も言われた記憶がある。おへそがなくなったら一大事!素直に怯え、おへそを服なり手なりで隠して雷が止むのを待ったりしたものだ。

そもそもなんでおへそ?の話は以下のサイトをどうぞ。

めちゃくちゃざっくりいうと雷が鳴るような気候下では冷たい風が吹きやすすくなるのでおなかを保護しましょうねの意味でおへそあたりをガードするようにうながしたのでは、という説が有名なようだ。

ほー、なるほど。幼児に理科的な説明をしても響かないだろうから考えられたものだなあと思ったところではたと思う。

おへそって”穴”だよな。”穴を取る”ってどういう状況?と。

少なくとも僕のおへそは窪んでいる。それを穴と呼ぶことにそう違和感はないだろう。それを取るとは。穴を取り除いておへそがあった部分が平地になったとして、雷様がゲットしたおへそは元穴であった空間であるということになる。それは穴と言えるのだろうか。そしてそれはおへそを取ったと言えるのだろうか。

雷様が上司に報告する際、「ほら、こ〜んなにおへそが!」と自分の成果を誇ったとしてもそこにあるのは元おへそとされる空間のみだ。そんなもの「ばっかもーん!!」である。おへその周りの肉ごと持ってくのとかは怖すぎるので今この場では議論しないものとします。空間を集めるってなんだか港区民あたりにうけそうな響きだし。

これっていわゆるドーナツの穴に対する哲学と同じ種類なのではと思ったところででべその存在を思い出した。特にお笑い芸人、東京03の角田氏のあのでべそを。知っているひとは知っていると思うけど、氏のおへそはでべそという言葉で片付けられないほどに主張が強い。身体の外側に出ちゃった嚢胞レベルであるとすら言える。

雷様があれを取っていくと考えたらどうだろうか。途端にコレクションみを感じる。きちんと物体としてハントしていくので上司の評価も得やすいだろう。でべそも個性なのでいろいろなでべそがあるだろうし。

穴と哲学といえばドーナツの穴が有名なようだ。ドーナツをドーナツたらしめているのはあの穴であるが、あれを有ととらえるか無ととらえるかということである。穴が”有る”わけだけれども、生地はそこに”無い”状態。そしてドーナツの穴を食べるという行為は結果として穴を広げるだけの行為となり、最終的には穴を消滅させることとなる。それは穴を食べたと言えるのか。

いや知らねえよって話ですよね。でも哲学ってそういうものらしいです。屁理屈っぽさあるなあと思うけど、思考のストレッチ的な要素があるような気がして僕はけっこう好きだったりする。

そもそもなんで雷様がおへそを取ろうとしているのかというバックグラウンドがわからないし、取ったものをどうするのかもとんと検討がつかないけど、コレクターってのは得てして世間一般には理解されないものなので「そういうひと」ってことで生あたたかい目で次の雷の日を待とうと思います⚡️、