普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

オタクになるっていうのだって立派な才能

前にも書いたことがあるかもしれないのだけど、ガチオタクに憧れている。ひとつのものにのめり込めるその姿勢と、好きなものに関しては余すことなく知識として脳にインプットしてやろうという気概は素直に尊敬に値する。

僕はオタクじゃないひとからすればオタク寄りの人間ではあるのだけど、ガチ勢からするとかなりライトな部類に分類されるのだと思う。好きで色々調べるしインプットもするのだけど、断片的な情報しか頭に入れることができず、情報量においてはいまひとつだ。

ガチ勢が専門店だとしたら僕はディスカウントショップくらいのポジションなのだ。色々あって便利だけど、一歩踏み込んだ商品となると品揃えがない。しかも微妙にニッチなディスカウントショップだったりするから汎用性も低い。たぶんダイクマくらい。


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このフレーズを聞いて懐っ!となったひとは同じ時代を神奈川県で生きたひとだと思う。ダイクマ好きでしたけどね。

話が逸れた。まあオタクだからといってそのインプットされた知識がきれいにアウトプットされているかというとまた別問題で、才能に直結しているかというとそんなこともないのだろう。ただ、インプットの才能は抜群にある。そしてリソースが潤沢であるのは間違いないのでやはりオタク気質くらいに知識を蓄えられる人間がのちの才能を開花させる可能性を秘めているということにはなるのかもしれない。

自分のことを振り返ってみると高校くらいのときが一番オタクらしさをもっていたように思う。友達も少なく、趣味はニッチ(メタルとギターとゲーム)。友達が少ないので当然趣味の時間に割く時間というのは同級生より多くなる。

独りで過ごす時間が多いと客観性が損なわれていくので考えがどんどん先鋭化していく。そうなると世間と違う趣味を持っている自分に酔うというか、特別であるように感じてくる。そしてちょっと排他的になってみたりもする。これはまあ…きれいにこじらせていたというのが正しい表現か。オタクとは違う種類のめんどくさい生き物だったな(遠い目)

そんな高校時代を過ごしたけど、上京して同好の士に多く出会い、きちんと「他人の目」を得てからはこじらせは多少ましになったように思う。ひとの目気にして物事にのめり込めないなんてオタクの風上にもおけない存在であり、オタクやめちまえってな話である。

それと、ネットの台頭によって中途半端なオタクは淘汰され、ガチ勢はより深淵に堕ちていったというのはあると思う。もちろん僕は中途半端勢。とはいえ自分の足でしか情報を稼げない時代はそれなりに積極的に行動をしていた。近所のゲーム屋にほぼ毎日みたく通ったり。品揃え、そんな変わらんよと今の僕が見ればたしなめるところではあるが、当時の僕はとにかく自分の目で見て隙あらば新しい発見をしたかったのだ。なかなか熱いソウルをもってるじゃねえか。

それもネットが普及してからはお店に行ってまで確認しなくても在庫なんぞいくらでも確認できてしまう。そりゃ実店舗も潰れる。ていうかこれはオタクがどうとかじゃなくただの時代の変化だな。

元々オタクになりきれていないながらもゲームには可処分時間をじゃぶじゃぶと使うタイプであったし、今でも隙あらばゲームをやる。僕らはファミっ子世代なので幼い頃にゲームに関しては生活の一部ときっちり調教されているので誰もがやっていて当然と思っているが、同年代の方々から見たらこれはどうなんだろう。

と、いいつつもさすがに最近は子との時間も必須であるので以前ほどゲームに割く時間はない。こうしてゲームをやらなくなっていくんだろうか。3月に始めたゲーム(サイバーパンク2077)がいまだに終わらない。実生活だって4ヶ月前のことなんて事細かに覚えているものでもないのでゲームのストーリーもちょっとあやふやになっているかもしれない。

それなのに我慢できなくてゼルダを買ってしまった。ティアキンってやつ。前作のブレスオブザワイルドがあらゆるゲームの中でも近年稀に見る傑作でプレイ中は魂を持っていかれ放題持って行かれたので世間のゼルダ熱が冷め切る前にその波に乗っておきたかったのだ。

しかも購入特典のスプーンなんかもらっちゃってたり。スプーンにNintendoって書いてあって嬉しい。

言い訳すると、ゼルダはSwitchなので透析のとき用、サイバーパンクはPSなので家でプレイと使い分けて同時進行していこうと思う次第です。

こうして書いてみるとオタクじゃないにしても変な熱量でゲームに向き合っているのは間違いないのかもしれない。こういうポジションの人間をなんていうんでしょうね?ファミっ子もとい、ファミおじ?🎮