普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

ティアキンで人生考えてしまったよ

最近は空き時間を見つけてはゼルダのティアキンをプレイしている。サイバーパンク2077が終わっていないのだけど、モニタの前に座って腰を据えてプレイするサイバーパンク(PS4)に比べてゼルダはswitchなのである程度時間と場所についてフレキシブルだ。

ティアキンには念力のような力で物を持ち上げて様々なものと接合することによって謎解きをする場面がよくあるのだけど、その自由度が高すぎて本当に自分の出した答えが正解なのかがわからなくなるときがある。

結果として場面を乗り切っているので決して間違いではないのだとは思う。でもなんだか僕のやり方って泥臭いというかダサいというか、まぐれ当たり感があるのだ。あれこれがちゃがちゃやっているうちに「おや?」という瞬間が訪れその場を乗り切っている。全然実力関係ないし脳を使っている感じがしない。端的にクレバーさに欠けると言わざるを得ない。きっともっと鮮やかなる正解というものがあるのだろうなと思ってしまう。

でも、それが楽しいのだ。というか一つの謎解きに対して複数の答えを出すということが可能であるというシステムがすごい。多くのゲームは一つの事象に対して一つの答えが用意されており、そこに辿り着かなければいけないが、ティアキンはその点の自由度が尋常ではない。

言ってしまえば結果さえ出せばよし、結果オーライでよいのだ。過程よりも結果。こういうの、僕はほんと好きで、怠けようが精勤に臨もうがやったもん勝ちでよいと思っている。頑張ったけど結果が出なかった、楽して成功してるなんてずるい!なんて敗者の戯言だ。楽して成功できるならそれに越したことはないし、それを見つけ出したひとが単純にえらい。当然運もあるんだろうけど。

そういった人生のような展開の謎解きがあるゼルダを作り出した開発スタッフはもうほぼ異常者なんじゃないかとすら思ってしまう。でもゼルダ作り出してくれているのでこのまま異常でい続けてもらってこれからも良きゼルダに出会わせて欲しい。人間ちゃんとしちゃうと面白みがなくなってしまうのってあると思う。

これからプレイするひともいるかもしれないのであまり細かく言わないけど、プレイし始めてしばらく経ってその世界の広さに打ち震えるというのも今作の醍醐味だろう。前回と同じ舞台なのに良い意味で裏切られて「おいおいおい、まじかよ〜」とにやけてしまった。

前に書いたことあるFF3の浮遊大陸がその世界のすべてだと思ってゲームを進めていたら浮遊大陸は世界のほんの一部でその何倍も世界は広いことを知ったときに失禁するほどときめいた状況と似ているかもしれない。こういう展開に弱いんだな、自分。

でもフラットアース勢が唱える南極の向こうには未知の世界が存在する説にはどうもときめけないんだよな。南極の向こうにはダイダラボッチとかいるらしいっすよ。どれほど大きいのかわからないけど大きさによっちゃ遠くからでもチラ見えしちゃいそうだけどな。牛久の大仏もかなり遠くから見えるし。

ゼルダに関して熱く語っておいてまだまだ全然進められてないのできっちりクリアできるように普段の生活をがんばります。ゲームの時間捻出したい。本音言えばゲームのために徹夜とかしちゃいたい。ショナイだけどな!🎮