普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

AI創作の是非について考えてみる

AIが描画したというイラストを見かける事も珍しくなくなってきた。とはいえ、AIが勝手にぼこぼこ自動的にイラストを絶え間なく生み出しているということはない。誰の意思も介さずイラストが生み出され続けていたらディストピアすぎて怖い。

この世はまだそちら方面ではディストピアではないのでそのイラストを生成させた人間がいる。いわゆるAI絵師と呼ばれる方々だ。そのAI絵師が生み出すものについて、それは「描かれている」のか、「出力されている」のかを議論している場面を目撃した。

僕個人の見解だと、まぐれ当たりなしで作者の心にあるものを1発(ではないにしてもかなりの少ない回数)で生み出しているのであれば、それはクリエイティブ。すなわち「描かれている」というということだと思う。

まぐれ当たり狙いで”ぽい”ものを量産しているうちに「なんかいい感じのできた!」となっているのだとしたらそれは「出力している」わけであり、なんなら絵師ですらないと思う。自然風景を連写で何枚も撮ってそのうちの1枚に「奇跡の1枚」が写り込んでいた、くらいのレベルなんじゃないだろうか。プロの写真家なら狙ってそれを撮る。

イラストのことはあまり知らないからどのラインで物事が考えられるかはわからないのだけど、これを音楽に置き換えたら僕にでもある程度線引きができるように思う。音楽も最近AIでいい感じの曲ができたということでひと揉めあったっぽいし。

「誰々っぽい感じの曲を」とAIに発注して作曲させることは可能だと思う。ただ、それだけでは模倣以下だ。クリエイティブさのかけらもない。意図的に誰かっぽさを意識して作曲することもあるが、その場合でも作曲者のエッセンスが滲み出ることで新たなものは生み出されていると思う。「好きなんだな〜」という愛を感じるというか。

一方、「丸パクリやんけ!!」となるうえに「人気そうなんでとりあえず真似しちゃいました」的な楽曲に出会うこともある。曲の出来は悪くないのは確かなのだけど、「それ、知ってる」ていうかあのアルバムに収録されてなかった?くらいの鮮やかな模倣っぷりをかましてくるひとも中にはいるのだ。もしかしたら特定のアーティストが好きすぎてもうそのひとになっちゃいたいくらいに愛が強いのかもしれないけれども。しかしそこにクリエイティビティはない。まあそこまでやれるのって器用だし、それを人前でやれちゃうのってのはたまげた胆力ではある。

アマゾンでAIが作曲した曲が売られていた。すごい時代だ。聞いてないけど。

結局のところ、イラストにしても音楽にしても、その他創作物において、インプットとアウトプットのバランスを絶妙にブレンドできるひとが「才能のあるひと」になるのかなと思う。それを考えるとAIに関していうとインプットに関しては莫大な情報量の中から拾い上げてくる。とはいえ、結局アウトプット、いわゆる制作物の良し悪しを判断するのは現状まだ人間なわけで、行き着くところAI絵師というのは最初から「持ってる」ひとしかなり得ないということになるかもしれない。

センスの話とかし出してしまうとDTMer(PCなんかで音楽作るひと)で楽器できないけどPC上でなら秀逸な音楽を作れるひとなんかもいるのだろうし、その絵師バージョンで本人が描くと微妙なんだけど、頭の中に思い描いているものは唯一無二みたいなひともいると思うんだよな。

ただ、「描いてる」かっていうとアクションとして描いてはいないよなあとなってしまうので、絵師の脳内のイメージを「出力している」というところに落ち着いてしまうかもしれない。あくまでも僕個人の思うところでは、ですけどね。

そのうちその作品の良し悪しというか世間のウケについてまでAIが判断する日が来てしまうのかもしれない。自分の作品をAIに批評されるの、僕は結構抵抗感じてしまうなあ。昭和人間の脳はそのうち時代に追いつけなくて焼き切れるな。

 

つらつらと書いていて本当に余計になことを思い浮かんだのだけど、AIにYNGWIEとHELLOWEEN足した音楽作ってよ!って言ったらStratovariusができちゃうのかも。メタル界隈そんなの多そうだな。

こうなるとAI音楽ではなく自動演奏か。でもインプロでものすごい完成度のセッションとか繰り出してくる可能性はある。