普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

けいさんゲーム さんすう1年みたいなゲームの広告

ここのところずっと心に引っかかりを感じていることがある。YouTubeを視聴している合間に流れる広告のことだ。

ひと昔前の香港の映画スターみたいな見た目の男がなんらかの方法で上空から地上に引き摺り下ろされ、塔なりダンジョンなりのシチュエーションで数字の低い順に敵を倒していくというゲームの広告が流れるのを見かけたことがある方もいるのではないだろうか。

広告を見るたびに思うのだ。

「え?なんなんこれ?」

と。

主人公にも数字が割り当てられており、その数字が敵より大きければ敵にアタックし、r敵を倒してその数字が加算されるシステムのようだ。主人公の数字が2、敵の数字が1の場合アタックでき、その結果敵を倒し数字を吸収し主人公の数字は3になる、みたいな感じで。

数字の概念を理解している者であれば失敗しようがない内容でしかない。1より5の方が大きい。5より15の方が大きい。手持ちのお金が1,000円しかないのに5,000円の買い物はできない。できるとしたら面倒な上客か反社がそこに存在するのみだ。僕の生きているこの世の中ではそのようにルールが決まっている。

でもその広告の中のデモプレイでは主人公の数字が10のときに15の敵にアタックするのだ。「どこにチャンスあった?」「そういう世界線あり得るの?」「コペルニクス的転回?」などとその行動の意味を考えてしまうのである。ゲームの広告のふりしてもしかしたら哲学を投げかけられているのかもしれない。だとしたら迂遠にもほどがある。哲学の話がしたくて仕方ないソクラテスだってもう少し直球投げてくるわ。

最近YouTubeをよく見ているのでこの広告も必然的によく見ることになるため、見るたび妻に「これ、ゲームとして成り立ってる?」と問うている。そして妻の答えは「気持ち悪いよね」等と往々にしてネガティブである。というかあの広告を見て「よし、やったろ!」となるひとがいるのかがまず謎だ。あれだけよく流れるのだからそれなりの広告費をつぎ込んでいるのだろうから結果出さないとだろう。

僕はさすがにやってみようとは思わないものの、なんだかんだでこんなに気になってしまっているのだから広告としての成果はあるのかもしれない。やる気はないけど気にはなるのでネットで検索してみたところ、やはり「あれなんなん?」勢はいるとみえ、解説しているページに辿り着いた。

それによるとあの広告、嘘広告らしいのだ。ダウンロードしても小学校1年生の数字のお稽古ゲームは遊べないらしい。マスキングしてあのゲーム内容って本物どんなんなのかと思ったら本当に普通のいかにもスマホゲームといったオート操作のベルトアクションゲームなのだという。それもそれであまり面白そうとは思えないけど、あの広告の方が引きがあるとも到底思えない。強いて言うなら「これなんなん?」からの「いやいやいや、まさかこれがこのままゲームになってるわけないでしょう」という気持ちにさせてダウンロードさせるという騙し討ちであるのかもしれない。いずれにせよ空虚だ。

上記から広告のゲームは存在しないのかと思いきや、”逆に”というかなんなのか、「ないなら作っちゃえ」と広告のメーカーとは別のメーカーが勝手に広告のゲームを作ったらしい。したたかってのはこういうことを言うのかもしれない。そのゲーム内で嘘ゲームの広告が表示されまくっているらしいので入れ子形式の嘘が出来上がっているのがなかなか興味深い。

そういえば僕がこどもの頃、ファミコンで”けいさんゲーム”というそれこそ数字を覚えたての児童が数字に慣れるためのゲームがあった。クリアなどという概念はなく、ひたすら足し算、引き算をするという虚無の時間を積み重ねていたので、もし僕が今こどもであるのなら広告のゲームに時間を溶かしていたのかもしれない。

年の瀬に何考えているんだろうなと我ながら思う。でもこういうどうでもいいなあということを考えながらくだを巻くというのが若い頃から結構好きだったりするので来年もこんな調子でやっていこう。

それではみなさま良いお年をお迎えくださいな。

塔っぽい写真