普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

道路に感動できるゲーム。それがDEATH STRANDING

子供の頃からゲームが好きで、今でも気に入ったゲームがあれば可処分時間をゲームにそそぎがちだ。大人になってまでこんなにゲームするとは思わなんだ。

そう思ってはみたものの、僕が子供の頃の大人の方々はゲームは子供のやるものというイメージであまり積極的にゲームを楽しむひとが多くなかった。ファミコンの発売はそのイメージを定着させるのに大きく影響していると思われる。

そして、ファミコン発売時期に子供だったのがまさに僕らの世代なわけである。いわゆるファミっ子だ。直撃世代と言ってもいいだろう。

そんなファミっ子が大人になったのだから、僕と同世代くらいのひとたちには、かつて子供時代に見ていた大人の方々よりもゲーム好きの大人が多く存在しても不思議はない。

そんなファミっ子おじさんが最近可処分時間を溶かしているのがDEATH STRANDINGというゲームである。

めちゃくちゃざっくりゲームの説明をするとなんやかんやあって地域ごとに分断されてしまったアメリカを舞台とし、荷物を運ぶのと一緒に気持ちまで運んでつないじゃおう的なゲームである。主人公は配達人というわけだ。

よくRPGなどで、ものを届けたりわらしべ長者みたいなことが頻繁に発生するゲームのことを揶揄して「お使いゲーム」という。しかしこのデスストランディングというゲームはお使いがメインだ。たぶん好みの別れるゲームだろうなと思う。僕は結構そういうの大丈夫なので楽しんでプレイしている。

このゲーム、世界観としては近未来のディストピア設定という感じなので、フィールドは荒涼としていて基本的に道路も通っていない。移動は道なき道を行く。

そんななか、かつてあった国道を復旧させることができるのだ。これには感動した。道路ちょう大事。文明万歳と心の底から思ったのであった。道路に感動できるところまで感動のハードルが下がるというのも貴重な体験だ。そういえばもう随分前に秩父の札所巡りの際に奥の院に行こうとしただかでうっかり山に入ってしまい、ちょっとした時間を山の中で過ごし、下山した時に踏みしめたアスファルトのありがたさといったらなかったな。道路大事。平坦な道至高と思ったものだ。過酷な状況はひとを感謝させやすくるのかもしれない。考えてみればブラック職場などはそれに近いものがあるような気がする。

ゲーム話に戻すと、ゲーム内では乗り物も手に入り、そのひとつトラックがある。手に入れたトラックに荷物を大量に積み、復旧した道路を走り目的地へ荷物を運んでいると、イベントをこなしているはずなのに「これは運送業というのでは…」という気持ちになる。ゲーム内でキッザニア体験ができる。一挙両得だ。

僕の今までの説明だとこのゲーム、ものを運ぶばっかりで全然おもしろくないのではと思われるかもしれない。たしかに荷物を配送するのがメインのゲームではあるのだけど、世界観とかその他設定がもろもろあるのでそこにハマれば結構やり込めるタイプのゲームだと思う。

デスストランディングを購入しようかどうかで検索してたらうっかりこの記事にたどり着いてしまった方、なんの参考にもならんですみません。

このゲームもそうなのだけど、ディストピア設定にはどこか惹かれるものがある。なにをもって惹きつけられているのか。もしかしたら中二感なのかもしれない。でも前にも同じようなこと書いたことあるかもしれないけれど、オリジナル作品なんて中二でなんぼだろう。自分でワクワクするような設定を考えられたもの勝ちだ。そして中二心をもって作品を楽しめるのであればそれにこしたことはない。それを「中二w」と嘲笑うような人種は人生の楽しみをスルーしててもったいないと思う。

なんだか話がずれたうえに偏ったものの言い方になってしまっているかもしれないので今日はこの辺にしとこうかな。

 

ちなみに、プレイしておきながらDEATH STRANDINGの意味を知らなかったなと思ってGoogle翻訳にDEATH STRANDINGと入力したら「デスストランディング」とカタカナで表示され、知ってるよ!!となった。Google翻訳ちょいちょいこういうことあるんだよな。

みなさまにおかれましてはGoogle翻訳以外で各自検索し意味を調べていただけますようお願い申し上げます。