今日で連休も最後。明日からは仕事だ。
本当に何もない連休中だったな。強いて言うならゲームをクリアしたことくらいか。
おかげさまでこの有り様だ。
引くほど歩いてない。
もっとも歩いたのは元日で、さすがにひとがいないのではと期待し初詣でも、とふらっと近所の神社にいったことでギリギリ歩数をかせいでいる。
結果的に結構ひとがいて、参拝のための列までできていたので遠まきに列を眺めるだけしてお参りはしなかったのだけれども。
蜜がどうとかより単純に行列に並ぶのがいやだっただけだ。賽銭箱からとんこつラーメンが出てくるとかだったら並んでしまっていたかもしれない。
ふだん東京で年始を過ごさないし、元日に初詣も行かないのだけど、今年の状態であれだけひとがいたということは例年はもっとすごい人手なんだろうか。通常は住宅街の「その他大勢」的なポジションの神社がフィーバーしまくるのは新鮮な光景だ。特に目立っているわけでもないのに骨折したときだけ脚光を浴びる小学生のようだ。
神社は2箇所行ってみたのだけど、2箇所とも同じような感じだったので、どこの街も同じような光景なのだろうなと初詣自体諦めた。そのうち思い出した頃に詣よう。
去年のゴールデンウィークといい、今回の年末年始といい、連休となるとコロナで外出を躊躇することとなっている。自分で決めていることではあるのでそれはまあ良いのだけど、世の中ギスギスしているのは良い兆候ではないだろう。
感染防止に気を使うことを通り越して怯えきって恐怖症レベルになっているひと、その逆でただの風邪としか思っていないだけならいざしらず、なぜだか感染しよう、させようとまでしているひと。そのどちらも何故だか怒っている。そして自分の意見が正義と考え、自分と考えの違うひとびとに自分の考えが正しいと語気を荒くする。
コロナ感染そのものより考えの違い、生活に対する意識の違いに端を発する対立状況が生まれてしまっていることのほうが問題ではないかと感じる。これで分断させて人類を衰退させるのがウイルスの本来の目的だったりしたらすごいぞコロちゃんである。SFでしかないけれども。
緊急事態宣言がどうとかでなく、ひとから言われて行動ではなくて、やれることを個人でやっていけばよいのになと思ってはみるも、世の中、コロナを気にしているのに国だの自治体が明確にダメと言わないからある程度までは自由に行動してOKと考えるひとが存在するのだろうな。そういうひとこそなんかよくわからんけど怒っているという傾向がありそうだ。
なにかのせいにして怒りたいというか自分の気持ちを整理したいという気持ちもわからなくもないが、この先楽しく機嫌良くやっていくにはどうしたら良いかをみんなで考えれば平和で良い。
話は少しずれるが、さっき緊急事態宣言に向けてトイレットペーパーの買い占めはやめよう!という記事を見かけた。「余計なこと言うな」の一言につきる記事である。言われなきゃ誰もトイペのことなんか気にしてなかったのでは。でもこれで思い出してトイペ買いだめ勢が発生したら買う方も買う方だ。ある意味ではすごいし、そういうひとが積極的に経済をまわすひとなのだろう。広告に対してナイスリアクション勢である。
ここから1ヶ月以上はこれまで以上に行動に制限がかかってくることが予想されるが、なによりも寒いことが僕にとっては大問題だ。寒いだけで生命活動に支障が出る。思えば緊急事態宣言どうこう関係なく、冬は外にほぼ出ていなかったかもしれない。
地球が寒い惑星になっていくのだとしたら、僕は確実に進化のふるいにかけられ脱落している側だ。でも、コロナによる分断からの次世代の選別であれば、まだワンチャンありますかね。