「帰りに乾電池を買ってきて!」
妻にそう言われて透析へ出かけた。透析時間は4時間。たぶんその間に電池のことなど忘却の彼方へ追いやられること必至。手ぶらで家に帰ってこってり怒られるところまで予見できる。怒られるならまだ良いが壁のシミを見るように残念な物を見る目つきでがっかりされるかもしれない。悲しすぎる。
これからの健やかなる関係のためにもそれは避けたい。そう思っての対策として、透析前に購入してしまうこととした。電池ならコンビニでも売っているし邪魔にもならない。さっそく電池を購入し、手に持った時にふと思う。
乾電池って名前、”乾”という字と”池”という字が入っていていってこいになってない?
乾いた電池、ということならもうこの際電”地”にしてしまったほうがきちんと名が体を表しているではないか。水をぶっかけられて乾いたひとのことを「元・濡れたひと」と表現するようなまわりくどさがある。いま乾いているひとなら「乾いたひと」「もしくは「濡れていないひと」が正しい表現だ。これで乾電池の名前が将来的に”乾電池液”などになるなら「将来的に濡れる元・濡れたひと」になるのかもしれない。
特に罪のない乾電池氏に散々突っかかってしまった格好であるが、そこは令和の現代である。乾電池氏もインターネッツ情報に基づく反論をしてくる。早口で。いや早口ではないけど。オタク扱いしてすまん。
インターネッツによると以下であるとのことらしい。
問 電池とはどんなものですか?
答 木製の容器に硫酸を入れて、その中に銅と亜鉛の板を1枚ずつ入れます。その上部を銅線でつなぐと、電気が生じて銅線の上を流れます。容器は、ガラス製のものを用いるとさらにベターです。
「電池」には、どうして「池」という漢字が使われているのですか?|漢字文化資料館
これは電池について説明された1886年の資料からの引用であるとのこと。なるほど、電気の池だと納得できる作りとなっている。そうか、じゃあ電池だよな、とはなるが、肝心の”乾”の部分についての説明については「電池って言葉で広まってしまったしまあそこは残しでいって”乾”でもつけてお茶を濁しますか」的な説明だった。歴史的文化財に無軌道な増築を施したような案だ。やってしまったもの勝ち、「そういうもの」と思わせたら勝ちだ。
ちなみに硫酸とか亜鉛とか銅線とか拷問につながりそうなワードが列挙されているが、装置はクリームソーダが入っていそうなグラスでカップル飲み、みたいなことになっている。上記のリンクに画像があったので見てみるのもよろしいかと思います。
あまり解決していないけど、乾電池はもともと本当に電+池だったと。そうなるともしかしたら”元・電池”でもよかったかもしれない。いやこれ本当にどうでもいい話だな。
ひとまず妻からのミッションは達成したのでひと安心、かと思いきや、さっきブログに電池写真でも載せようかなと思ってその辺においてしまったのでそれを回収し忘れてバッドエンドルートもあり得る。
くれぐれも寝ちゃったりしないように気をつけよう(眠りフラグ)