ビニール傘を出先で買うということになんとなく抵抗を感じてしまう。家に傘あるしな、という気持ちもあるが、それ以上に何かに屈した気持ちになるのだ。
しかし、昨日久々にそのシチュエーションに遭遇したところ、いつもとは違う感情が生まれた。
仕事帰り、急な雨に降られ傘を買うかどうか迷いながらも歩き始めていた。雨足は弱く、なんとか傘なしでも駅まではもつかなという程度であった。
しかし歩いているうちに雨足が強まり、気付けば雷まで鳴り出している。これはもう限界かと途中にあったコンビニで傘を購入した。
この時点ではやはり「くそ…雨に負けた…」というような気持ちでいた。
そして駅までの残りの道を購入したての傘をさし、とぼとぼと歩いていった。その時間は正味5分なかっただろう。
電車に乗り、最寄りの駅に到着。電車から降りると雨は止んでいた。
駅から家までの道中、傘は必要なくなったということか。ということは5分のために傘を買ったわけだ。傘は600円程。
脳内の経理担当が即座に貧乏くさい計算をし、分単位の単価を叩き出した。
1分120円か…
これをどうとらえるか、である。
1分120円を払わずにずぶ濡れになるのと120円/分で濡れるのを防げるということになったらどうだろうか。
あの雨の量を考えると5分も傘をささなかったらずぶ濡れ待ったなし、洗いたての犬みたいな状態になってしまっていただろう。そのうえそのあと電車に乗ることまで考えたらよい大人が洗われてひとまわり小さくなった犬のような状態で電車に乗ることになんのメリットもない。いや、おしっこもらしてもバレないくらいのメリットはあったかもしれない。でも僕はおしっこ一滴もでないしそのメリットも享受することができない。(透析患者は尿がでない)
それを考えると傘を購入したということは負けてなどいないのではと思えてきたのだ。むしろ圧勝、完封であろうとすら思える。
これは今までにない思考パターンだ。文化レベルがあがった音がした。シムシティとかなら使えるコマンドが増えるやつである。
全然払いますよ、そんなもの!と余裕こいてはみたものの、これが120円/分という単価が変わらずにどれほど払えるかというところを考えてみた。濡れた犬にならないためにどれほどお金を払えるのかということである。
本来は600円の傘を使う時間が増えれば増えるほどに分単位の単価は下がっていくのだけど、もう120円/分で濡れないサービスみたいなものとして考えていこう。
リアルな線でいうと10分ちょっとくらいかな…と、なんともふるわない数字となる。1500円超えてくるようならもう雨宿りのためにお店とか入っちゃったほうがいいんじゃないかなという気もしてきてしまうもので。
歩くのが面倒という理由だけでタクシーに乗って払えるのもたぶんこれくらいの値段なので、僕の中で1500円というのはある種のボーダーとなっているのかもしれない。金持ちにゃなれなそうだな。
完全に勝ったなと強気なマインドで自転車に乗り家路へ急いでいたが、途中赤信号につかまったところで逡巡を感じた。
「会社にそういえば置き傘してたな…」
はい、負けー。
負けたと思った瞬間の本日の主役、傘氏を記念撮影したものをご査収ください。
心なしかしょんぼりしてるように見えてくる。
これからは「家に傘あるしな」の一員となる。
これからの傘氏の活躍に期待だ。