普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

数年がかりのルンダンサーガ 完結

なんだか久しぶりに晴れた気がする。今日は在宅勤務だったので天気はあまり関係ないといえば関係なかったわけなのだけど、やっぱり晴れているだけで気分が違う。そしてお昼ご飯調達の意気込みも変わってくる。

なんだかお昼ご飯のことにばかり言及しているような気がする。いや、気がするわけではなく事実そうだ。何せ仕事の日のハイライトなもので。むかーしmixiで全然知らないひとの足跡がついていて、見に行ったらお弁当屋さんの店員さんで、その日販売のお弁当のことだけを日記で書き続けているひとがいてなんとも味わい深い気持ちになったものであるが、僕のいまのこの状況、まさにそのお弁当屋さんと一緒なのでは。見るひとの視線を遠くに投げさせるブログとしてぬるま湯をじゃぶじゃぶしてこうかと思います。

いやね、でもそのお弁当屋さんは本当にお弁当の紹介オンリーで、そのひとの感想とかおすすめポイントとかを紹介するわけではなく「今日はちくわの磯辺揚げ弁当が販売されます。380円です。」みたいな内容で1本仕上げてくるわけでして。ある意味で煮詰め切ったストイックさを感じる。それに比べるとこのブログは煮込みが足りないか。おでんをこの状態で売ったらがっかりされるレベルである。

そういいつつもけっきょくお昼ご飯のことしか書けないのだけど。せめて時事的なことを書いておこう。受け取るひとが受け取ればもしかしたら情報っぽくなるかもしれない何かを。そんなわけで松屋の期間限定メニューを食べた話。

ルンダンの文字の小ささ

写真そのままだけど、”マレーシア風牛煮込み ルンダン”である。実はルンダンは初めてではない。けっこう前にテレビ番組、相席食堂で「世界の料理ベスト50」の1位がルンダンだと紹介されていたのだ。このとき初めてルンダンという食べ物を知った。

それからもおりに触れてルンダンのことを気にかけていたが、専門店に行くまでの熱量もなく、ルンダンとの曖昧な距離を保つ日々を過ごしていた。そんなある日。場所はどこだったか忘れてしまったが、スーパーで運命的な出会いを果たした。

スープのくくりとなるわけか…

ルンダンスープに巡り合った。ルンダンを知らなければ名前からどういうものなのか皆目見当もつかない。それ対策なのか、材料のイラスト、はてはどういう雰囲気のスープかの説明書きまである。ここまで書いてあってもおいしいんだろうなと思いつつ買うひとはそう多くないレベルで謎のスープだ。僕みたいな珍しいものに飛びつくタイプは喜んで買ってしまうのだろうけど。ポジション的にずっと前に売られていた変味ペプシ(きゅうりとかあずき)とかと同じポジションの売り物のようにも感じる。こっちはきちんと世界で1位とってますけども。

正直、ルンダンスープについてはあまり味に覚えがない。「おいしいけど…こんなもんか…」というようなことを思った記憶はあるけど、「ま、でもインスタントのスープだしな」という幼少期のキスは初キスにカウントしないみたいな気持ちでルンダンから目を逸らした。

その後、ルンダンとは知らない仲ではないけど2人きりはきついかな、という距離感のまま時はながれた。そしてまたある日。実はカレー屋でおなじみの無印食品のレトルトカレーコーナーでレトルトのルンダンを発見したのだ。

お?君カレーだったん?

”世界のスープ ルンダン”として見かけるよりも、カレーコーナーの珍しいカレーくらいの立ち位置のほうが圧倒的に売れそうだ。そして無印にいく層はこういうの絶対に好きに違いない。例に漏れず僕もなので迷わず購入した。
このときのことはきちんと覚えている。ココナッツクリームとスパイスが効いていてとても好みの味だった。ラクサ(のカップヌードル)と味の方向性が似ているような気がする。ココナッツクリームはマレーシアとかシンガポールあたりの料理でよく登場するけど、台湾でいう八角みたいなものなんだろうか。

好みの味だったし、素直においしいと思ったものの、まだ「おいしいけど…インスタントだしな…」の気持ちは払拭できていなかった。そこにきて今般の松屋のルンダンである。松屋は以前にもジョージアの料理シュクメルリをリリースしたりと何かと多国籍づいている。しかも松屋お得意のカレー方面の食べ物ということで否が応でも期待は高まった。

煮込みとは言ってるけどカレーのビジュアル。まあカレーも煮込みか。

”あの辺の国のお料理”感がすごい。僕はとても好きだった。東京なら街にひとつはありそうな松屋というチェーンでこれを食べられるのってありがたい話だと素直に思えるおいしさだ。でもたぶん、だいぶ控えめにしてはいるのだろうけど、ココナッツ、スパイスの風味がそこらで売っているものに比べると強めなのでひとは選ぶかも。そしてお米よりもナン的なものの方が合いそう。松屋はお米をわしわし食べさせるお店なのでお米に合うようにはしているのだろうけれども。

きちんとおいしいものを食べたと思えたので、こうなってくるともうマレーシア料理屋とかにいかないとこれ以上のルンダンを食べられないと思う。でもたぶん行かない。ということで僕のルンダンサーガはここで幕引きとしよう。

 

モラトリアム人間の危機

モラトリアム人間という言葉がある。

モラトリアム‐にんげん【モラトリアム人間
年齢では大人の仲間入りをするべき時に達していながら、精神的にはまだ自己形成の途上にあり、大人社会に同化できずにいる人間。

要はいい年齢の大人がいつまで経っても社会的な責任を負わずふらふらしているというようなことであると思うが、僕はけっこうこれにあてはまってしまうのではないかと思っている。

もちろん働いてはいるし、家庭のために最善を尽くす所存ではあるが、たぶん一般的な同年代に比べるとどうにも色々足りていないような気がしてならない。不真面目ともまた少し違うかもしれないけれども、少なくとも立派に自分の立場を築き、それを全うしているという自信はない。

この際、宣言してしまおうかなとすら思っている。生涯モラトリアム宣言を。もう四十路だし、ここまできてモラトリアムから抜け出せていないならいっそモラトリアム界の重鎮となってしまおうじゃないか。ゲームのチュートリアルだけめちゃくちゃうまいひとみたいなことで生きていこうじゃないかとすら思うのだ。こういうとこなんでしょうね、抜け出せない原因てのは。足りないのは危機感なのかもしれない。

とはいえ、そんなことを思うほどに自分の人生を振り返り、これからのことを考えたりもする。そうすると「自分ってこんなだったっけ」と思ってしまったりするのだ。20代の頃はほぼ前世なんじゃないかというくらいに環境も言動も異なっていたなと遠い目になり、これでいいんだろうかと思い耽ることもしばしば。ん…?まてよ、こ…これは…!

”中年の危機”というやつなのでは…!

人生折り返しの頃に訪れるという大人の思春期というやつである。思春期が若さを象徴していることに対して中年の危機は思秋期というらしい。色合いが一気に茶色になる。とにかく彩度が低い。大人になりきれてないわりにはきっちり中年らしいイベントが訪れているのだな。最近20代のときのことを鮮明に思い出せなくなってきたりして、「…人生折り返しだな…」と感じてしまっていたし無理もないか。危機感がないながらも何かしらは感じていたらしい。ま、それで及第という考え方もある。だからそういうとこだぞってね。

モラトリアムかつ中年の危機って語感がそうとうまずいんじゃないかなと思うけどここはひとつ”ミッドエイジ・M・クライシス”とか、モラトリアムをミドルネーム風にして埋め込むことでクリスチャンっぽさを出して煙に巻いていこうかなと思う次第です。だからそういう(以下略)

やっぱり足りていないのは危機感。



 

なんで今までバジルクリームに遭遇していなかったのか謎

休み明けの出社であった。最近月曜は在宅勤務としているので休み明けに出社をしている状態というのはレアケースだ。でも以前までは出社して仕事しているのが当たり前というかそうしないと仕事ができなかったわけなので時代は変わったものだと思う。この部分だけは本当にコロナ禍の功績といえるだろう。

上記のように言うと仕事が嫌とか出社が嫌とかそういう雰囲気が出てしまっているかもしれないが、そこまででもなかったりする。仕事、嫌いではないし。外出は気分転換になってよい。何より、常日頃から吹聴しているようにお昼ご飯でQOLブラッシュアップのチャンスが訪れるというのは何にも変え難い喜びである。

この日もお昼ご飯を食べるついでに出社をし、食事のおまけで労働してきた。しかもお昼ご飯はしばらく行っていなかった以前よく通ったパスタ屋と大決定しているという八百長ギリギリの勝ち戦である。

訪れたお昼休み。パスタ屋へ向かう。ガチガチの鉄板で勝利をつかむつもりで訪れたわけだけれど、ここでひとつ勝利に彩りを加えたくなった。いつ食べても最高においしいウニクリームのパスタを食べる気満々で赴いたが、ここはひとつ今までに食べたことのない味のパスタにしようじゃないかと。

しかし口はクリームパスタの口…そこから大きく路線変更はしたくない。逡巡しながらも今日のおすすめメニューを相手がヤンキーなら喧嘩が始まるくらいに食い入るように確認したところ、「きのことえびのバジルクリーム」なるものを確認。これしかない…!勝利の彩への活路を見出した。今日の勝利の色は緑色だ!ジェノベーゼではなくバジルクリームってちょっと珍しい感じするし。

そんなに、というか全然緑ではなかった

勝たないわけがない。これがプロスポーツであればリーグ再編が囁かれ、戦争であれば慈善団体から抗議の嵐が巻き起こるほどに圧勝につぐ圧勝であった。勝負にならないほどうまい。意味わからんけど。

このお店はどのパスタを食べても全部おいしいので知らないテイストを頼むことに少しも不安はなかったが、想像以上の収穫だった。自分史に新たな「うまいもの」が追加された瞬間である。

そういったことなのでこのお店はいつ行っても混んでいる。勤め先は12時より前に昼休憩に入るので席を確保できるが、12時からの休憩だったら絶対に待つことになる。実際この日も外に列ができていた。にも関わらず僕の後ろのお客さんは過疎地の喫茶店の午前中くらいのテンションで食後のトークを楽しんでおりハートどうなってんだろうとパスタをすすりながら思った。

あっという間に食べ終わり名残惜しみながらもお会計。店員さんは気持ち良いちゃきちゃきしたお姉さんなのだけど、会計のときもそのスタイルは崩さない。てきぱきと早口でお会計対応してくれた。いちおう準常連みたいなポジションで、いっつもウニクリームばかり食べているので僕の顔を覚えてくれており、この日もお会計時に何か声をかけえてくれたものの、ちゃきちゃきと早口で話かけられたためきちんと聞き取れず愛想笑いとも言えないぬるい笑みで乗り切った。

飲食店で勤めたことがあるひとならわかると思うのだけど、鉄火場の飲食店は時間の流れが通常時と異なる。全ての事柄を1分、1秒早く行う必要があるので脳がクロックアップするのだ。端的に言うと店員さんと僕で流れる時間の速さが違っていたに違いないという話である。それくらいに店員さんの言っていることを聞き取れなかった。鈍重にもほどがある。

おいしいものを食べられればけっこう機嫌がよいので午後は午前以上に上機嫌で労働し、なんだかよくわからない会議などに参加しながらも少しの残業ののち帰宅した。

パスタブーム到来の予感🍝と、毎回このパスタ屋に行くたびに思うのにそうならない不思議。

春をにおわせておいてきっちり寒い

春分の日。祝日でありながら透析日である。ふだん透析は夕方から行なっているけど、休みの日に夕方から透析というのはスケジュール調整がめんどうなので午前からに変更してもらっていた。

春分の日にふさわしく暖かな日となりそうな予感を察知しマフラーなしで朝家を出る。透析クリニックに到着し、透析を開始。4時間ベッドの上だけれど、家にいたとて用事がなければダラダラと過ごしてしまいがちなので、場所が変わっただけでスマホをいじったりうとうとしたりで家にいるのと大差ない時間を過ごす。

そうこうしているうちに透析は終了。時間的にはちょっと遅いお昼ご飯の時間だ。クリニックは駅の近くにあるのでせっかくなのでお昼ご飯を調達していこう。休みの日に駅前ご飯を食べられることを考えると通常の休みより透析で駅前に来ていることに優位性すら感じられる。そう思えるタイプの人間でよかった。

妻との折衝の結果、台湾屋台風のお店で台湾風からあげ丼的なものをゲット。

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かなり思い切りよく八角の風味があり、日本に迎合しすぎてない味わいに舌鼓を打った。現地の台湾飯食べたことないけど。

こういうおいしいなと思うものを食べると家で作りたくなる。台湾系のものは大体のものが八角の風味というか五香粉の味なので強い心をもって五香粉を使うと異国情緒を漂わせることが可能である。

そういえば五香粉、家にあったなと調味料入れを探り発掘したところ、賞味期限が2023年の9月であった。汎用性の低い調味料の末路とはかくあるもので毎回申し訳ないなと思いつつ、台湾色に染まりきれない食生活を詫びた。五香粉に。

お昼ご飯のあと、散歩にでも行こうかと言う話になりつつ、その前にちょっとアーマードコアやっていいすかと始めたところ、まだ16時前なのにみるみる辺りが暗くなってきた。なにかの物語ならこれから確実に良くないことが起こる前触れくらいの天気の悪さである。

どこかで魔王の後継者が生まれるとか、ママがゲテモノ料理だしてくるとか、そういうことが起こる天気の悪さ。ちなみに、ママのゲテモノ料理というのはドラえもん のび太のパラレル最遊記の冒頭のシーンの描写で、今日くらい天気が荒れたのちのシーンだったのだけど、当時衝撃すぎていまだにあっという間に天気が悪くなるとどこかでママがゲテモノ料理を出してるんじゃないかと想像してしまう。でもゲテモノ料理っていうけど、今の自分の価値観ならちょっと刺激の強いジビエ料理くらいの位置付けで食べちゃうかもしれない。虫食でさえなければ。鹿の脳の刺身とか出してるお店あったし。

けっきょく雨が降って、挙句雷まで鳴り出したので散歩は断念。ついついまとまった時間傭兵時間を過ごしてしまった。

雨を境に同じ日と思えないくらいに荒れた天気に。風は強いし寒いしで、春分の日とかって春を匂わせておいて少しも春らしくない。でも雨前、雨後で春っぽさがあったりなかったりでそう言う意味では春分だったのかな。早く気候に対して無防備になりたい。

その後、ご飯を食べたりお酒を飲んだりしていたらそう早くない時間に飲み仲間から飲みのお誘いがあったものの、次の日が早いことを理由にきちんと断るという好プレイを見せる。少し前までなら迷わず参加して次の日に深い後悔の念に苛まれていたことだろうからほんの少し賢くなったじゃないか、おれよ。これが成長なのか衰えなのか判断し難いところではあるけれども、こういうのはなんでもポジティブにとらえちゃおうかと思いやす。

権力者が食べ物を食べさせてもらってるのもバブみか

昔話などの類で権力者が大きなうちわであおがれながら食べ物を食べさせてもらっているという描写がある。かつては「そういうもの」として特に疑問を抱くことなく素通りしてきたが、子を持った今、思うことがある。

あれ、赤ちゃんがやってもらうやつじゃない?と。

ものを食べさせてもらうことのみならず、権力者が生活のありとあらゆることを従者にまかせっきりで自分でこなすことがないというあれ、どういうことなのかと考えてみた。

生まれてそう経たない子というものは自分で何もできない。だからこそ身の回りの世話を焼く必要があるわけなのだけれど、物語の権力者は大人であることがほとんどだ。自分のことは自分でできる。でもやらない。なぜか。

バブみだ。

世話を焼きたくなってしまうその愛嬌こそが権力者を権力者たらしめるものなのではないだろうか。赤ちゃんといえば何もできないけどかわいくて仕方ない。大変なときだってあるけれど、面倒をみてなんぼ。なんなら面倒をみさせていただいている、それくらいの気持ちで接して然るべきなのである。権力者に対しても同じことが言えるのではないだろうか。

でもたぶん、権力者だって赤ちゃんの頃からずっと継続的にすべての面倒を見てもらっていたわけではないと思う。乳児の頃から幼児になるころ、身の回りのことは自分でしたがる時期だってあったと思うのだ。どこかの年齢で自分でしたがる→なんでもやってもらうにシフトする時期が訪れたと推測できる。

それにしてもまあ、従者は全ての事柄を面倒見なければいけないので必死である。幼き(後の)権力者が自分で何かとやってしまうと職務放棄として解雇、最悪の場合首くらいはねられる可能性だってある。その抜き差しならない状況を乗り越えてものを自分で食べないという自堕落に陥れる努力をしなければならない。

あとは我に帰らせてはいけない。身の回りのこと全てに世話を焼いてもらっている自分が恥ずべき存在であると言うことに気づかれないよう、ヒ素を盛るがごとく緩やかに蝕み続ける必要があるのだ。お友達選びも大事。からかって来る子とかいたら国家権力でさらっちゃう。

と、つらつらと書いてはきたが、世の成人男子の中でもご飯を食べさせてもらうまではないにしても、なんでもお母さんにやってもらっちゃう系のひとっていたりするわけで、そんなひとが社会性という迷彩を駆使して結婚にこぎつけたりする。そうすると奥さんになんでもやってもらっちゃう夫が爆誕するのかなと思ったりする。

「なにもできなかったあの子」じゃなくなったことを認めたくなくていつまでも世話を焼いちゃうのかなあ。愛情って難しい。

以上、子の自立について考えるでした。子よ、健やかに育ってくれい。

特にあげる写真もないので一緒に遊びにいった公園の写真

 

自炊ばっかじゃ疲れるし、よそのものも食べたらいいじゃない

Twitter(X)で「自炊は節約になるのか」論争が巻き起こっていた。論争というよりも「自炊が節約となるという人間はふだん自炊しないひと」という意見が散見され、まあまあ燃えており、リプ欄では自炊は節約になる派の持論が展開されているなという印象であった。

結論から言ってしまえば、個人的に自炊は節約にはなるとは思う。でもそれも複数人分作る前提だったり、同じ材料で何食もやりくりできる、もしくは同じものを食べ続けても気にならないひとに当てはまることだろう。

僕も料理はするのだけど、今の所作るのは妻との2人分だし、同じ材料で色々作り出せるほどレシピを知らないし、手間だってかけていられない。

ではなぜ自炊をするのか。それは食べたいものを食べるためである。

Twitterで例に出されていたのが500円のカツ丼が半額になって250円だったら自炊するより圧倒的に買ったほうがコスパがよいでしょ、というものだった。たまねぎ、たまご、調味料、お肉という原材料費はもちろんのこと、作る手間だってかかる。あと、カツ丼に三つ葉が乗ってるとすごく嬉しいし風味がよくて好きなんだけど、それだけのために三つ葉買うのもなあとなる。でも出来合いならちょこんと三つ葉が乗っている。僕だったら買っちゃうなあと思ってリプ欄を見たら、

・材料費が適正な価格じゃない(材料高くない?)

・カツ丼はいつだって半額じゃないだろう

・カツ丼は半額なのに材料が半額になってないのはフェアじゃない

・手間を時給換算とかしてるけど、そんな小ロットで働ける仕事などない

といった”そういうことを言っているんじゃない”の反論が溢れていた。いやそりゃまあガチガチに検証していくなら色々条件揃えていく必要もあるのかもしれないけれども、感覚の話だし、上記の意見を述べているひとってもしかしたら本当にふだん自炊しないひとなんじゃないかなと思ってしまった。最近よく見る噛みつきたいだけのひとのように思える。噛みつくだけならかみつきばあちゃん消しゴムでもできるのでどうか冷静になってほしい。自炊するひとこそカツ丼250円を買うだろう。すべての手間を考えれば500円でもまだ安い。

近所のスーパーのカツ丼ハーフサイズ。300円くらい。

ただ、あえてカツ丼を自炊でこさえるメリットはある。それは「約束されたおいしさ」を手にいれることができるということだ。

米も炊き立て、揚げたてのカツで作られたカツ丼。そこらへんの出来合いのものとは雲泥の差でおいしいに決まっている。それを自分で作り出すという喜びもある。たぶん1人前250円以下で。

ただ、何度も言うように手間がすごい。米に関してはまとめて炊いておいて冷凍でもしてあればレンジで済むけど、フライを作る手間っていったらあなた、けっこうなものですよ。それだけでたまご1個使うし、たまごと小麦ごとパン粉行ったり来たりするし、きちんと揚げようと思ったら結構油も消費する。そしてその油も一回で捨てちゃうのももったいないかな〜なんてオイルポットにとっておいたりするんだけど、揚げものそんなに頻繁にはやらないのよ。揚げ焼き風でいいかってなるとちょっと出来上がりのイメージからずれてしまうし。

これらが1人前、2人前の調理で発生するのは自炊で金額が安くなっても安くなった費用に見合わない。ちょっとカツ丼食べたいくらいなら買ってきちゃう理由だ。何人分も作るなら圧倒的に自炊すべきだけど。下準備できている状態スタートでいえば揚げものが一番簡単説まである。むしろ揚げもの自体がわりとウケとコスパのバランスが良いとすら言えるかもしれない。

ちなみに、カツ丼に対して鼻息荒く語ってはいるが、僕は家でとんかつを作ったことはあってもカツ丼を作ったことはない。なぜなら揚げたてのかつをだし汁に沈め、あまつさえ煮込むという行為に踏み出せないからだ。自分で揚げたサクサクのかつは揚げたてのサクサクのまま食べたい。子に旅をさせないタイプである。

ところでリプ欄にあった意見として、カツ丼をこの論争で出すのがそもそも間違いという意見もあったが、それは僕もちょっと思った。「自炊のコスパ」ということでいったら野菜炒めとか煮物とかの”THE 家ご飯”に焦点を当てるべきだろう。肉野菜炒め定食800円と言われて若干身構えるのはそれをいくらくらいで作れるかすぐに思い浮かぶからだ。手間もそれほどかからない。

本気で節約していこうと思ったらキャベツ、にんじん、たまねぎ、じゃがいも、だいこんあたりを買っておけば肉を買い足しても1食150円くらいで済むのだろうけど、僕の料理レベルとかけられる手間ではこの材料から僕は炒め物か煮物くらいしかクリエイトできない。なので自炊もするけどやっぱ外のものも食べてしまうなあ。ひとの作ったごはんはおいしい。

最終的に節約かどうかあまり関係なくなってしまった。あれこれ考えると自炊と出来合いの間くらいの存在であるクックドゥってやっぱりすごい。

急な雨と急じゃない雨。天気予報という未来を知る手段。

雨の日が増えてきて、春も近いと感じる。おととい出社の際も雨が降ったけど、この時期の雨の日のわりには凍える寒さではなかったような気がする。

問題だったのは雨予報を知らず傘を持たずに出かけてしまったことだった。雨が増えてきていると思ってはいるのに天気に対して油断しまくっており、天気予報をまるで確認していなかった。通勤中は雨を逃れたものの、職場についてほどなく雨が降り始めた。しかも1日雨予報だそうで。

どうしよう、傘を持っていない。いつもならかばんの中に折りたたみ傘が入っているのだけど、家の玄関の片隅にほっぽりだされた傘の映像が再生された。この間今日と同じように天気に対してたるみ切った態度で臨み、急な雨に降られた際に使い、乾くまでのつもりで置いたままになっていたものである。

お気付きのことかと思うが雨は「急に」降ったわけではなく、僕が天気予報をチェックしていなかっただけだ。でも、天気予報という未来に訪れる情報を先に得ているかどうかの話と考えると、起こる未来を知らなければそれは何が起こっても「急」とも考えられる。天気ではなく、数日後に身内に不幸があることをなんらかの方法で知っていたのだとしたらそれは「急」な出来事ではない。知っていた未来である。ってうるせえわって話ですよね。ちゃんとした大人として天気予報チェックしやす。

屁理屈こねたところで今日は1日中雨。雨が急だったかどうかよりもこの雨をどうにかしなければ。単純に傘を買えばよいだけの話なのだけど、出先でビニール傘を買うと負けた気がする委員会(DVM委)の会長を務める僕の立場上、おいそれと傘を購入するわけにはいかない。

逡巡から渋い顔をしていたのだと思われる。隣の席のかんぺいちゃん(間寛平に声が似ている)から「職場の共用置き傘使ったらいいんじゃないですか?」とアドバイスが。ナイス!かんぺいちゃん、それだよ!

僕以外の大人はこんな日は傘を持ってきていないわけがないので、共用置き傘が使われることはまずないだろう。なので使用しようとしたら誰かが利用中であるという悲劇にも見舞われる心配はない。傘、ゲット。DVM委会長としてのメンツは保たれた。

雨問題をクリア。出社時のメインイベントでもあるお昼ご飯に脳内のリソースをフルでまわせるというものだが、この日のお昼ご飯は既に大決定していた。

バーミヤンの台湾大からあげチャーハン

最近職場の近所にバーミヤンがオープンし、虎視眈々と行く機会をうかがっていたのだ。こないだ行こうとしたらオープン前で空振りしたので待ち侘びていた感すらある。なんなら3日は前からこの日はバーミヤンに行くことしか考えてなかった。頭の中バーミヤンまみれになっているから傘も持ってこずにおめおめ出社するわけなんだけれども。

数年前にどこだかのバーミヤンでチャーハンを食べた際、好みのチャーハンだったのでまた食べたいと思っていたのだ。バーミヤンに行くことのみならず、オーダーはチャーハン一択とバーミヤンに行こうと思い立った3日前から心に決めていた。おかげでこの日のお昼ご飯は非常に満足度の高いものとなった。久々に鮮やかにキメた。バーミヤンといえば飲みに適したファミレスということでお馴染みだが、久々に行ったら以前にもまして飲み中華となっていた。危うく1杯やるとことだった。あぶねえあぶねえ。

さ、今日はもう帰っていいだろくらいの気持ちで残りの時間を過ごし、退勤時間まで止むことがなかった雨をしのぐため、共用傘をお持ち帰りしてしまった。次の雨の日に持って行って帰りは折りたたみ傘で対応すれば効率よきである。完璧だ、思っているが同じ過ちを繰り返し、置き傘が家に増える未来がうすぼんやりと見える。絶対にやらないでしょ、そんなこととお思いだろうが、それをやるのが僕だということを強く主張し次回の雨まで緊張感をもって過ごそうと思います。