モラトリアム人間という言葉がある。
モラトリアム‐にんげん【モラトリアム人間】
年齢では大人の仲間入りをするべき時に達していながら、精神的にはまだ自己形成の途上にあり、大人社会に同化できずにいる人間。
要はいい年齢の大人がいつまで経っても社会的な責任を負わずふらふらしているというようなことであると思うが、僕はけっこうこれにあてはまってしまうのではないかと思っている。
もちろん働いてはいるし、家庭のために最善を尽くす所存ではあるが、たぶん一般的な同年代に比べるとどうにも色々足りていないような気がしてならない。不真面目ともまた少し違うかもしれないけれども、少なくとも立派に自分の立場を築き、それを全うしているという自信はない。
この際、宣言してしまおうかなとすら思っている。生涯モラトリアム宣言を。もう四十路だし、ここまできてモラトリアムから抜け出せていないならいっそモラトリアム界の重鎮となってしまおうじゃないか。ゲームのチュートリアルだけめちゃくちゃうまいひとみたいなことで生きていこうじゃないかとすら思うのだ。こういうとこなんでしょうね、抜け出せない原因てのは。足りないのは危機感なのかもしれない。
とはいえ、そんなことを思うほどに自分の人生を振り返り、これからのことを考えたりもする。そうすると「自分ってこんなだったっけ」と思ってしまったりするのだ。20代の頃はほぼ前世なんじゃないかというくらいに環境も言動も異なっていたなと遠い目になり、これでいいんだろうかと思い耽ることもしばしば。ん…?まてよ、こ…これは…!
”中年の危機”というやつなのでは…!
人生折り返しの頃に訪れるという大人の思春期というやつである。思春期が若さを象徴していることに対して中年の危機は思秋期というらしい。色合いが一気に茶色になる。とにかく彩度が低い。大人になりきれてないわりにはきっちり中年らしいイベントが訪れているのだな。最近20代のときのことを鮮明に思い出せなくなってきたりして、「…人生折り返しだな…」と感じてしまっていたし無理もないか。危機感がないながらも何かしらは感じていたらしい。ま、それで及第という考え方もある。だからそういうとこだぞってね。
モラトリアムかつ中年の危機って語感がそうとうまずいんじゃないかなと思うけどここはひとつ”ミッドエイジ・M・クライシス”とか、モラトリアムをミドルネーム風にして埋め込むことでクリスチャンっぽさを出して煙に巻いていこうかなと思う次第です。だからそういう(以下略)