普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

言葉を操って絵を描くというの、もう使う筋肉が違うでしょう

今週、子の寝かしつけの際に2度も寝落ちしてしまっている。そろそろ寝そうだなーなどと様子を見ているつもりが気づいたら寝落ちており、深夜に目が覚めてそこから何をどうすることもできずけっきょく寝るしかないため睡眠時間がとっても増える。おかげで今日すごく元気だ。寝落ちも悪いことばかりではない。

悪いことでもないといえば、うたた寝に近い状態で眠るからなのか、夢を見やすいように思え、そしてその夢を覚えていやすいように感じるのだ。これは僕にとっては悪いことではない。昨日もそのような状況で、久しぶりにしょうもない夢を見た。

友人2人と妻と初詣に行く夢で、参道にテキ屋が出ており、そこで食べ物を買うというシチュエーションだった。購入した食べ物はお餅とお餅で甘辛く味付けされたひき肉を挟んであり、それがいくつか串に刺さった食べ物。今までの人生で食べたことのない食べ物を夢の中で買っていた。そして品物を受け取り、小銭で支払いをしようとしたらたれが垂れてきて小銭がべっとべとになってもういいや、払っちゃお!というところで目が覚めた。

まず、払っちゃおじゃない。そういうのはダメだから。そして、夢の中で見た食べ物、なんかおいしそうじゃないですか?ブラッシュアップの必要はありそうでありながらも、アイデアとしては悪くないのではというレベルの食べ物のような気がする。

あまりに良さそうだからAIに画像生成してもらった。

だんごっぽさはある

完全一致ではないのだけど、雰囲気は掴めていると思う。夢の中で出てきたのは2枚の切り餅の間にひき肉が挟まっていたものだったのだけど、何度切り餅と伝えてもそれらしいお餅が再現されることはなかったのでこちらから折れた。頑固だからな、AI氏。

とはいえ、頭の中だけにしか存在しなかった想像上の食べ物が具現化されるというのは本当にすごいことだ。これを下地にして商品開発とかあり得そう。モックを作るまでの手間はかけたくないけどなんとなくイメージを伝えたいときなど大変に便利だ。

先ほどの画像が今回の生成の中ではイメージとして食べ物では一番近かったものではあるが、オーダーの中に「屋台で売られている」を入れていた割には屋台感はない。そういう意味で言うと以下画像が屋台っぽさでは良い感じ。

外国の路上で売られていそう

こちらだとお餅で挟む要素が薄くなってしまう。AIにオーダー通すの、難易度高いな。指示がよほど的確でないとイメージしているものが生成されないだろうから表現力と語彙力は必要になってくるのだろうと思う。

絵を描く能力でなく、言葉を操る能力が必要になってくるというの、筋肉でいう赤い筋肉と白い筋肉どちらが発達しているかで向いているスポーツが異なってくるのを思い出した。どちらの筋肉が多いかは才能だけでなく生まれ持つものらしいし。

ただ、前にも書いたことあるような気がするのだけど、こうして絵を生成して思い通りに絵を出力できたとしてそれを絵描きと名乗るのは違和感を感じる。AI絵師と言われるひとたちはもしかしたら元々絵を描くひとなのかもしれないけれども、僕のように全く絵を描けない人間がこうして頭の中にあるものを出力するようになったところで絵描きの方々と同じフィールドに上がれたとは到底思えない。

でも言葉を操って絵に反映させて作品を作り出すということ自体はしているし、巧みにAIにオーダーし、表現したいものの精度が高いひともいるろう。そういうひとには別の肩書きを贈呈したらいいんじゃないかなと思います。ほら平和。というかもしかしてもうある?