前回は端午の節句について書こうと思っていたのに、お酒に向き合った結果エモさがあふれ出てしまったためついつい自分の限界酒量について書きつづってしまった。
せっかく5月5日で当日だったんだから限界酒量なんてあとでよかったじゃないかと自分でも思うがそこはもうパッションとそういった類のアレなのでエモさを共有していただきたい。
それはよいとして今日こそは端午の節句だ。そして行事食の話をするのだ。
5月5日、端午の節句。
行事食は柏餅とちまきとのこと。
柏は新芽が育つまで古い葉が落ちないことから子孫繁栄、家系が途切れないということで縁起をかついだものとされるらしい。
ちまきの由来は中国にあるらしく、陰謀によって川へ身投げしてしまった人気者が魚に食べられないようにと支持者たちが川へとちまきを投げ入れたのだとか。
そのことからちまきは忠誠心の象徴として考えられるようになり、こどもに忠誠心の高い人間になってほしいと食べさせるようになったとのこと。
ちなみにその人気者の入水日が5月5日なので日付指定も生まれている由。
ここで思うのがなんでちまき?である。
魚に食べられちゃわないようにデコイとして食べ物を投げ入れるのはわかる。でもとっさにちまきとる?それとも考え抜いた結果のちまきなんだろうか。
ちまきって餅ですからな。大陸の魚は餅が好物だと言われれば世界は広いしそんな魚もいるかなと思わされないでもない。
餅に巻かれている葉っぱはどうしていたんだろう。まさか葉っぱごと投げ入れていたんだろうか。魚の食いつきが悪そうだ。しかし葉っぱをはがしてから投げるというのも餅が手にくっついてなかなか思い通りに投げられなそうだ。
とっさのちまきなら葉っぱもそのままだろうしそれしかなかったで通用するが、考えた末のちまきであるとすると葉っぱを取って投げようとしたらなかなか投げ入れることが出来ずにその間に人気者は魚についばまれることとなる。
助かるチャンスが減ってしまうわけだ。さてはちまきを投げ入れたひとは人気者を妬んでいたな。助かるふりして心の中で助からなければよいと思っていたのだ。「あ〜、助けたいけどお餅が手からはなれない〜!」とか演技してたに違いない。腹黒さんめ。
そんなちまき。人生で初めて食べたことになる。今食べたら素朴な食べ物でおいしいなと感じたけれど、こどもの頃食べてたらどうだったろうなといったお味であった。
行事食を食べるにあたって少しくらいはとその行事について調べてみるのだけど、その昔端午の日には河原などで「石合戦」というものを行うという風習があったそうな。
石合戦ってなにかを喩えて「合戦」と言っていると思うだろう。僕はそう思った。重い石を持ち比べ競ったり、石の形状や大きさで美品を競い合ったりとかそういったものだろうと。
実際は違った。違うというか字面そのままというか、石の投げ合いである。しかもこどもだけではなく大人まで参加していることもあったりして、挙句手投げだけでなく投石器のような物を用いてより強力に石をぶん投げてらしい。殺し合いか。
と思ったら負傷者、死者が相次いだため禁止となったとのことだ。そりゃそうだ。むしろ黙認されてたのがすごい。
でも僕もロケット花火戦争とかやったことあるからな。それも似たようなものか。男子はどの時代でも悪ノリが過ぎてしまうことがあるのだな。
5月5日といえば端午の節句でありながらこどもの日でもあるわけで、祝日だなあくらいにしか受け止めていなかったが、改めてその意味を調べてみると「こどもを産んでくれた母に感謝する日」なのだそうだ。
こどもの日っていわゆるこども、小児の意味なのかなと思ったけれども、母から産まれたもの、という意味であるなら僕を含めどの年齢にも当てはまる。そして母からしてみたら何歳になったとしても僕はこどもなのだなとなんだかちょっとしんみりした。こどもの日エモい。
しんみりしたまま終わるのもなんなのでどうでもよい話をしておくと、年齢的にはすっかり大人になったある日の夢で、鯉のぼりに向かって
「お前はのぼってるつもりかもしれないけどな、のぼらされてるんだよ!鯉のぼらされなんだよ!!」
とよくわからない怒りをぶつけている夢を見た。怒りの原因もよくわからないけれど、まず鯉のぼりの「のぼり」って「幟(のぼり)」ですからね。因縁にすらなってない。鯉のぼりからしてみたらまったくの的外れなことでわめかれてさぞ迷惑だったろう。
母を思って少ししんみりしようとしてもこうしてどうしようもない思い出によって今日も明るく生きてます。お母さんもどうかお元気で。