普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

あの頃が動き出す

新宿、渋谷、池袋といえば日本3大繁華街と言って差し支えないだろう。アジアという規模で見ても良いくらいかもしれない。週末はその中のひとつ、渋谷に赴いた。バンド時代の古くからの友人がギターを弾いているバンドが解散ライブを行うというのがその理由だ。

会場は解散ライブにふさわしく、満員御礼。バンドが持つ曲の雰囲気も相まって荘厳かつ神秘的であり、良い意味で儀式的なものを感じた。ボーカルの方が他界しており、すべてかつての再現とはいかなかったが、心を動かすよきライブであったのは間違いない。

なんというか、うまく表現できない部分はあるのだけど、メンバーが亡くなっているなか、きちんと解散ライブを行ったというのはファンにとっても、そのバンドのメンバーさん自身にとってもとても重要なことだったのではないかと思う。2度と”あの頃”を再現できないからこそ、けじめをつけるという意味で。

rowtheのみなさん、お疲れ様でした。

 

ここ数年、コロナのことはあったにせよ、ライブハウスに足を運ぶという動作がすっかりなくなっていた。同じ時代に活動していたバンドの活休や解散、その他事由により共通の目的をもってライブハウスにその当時の仲間が集まることがなくなっていたため、今回のrowthe解散ライブはそういった距離が生まれていた仲間内を再集結させる役割も果たした。

どれだけ短いひとでも4年は会ってなかったんじゃないかなと思うのだけど、会えばかつての地下空間の空気。酒なんて飲んだ日にはここURGA(かつて歌舞伎町に存在してライブハウス)なんじゃない?くらいにだらしない空気(褒め言葉)になっていた。

最近こんな自分でも会社員として過ごす時間がそれなりの時間を占めており、ちゃんとしなきゃいけないという部分を無意識ながらにもっていたのだと思う。それだけにここでの時間は大変にろくでもない(褒め言葉)ものであったと言える。

そうなってくると浮上してくるのが打ち上げ問題である。ライブ終了後の中打ち(ライブハウス内での打ち上げ)を経て、地上へと這い出る頃、誰かが言い出すのだ。

「この後終電まで飲みますけど行きません?」と。

通常の感覚なら「おやいいねえ、終電まで行っちゃいますか」であるが、僕は知っている。ここでいう”終電”とは鉄道会社が設定したその日の最終電車を示すものではない。「参加メンバーの大半が帰る時間=終電」なのだ。

確かこの時点で時間は22時半頃。この時点から飲み屋に行き、なんだかんだと楽しく過ごして終電の時間までの2時間程度で終わるわけがない。帰らなきゃと口では言いつつ、終電を逃した瞬間「おっしゃ、やったるぞ」となる未来が見える。

見えてはいながらもその終電を逃した瞬間の盛り上がりも知っているだけに、その空気を味わいたい自分もいる。これには迷った。逡巡どころか49:51くらいで行くくらいの気持ちになっていた。だって終電までって言ってるからね。本当に終電で解散するかもしれないし。ちなみにこの日、妻からはライブが終わったらきちんと帰ってくるように釘を刺されている。事情知ったる妻。

結果、後ろ髪引かれまくって別れを告げ、帰路についた。後ろ髪を引かれていたどころか魂はそこに置いていった感すらある。

そして今日、どうやら朝まで飲んでいたようであることを知る。やっぱりね、そりゃそうよね。あー、めちゃくちゃその場にいたかった。でもその場にいたところで朝まではもたなかったんだろうな。途中で寝ちゃって朦朧としたまま始発で帰るとかいうあの苦行をきちんと避けたというのは成長かもしれない。あと家庭内不和を防いだ点でも及第としておこう。

今回こうして再会できたことをきっかけにまた何気ないことで顔を合わせ、馬鹿話でもできればなと思ったりするので、自分からもその機会を作ろうと思うし、これを見ているその当時の誰かがいるなら、お声がけくださいね。

バスケットボールストリートってどこいったんでしょうね