普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

忘れることは死を意味する 人生のターニングポイント

ありきたりな表現になってしまうかもしれないけれど、人生の節目というものは結果としてそうであったと言えるもので、そのときに「節目だな」と思ったところでアテになるものではない。そう思っただけでただの日常であったりするものだ。

しかし、明確に何かが変わると確信できる1日というものも確かに存在するのだ。

 

20代中盤の頃、かなり本気でバンド活動をしていて、バンドは僕の生活の全てだった。バンドという枠の中に生活が組み込まれていたと言ってもなにも大袈裟でないほどに音楽活動至上主義であった。

昔の日記を読み返してみたりすると、酒を飲んでは二日酔いということしか書いてなかったりしたが、それというのもよそのバンドのライブを見に行き、その打ち上げに参加してのことだったのでそのときの自分としては本気でバンドのためになると思っていた。

実際、営業活動みたいなことも出来ていたとは思うのでまったく無駄であったとも思ってはいないけれども。

よそのバンドの打ち上げに図々しくも参加しているのだから、自分がライブをしたときに打ち上げをやらないわけがない。

とあるバンドの企画するライブイベントに出演オファーを受け、ひととおりライブで暴れ散らかしたのち、イベントの打ち上げを開催するとのことだったので迷わず参加した。

ちなみに僕らのバンドは打ち上げになるとやたら張り切るというロッキンポ認定バンドだったので当然その打ち上げにおいても無頼の限りを尽くしていた(念のためいうとただふざけ倒しているだけで周りの方に実害は与えていない…はず)。

それなりの人数の打ち上げだったので各テーブルを渡り歩くこととなる。そうしてたどり着いたテーブルには独特な雰囲気を放つ女性が座っており、見過ごすことのできないオーラを放っていた。

それが今の妻だったのである。

お互い自己紹介などをしたときも彼女の自己紹介は想像の斜め上をいくもので僕の心をつかむのには充分すぎるものであった。定義がよくわからないけれど、これも一目惚れというものだったのだろうか。

口数こそ多くはなかったが、淡々と紡がれる彼女独特の間とワードセンスに「これはどうにかしなければ」となったのはいうまでもない。

とはいえ初対面だったので、その後引き続き打ち上げで飲み、その日は解散となった。

ちなみにこのときの妻の僕への印象は「こんなに小さな成人男性がいるのか」と、「リアルで聖飢魔II好きなひとって初めて見た」だそうである。どっちに対してもこちとらナチュラルにそれでやってきてますよとしか言いようがないが、印象には残ったのだからひとまずは良かったのだろう。

こんなただものではない女性に出会ってこの先僕の人生に何も起こらないわけがない。そういうふうに思わされる1日となった。

実際その後なんだかんだあってお付き合いしたり結婚したりするわけなので、この時の衝動というのは間違ったものではなかったのだ。

お題となっている「記憶に残っているあの日」どころか「人生において最も重要であった1日」である。

記憶に残っている、忘れられないというよりも、この記憶を忘れてしまうということは

僕という人間が僕ではなくなったときであると言えるのだろう。

 

そういえば今からちょうど15年前の出来事だったな。この時期が来るたびに思い出してちょっとエモみを感じる次第である。

 

さすがに打ち上げ当時の写真はないのでそのときやってたバンドのライブ写真を載せよう。古い写真なので解像度ガビガビだけど、まあこいうのってなあ雰囲気ですから。

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ご査収くださいますようお願い申し上げます。

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」