普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

人生のif。ゲームだったらセーブデータ分けてプレイしたいやつ。

2008年8月27日。もう13年前になる。この日は僕の人生においてひとつの節目であり、この日を境とした前後をもって僕は生き方、考え方を変えざるを得なかったのだろうと今となっては思える。

なんの日であったかといえば、人生をかけていたと言ってもなにも大袈裟でないくらいに心血を注いでいたバンドが解散した日である。

まさにこれ、 はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」 に相応しい。忘れられない。忘れてはいけない日だ。

メンバーの脱退だったり、バンド内の活動に対する方向性の違いなどで解散に至ったのだけど、当時の僕は一緒に活動していたメンバーでないとバンドは成立しないと本気で思っていたし、活動の方向性を変えるのであればそれは違うバンドになってしまうと強く主張した。この2点がどうにもならないのなら解散しかないのではないかとひどく短絡的な結論を出したのである。

今にして思えば当時、年齢的なことやバンドの運営について少し疲れていた部分もあったので、内心では解散するしかないじゃないかと主張ができることに肩の荷がおりる思いを感じていたのだと思う。もっと言ってしまえば、辞めるきっかけを探していたともいえる。

今だから言えてしまうが、脱退したメンバーと同レベルのテクニックをもつ新メンバーを探すことも当時の人脈であれば可能だったと思うし、音楽の方向性だって試すくらい試してから続けるか辞めるかを判断するという選択肢もあり得た話である。それを提案せず解散という道をはぼ迷いなく選んだというのはやはり辞める理由が欲しかったのだろうと思う。

その判断については良かったのかそうではなかったのか、いまだにifについて思いをはせることがあるので、たぶん一生「もしも」の世界線を想像するのだろう。

これ、ゲームだったら別のセーブデータ作っておいて両方のルートプレイするやつだな。

 

結果、解散が決定し、さまざまな方々の協力をもって急ごしらえにも関わらず最高に思い出に残る解散ライブを催すことができた。のだけど、正直なところ忙しいわ、久々に会うひとたちとの挨拶、興奮状態であったということもあり当日のことはあまり覚えてなかったりする。

僕の手元にあった当日の写真これだけですからな。

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顔のとこだけ修正したけど、たぶんわかるひとにはわかるであろう人物の打ち上げの写真。時間をみたら28日の7:58ってなっていた。前日の終演後から飲み続けている。若さゆえにエグい飲み方をしている。たしか新宿の養老の滝だ。従業員がシルバーな人材しかいないことでなにかと印象に残っている。

この写真しか手元にないというのもなんというか僕らしさなのかもしれない。

誰か関係者で当日の写真持ってたら送ってください(切実)

 

解散からすぐは実感もわかず、日常の続きでしかなかったが、時間が経つにつれて、最愛の恋人と離別したかのような喪失感が込み上げてきていた。でも、もう戻らない。

解散の理由から2度と再結成などもないだろうと当然のように思っていたのだが、結果、なんかいろいろあってその後2回くらい再結成してるわけなのだけれど。

しかも、当時僕はこのバンドを終わらせると同時に音楽活動から身を引くことを考えていた。それくらいに解散したバンド以外の活動は無為なものと考えていたのだ。

これも解散直後にバンド仲間からバンド結成のオファーを受けてあっさり活動を始めてしまったのだけど。意志薄弱。この判断も別の選択をしていたらいま人生変わっていたかもしれないな。

 

8月になると毎年「あー、今年もこの時期ですか」と、知人の命日くらいの感覚で思い出してはifに思いをはせてみたりする。

解散までの日々は人生において相当に重要で貴重な時間であったことは疑いようがない。

あまりこういうことを言うのはよくないと自覚はしていながらもあえて言ってしまうと、あの当時を上回る日々というのは現段階では過ごせていない。なので、あの日々を越えるものを味わうというのが当面の人生の目標なのかなとじんわり思ったりしている次第です。