普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

自分は苦手じゃないけど「なんかわかる」というあれ

自分は嫌いではない、苦手ではないものでも「なんかわかる」と思ってしまうあの感じ、どういうものの感じ方なんだろうなと思う。

はてなブログで読者で読者登録をしているひとのブログで、食事のお手伝いをしている際にスプーンを噛まれてしまうのが苦手だと言っていた。僕はそのシチュエーションに苦手意識をもっていないが、それを読んだ際に冒頭の「なんかわかる」が発動したのだ。

たぶん、イラッとするとかそういうことではなく、生理的に嫌悪感をおぼえるとかそういったことだと思う。多くのひとが苦手であろう”黒板を爪でひっかくあの音”とかと同じ種類の苦手さだと思う。なんか無理、というあれ。今、例を説明したくて黒板のアレを出したけど、想像して足の指ぎゅっと丸めちゃう程度にはあの音が苦手だ。

食べ物の好みに関しても同じような話だと思う。トマトのことは好きだけれど、苦手なひとがいると聞けば「あの内側のぐじゅぐじゅの部分、食べ物としてはちょっとないよね」と声をかけ、生牡蠣を忌み嫌うひとには「どういう了見なんすかねえ、あのぐじゅぐじゅは」と共鳴する。どちらも食べ物としては好きだけど、嫌いなひとの気持ちは理解できるし、その理由について「そういうひともいるな」と素直に納得できるのだ。

これは想像力に起因するものなのかもしれない。それまでの人生で触れた情報に基づいて「ぐじゅぐじゅは気持ち悪い」ということを理解しているからそれを嫌うひとがいることを想像できる。これが僕の人生でまったく触れることがなかった情報を理由に牡蠣やトマトを嫌いと言われたら「なんかわかる」にはならないのだろう。すぐ火が通って頼りないとか言われてもそれを理由にトマトや牡蠣が嫌いと言われたら、前世で火炙りに処されてわりと炙られて間もなくこんがりしちゃったひとだったりするのかなと思ってしまう。

こういったことを考えると、いろいろなものに触れ、想像力を豊かにするということが共感性を高めるということになるのだなと思える。とか、大真面目に言っちゃってるけどこれって誰もが当たり前に気づいていることで、なおかつ身につけているものだったりしたら自分でやべー人間だってお披露目しちゃってもう滅されるしかない存在と化してしまうんですけど大丈夫ですか。

もうこの際なので誰も得しない僕の苦手なもの情報も晒しておこう。すぐに思いついたのは以下のものだ。

・りんごを食べた後の奥歯の感じ

・金属製のものがこすれる感触

なんというか、ギシギシというか、ガシガシというかものがこすれるときになめらかでないあの感じがどうにも生理的に苦手だ。

金属製のものがこすれる感じをもう少しわかりやすくいうとステンレスの鍋にある味噌汁をステンレスのおたまですくおうとしたときに、底面をダフったときのあの感じ。あとはゴーゴーカレーのお皿とスプーンの組み合わせ(やっぱり両方ステンレス)も僕にはきつい。

カレーはお皿の底面にスプーンを当てずに食べるのは不可能

ゴーゴーカレー自体は好きなんだけど、あれが苦手でお店で食べるのを敬遠しているところはある。持ち帰りだとプラスプーンだから喜ばしい。でもあの組み合わせは金沢カレーの伝統らしいので僕につべこべいう資格はない。なんなら歯に金属があたる感じも好きではないので家では木製のスプーンを使っているし。

ってあれ、冒頭のスプーンを噛まれてしまうのが苦手という話、「なんかわかる」とか言っていたけど、歯に金属があたる感じを思い出すからわかったに過ぎないのでは。むしろ僕もやられたら嫌かもしれない。全然大丈夫じゃなかった。むしろ当事者だった。想像力の敗北。

まあそれに気づけたし、苦手なものを棚卸しできたような雰囲気もあるのでよしとしてやってください🥄