普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

結局、年齢じゃないという話ですな

僕の父は確か41歳で亡くなった。確か、などと実父の享年が曖昧というのも薄情な話ではあるのだけど、なにしろもうほぼ30年ほど前の話だ。細かいことはだんだんとぼんやりとしてくる。そしてそのぶん悲しみや寂しさという気持ちも薄れていく。

そんな父の享年と自分の年齢が今ちょうど同じである。なんともいえない感慨がわいてくる。あのころ圧倒的に大人の男性でしかなかった父と同年齢。しかし僕は大人の男性かと言われればまったくそのようなことなく、未熟なままだ。

でももしかしたら父もそうだったのかもしれない。というかたぶんそうだったに違いない。なにしろ僕の親だ。40歳を少し超えたくらいで落ち着いていたとは到底思えない。

しかし家庭はもっていたわけで、その部分は今の僕と圧倒的に差がある。ひとを養うってすごい。

ここまで具体的ではなくとも、ひとは自分の年齢を俯瞰したときにはっとすることがあると思う。

よく言われるのが気づいたら高校球児よりも年上になっていた、というものである。真夏にテレビで放送されていたあのほとばしる男っぷりを見せつけていた兄さんたちよりもずいぶん歳が上になっていたのだなとなんだかもやもや、もぞもぞ、そして少しの焦りを感じた真夏の昼下がりを体験したひとは多くいるだろう。

そうは言っておきながら僕はあまりにも野球に興味がないのでこれに関してはあまりあてはまらないのだけれど。自信満々に言っておいて「知らんけど」で締めるスタイルでいかせていただいております。

僕の場合でいうと中学生、高校生、成人したときなどにふと自分の年齢、立場とかつて見ていたその年齢のひとびとへのイメージとの合致のしなさに驚きを感じたものである。こういうことを言うとものすごくアホっぽいのだけど、自分は自分でしかないのだなと。

それでももしかしたら違う誰かには僕が感じていたように「お兄さん」というようにうつっていたのかもしれない。そうだったらよいのだけれども。

 

年齢の話とは少しずれるのだけど、以前にバンド活動をしていたとき、活動をはじめたばかりのときはライブハウスに出演していてもバンド仲間などおらず、ライブスハウスのスタッフさんなども誰だお前くらいの感じであった。

そんな中で出演者の中には出演者同士で仲良くし、スタッフさんにも顔のきくようなひとがいて、どんなふうにしたらあのような立場になれるのだろうなと思ったものである。

しかし、本腰を入れて活動をしているうちに共演者同士仲良くなり、スタッフさんには顔を覚えてもらえるようになった。もしかしたらかつてほのかな憧れをもって眺めていた存在になれていたのかもしれない。

どこかの誰かのぼんやりとした憧れになれていた可能性もなくはない。そう思いたいじゃない。思い出はちょっと盛り気味でいきたいじゃない。自己肯定感マシマシでいきましょうよ、お互い。

 

年齢関係なくなってしまったけれど、イメージしていた自分になれていたとしてもそうでなかったとしても、その評価をするのは他人だ。かつての自分がそうしていたように。もちろん、自分が納得しているかどうかが重要なところなので、自分は自分らしく、無理に自分に対してのイメージを自分で持つこともないのだろうと思う。

なんだかちょっとスピり気味でしょうかね、このあたりの話は。

では、少し現実に話を引き戻して30代後半くらいのひとたちに向けての話をしよう。

 

40過ぎると一段と身体がよぼよぼになってくるってあれほんとだったぞ!

こればっかりは年齢にたいして如実だ!

ファイトをしぼりだせ!