普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

カレースプーンとコマンダー

ふと思い出したことがある。こどもの頃、わが家では夕食がカレーの日、カレーが配膳される前にテーブルの上にはカレースプーンが水の注がれたコップに入った状態で準備されていた。

再現するとこういうことである。

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物心ついた頃にはこのようなことになっていたが、いつの間にやらこの習慣はわが家からなくなっていた。

特に意味など考えたことがなかったけれども、なんの意味があったのだろうか。そう思い調べてみたところ、80年代くらいに流れていたCMの影響だとか、お店で提供するときの店側の都合、他にはごはんがこびりつきにくくするためなどあれこれと起源を推測している情報が見つかった。

CMの影響というのはそのCMがなぜそうしていたかという説明がなかったのであまり答えには近づけていないような気はするけれども、思えば僕の父は結構ミーハーな人間だったので理由など考えもせずにスプーンをコップに突っ込んでご満悦であった可能性はある。わが家のコップにスプーン現象の発端については答えはそこかもしれない。そういえば父が亡くなったあたりからその光景を見なくなったような気もする。

個人的にはごはんがこびりつかないというのが実用性が伴っているので信憑性あるかなと思うけれども、今やるとあんまりお行儀のよい感じはしないので全体的に時代の考え方も影響していたかもしれない。

父は形にこだわるところがあったようで、実家の食器棚には特定の献立にしか使わないであろう食器が家族分収納されていた。牛の姿が模られたステーキ用の鉄板とか。

そういう父に母が合わせていた部分もあるのかな。これもひとつの愛なんでしょうかね。

特に理由を考えることもなく親の影響だけでしていた行動というのはいつの間にかなくなっていても気づかなかったりする。

そんななか、明確に覚えていることというのもあるもので、それが「コマンダー問題」である。

コマンダーといえばなにを思い浮かべるだろうか。commanderなのでそのまま訳せば指揮官である。まあそうですよね。普通そうなんだと思う。

しかしわが家では事情が違った。かつてのわが家ではコマンダーといえばテレビなどのリモコンのことを指していたのである。

リモコンのことをコマンダーと呼ぶことになんの疑問も抱いていなかったし、それどころか「コマンダーがないと困んだー」という言い放った瞬間にはったおされても仕方ないダジャレが横行している始末。そのダジャレ聞かされた側が大いに困るわ。

そうしてリモコンという言葉を知らずすくすくと育っていた小学校中学年ころ、それまでたまたま家族以外の人間とリモコンの話をすることなく生活していたが、何かの拍子に友達にリモコンのことをコマンダーと言い放つ瞬間が訪れた。

「え?なんて?」

「えー、お前んちリモコンのことコマンダーとかいうの?だっさ笑」

想像していただけるだろうか。今でこそコマンダーってなんじゃいそりゃ、とおもしろがれるが、小学生くらいの頃合いというのは他人と違うということを異常に恐れるものだ。しかも一般と違うとわかった人間に対してのイジりもエグい。あだ名がコマンダーになってもおかしくない瞬間であった。

しかしなんとかその場を乗り切り僕はコマンダーという言葉を捨てた。

そして幾星霜。こうしてブログネタとなってコマンダーは帰ってきたのである。

カレースプーンの件はうち以外でも見られた昭和文化というものだったのかもしれないけれども、コマンダーはさすがに今まで聞いたことがない。

しかし、調べてみるとソニー製のリモートコマンダーというものがリモコンとして存在するらしい。昔からあったものだとしたら父がどこかでその響きを異様に気に入り家族に浸透させたということも考えられる。

今となっては真相を確かめる術もないが、こうしてひとネタ提供してくれた父には感謝だ。

 

コマンダー的な、特定のものを家族内呼称するもの、よく考えてみたらこどもの頃当たり前にしていたけど理由もよくわからないままいつの間にかなくなっていた家族ルールなどが知ることができたらおもしろいなと感じておりますのでなんかあったら教えてください。