普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

「ゆう」も定着していくもんなんでしょうかね

今の時代、本当に色々な世代のひとびとがネットで気軽に発言している。そうなってくると世代によって文章の表現の仕方というのも特徴がでるものである。基本的にはまあそういうものだよね、くらいにしか思わないが、一点だけめちゃくちゃ気になる表現がある。

「いう」を「ゆう」と表現するあれだ。僕がこどもの頃からその表現の仕方自体はあったと思う。ただ、使い方としては言葉が拙いキャラを愛らしく見せる演出に近いものだったように思う。「そーゆーこと」みたいな。今自分で書いてみると80年代っぽさもあるな。

気になる、というのであって許せないとかではないのだけど、若いひとだけが使用する表現なのだと思っていたら30代くらいでも使用しているのを見かけて「え、そうなん…」と若干引いてしまった。良い大人がそれはちょっと…的なことで。

そんなことを思っていたらTwitter(X)で「言葉は変化変化しているのでこれも変化。いずれ定着する」というような趣旨の投稿を見かけた。

はー、そうよね〜、と自分の視野の狭さを恥じた。思えば今僕が使っている言葉遣いだって100年前の言葉遣いからすれば乱れに乱れたものであるのだろう。書き言葉だって「〜でしょうか」だって昔は「〜せうか」のと書くものだったようだし。というかこどものころ祖父からもらった手紙に「〜せうか」がリアルに使われており、けたけた笑って喜んだものだった。

そもそも音でいうと「ゆう」は「yuu」にだいぶ近いわけで、「いう(iu)」よりは「ゆう」の方が素直であるような気すらする。

そして今の僕の言葉遣いももう100年経過した頃には味わい深い古の言葉遣いになっている可能性もあるだろう。下手したら意味が通じないまであり得る。

時代よね

ま、とはいえ僕は「ゆう」って使わないですけど。違和感に耐えられない。僕と同年代で「いう」から「ゆう」に鞍替えしたひともいるんだろうか。いてもおかしくはないかもしれないけれども、僕とはまったく違う人生を歩んでいて、個室居酒屋で相席させられたとしても会話が続かなそうなタイプのひとなんだろうな。そもそものシチュエーションが謎だけど。

そんなことを言いながらきちんと定着なんかしたらしれっと使っちゃうのが僕という人間の軽薄さであることは声高にお伝えしておきたい。

話し言葉と書き言葉というつながりで最近気になっていたものがもうひとつある。それはフランス語だ。フランス語はまったくと言って良いくらいに話すことも書くこともできないのだけど、アン、ドゥー、トロワくらいはわかる。説明するまでもないだろうけど数字の1、2、3だ。音として聞いたことはあったけど、これが書いてみると曲者なのである。

だってun、deux,、troiになるのだもの。アンはわかるけど、ドゥーとトロワは無理でしょう。デュークスとトゥロイじゃないの。難易度が高すぎる。初見で読める気がしない。

何が言いたいかというと、アルファベットでこんなに独特な表現をするのならそれに適した文字があったほうが良いのではないかと思ったのだ。フランス語を表現するためのフランス文字。日本語を表現するためのひらがなと同じことで。

今更できるわけがないしできたところでエスペラント語の二の舞になること請け合いだけれども。しかも開発されたところで僕には縁がないどころか学ぶチャンスすらなさそうだ。ザ・言いっぱなし。

ただ、今書いていて思ったのが「iu」って書くとどことなくフランス語っぽいし、絶対に「ユウ」って発音しそう!って思えてしまうのだから我ながらいい加減だ。そのくらいの熱量のぼやきでした。じゃあ、言いたいことも言ったので今日はこの辺でいいすか。