普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

中間報告(になって欲しい)

ここ最近在宅勤務続きでほぼ外に出てなかったが、久々に出社をした。ちょうど1週間ぶりであった。

状況を鑑みるに可能な限り外出をしないというのが最終的に最短での日常への道なのだろうからまあ1週間やそこら家にいるのはまったく問題ない。おそらくGW明けに宣言解除の見込みは薄いのではないだろうか。こいうときは本当に虚弱なインドア派でよかったなと思う。はつらつとした体力有り余っているひとはさぞかし辛かろうとさすがの僕でも思う。

いよいよ外に出るのはあまりよくない、というかリスクが高いなという状況になってきたと思う。少し前までは「どこかの誰か」の話だったのが知り合いの知人、親族くらいまでには迫ってきている。それなりに気をつけていたとしても罹患の可能性はあると感じさせられる。

なんだか緊急事態宣言の趣旨を理解できていないひとというのが一定数いるように見受けられる。「察してね」で通じないひとというのは日常生活においても遭遇はするのでたぶん今出歩いているひとというのもそのてのタイプのひとなのだろう。そういうひとが罹患して勝手に自爆するのは構わないけれど、ひとを巻き込んでいってしまうのはいただけない。

子供に六法全書原文で説明してもビタイチわかるわけないのでそのひとな理解する言語、表現方法で説明する必要があるのだろう。

そういう僕も今日出社してたので大きな括りではあまりかわらないのかもしれないけれど。

 

それにしても世間がざわついているのを感じる。今世間といったけど僕が見ている世間はTwitterだ。偏ってはいるし、狭いコミュニティのなかで政治的水掛け論みたいなものをよくみる。その内容が少し前に比べて殺伐としてきているというか、うまく表現はできないのだけど、ちょっと物騒さを感じるものもあるような気がしている。社会運動につながっていきそうな物騒さ。有り体にいえば武装闘争みたいなもの。これはさすが考えすぎか。

色々なひとが政治に想いを寄せるようになってきたら急進的な行動力のあるひとというのも当然あらわれるだろう。今まではある程度無関心で机上での侃侃諤諤に議論を交わし、行動を起こしてもデモ止まりだったものがもう一歩進んだものになってしまうのてまはないかという不安がある。

 

そんなことになったら僕はノンポリとか言われてしまうのだろうな。それもひとつの主張ではあるとは思うのだけど。

どんな異常事態に陥ったとしても、自分と自分に近い大切なひとが安心で安全で生活ができるのであればどんなことが起きていても大概のことは関係ない。と、みんな思っているのではないかと思っているわけだけど、そんなことないだろうか。

 

今回のコロナの件に関してはやらない後悔よりやった後悔の方が強くなるのだろうと考えている。

 

本当に用がないひと、暇だから外出てしまうひとというのは ちょっと先を見てみると解決への糸口って見えてきそう。