世の中化粧をしていない状態でも美人だったり可愛かったりするひとがいるものである。
そんなひとがそのひとに適した化粧をすればさらに見目麗しくなる。これって食べ物にも同じことが言えるわけで、素材の良いものは凝った調理をしたり、調味料を加えないでも素材のままで充分に美味しい。
化粧の部分とはいわゆる調味料で素材に手を加える状態に近いと言えるだろう。
ただ、ひとの好みは千差万別である。素材だけでも充分なものに手を加えたいわゆる「味」を足したものでないと満足できないタイプのひともいる。
食べ物で「味がしない」という表現をされるたびに食材の味、ちゃんとするけどな…なんなら塩味も結構するし…などと思っていたのだが、そのひとにとっての味は醤油であったりソースであったりというキリッと味の濃い、味変グッズのことを指しているのであった。
僕はわりと薄味派で生きてきたので、えー、これで味しないとかって言ったらこの先素材無視して「味」しかしない領域に行っちゃわない?とか思うのであった。ま、ひとの好みなので共有する食べ物でなければ好きにするのがよいと思っているけれど。
ここで冒頭の化粧の話に戻ってくる。
素材うんぬんではなく、調味料での味付け(化粧)が際立っているひとが好きというのはやはり一定数存在するというわけだろうか。安くて元々は美味しいんだか美味しくないんだかわからないコロッケにべっちゃべちゃにソースかけまくって食べて、それもはやソース飲むためにコロッケが存在してるじゃないかというシチュエーション。それで、いやー、やっぱこれですなーなどという満足感を得ているひとがいるとする。
これを化粧になぞらえていくと、元々の見た目というのは箸にも棒にも引っかからないタイプではあるけれど、ある属性に振り切った一点突破のメイク術を施すことによって、その手の属性が好きでたまらないひとに求められるようになるのだ。というかこれはギャルであったりゴスロリ、バンギャであったりそういうところに当てはまるのかもしれない。「味」濃いものなー。
もっと雑にいえば素材の良いナチュラル系の美人よりも、素材の良し悪しよりもケバさに惚れるみたいなひとというのもいるのだろう。きっちりたっぷり調理済みであることこそ至上ていうひとが。
そういうひとがすっぴんに出くわして「誰これ?」からの破局案件をやらかすのかもしれない。
どちらにしても素材は適切に扱っていくのが一番。それを心得ているというのが粋である。
料理ではなんでもカレー味にしておけばカレーにしかならないという現象があるが、化粧にもそういったロジックがあったりするのだろうか。
顔をカレーにする。なかなかよいではないか。
当の僕はといえば、食べ物になんでもレモンをじゃぶじゃぶかける。これを化粧に例えたら相当偏ったものになりそうだ。