普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

楽しそうがおいしそうに直結してた説

食べ物を見て「おいしそう」と思う感覚は経験則から導き出されるものだろうと思っている。これまでの人生で得た情報を組み合わせたうえでの期待値ということである。そう信じて疑っていなかったが、ふと思いだした。

毒々しい色のお菓子を見て、こどもの頃確かに「おいしそう!」という感情を抱いていたではないか、と。

いま初見だったら口に入れるものだとは思わない

日本ではあまりないけれども、外国産のグミなんか「ケミカル」という単語しか存在しない世界線からやってきたお菓子なのではないかというくらいには強烈な色合いである。どの色もフォトショップのカラーパレット最右上の色だ。

ケミカルワールドでは住民みんな「ケミカル」としか喋れないから何をしたってケミカルな仕上がりのものしか生み出されない。ただ、「ケミカル」しか喋れないながらもニュアンスで違うを伝えようとするので色はケミカルなれど、違う種類のお菓子は生産可能だ。「ケミカルぅ〜」とか「ケミカルっっ」みたいなことで。たぶん前者がグミで後者が飴なんじゃないかな。

青とかぱっきりした緑とか紫とか、およそ自然界に存在する食べ物を連想させることのない色の数々。それを「おいしそう!」と思っていたこども時代のあの気持ちはどういう感情だったんだろうか。

特に青などは本能的に食欲を減退させる効果があると聞く。今でこそわざと青いカレーとかで見た目はアレだけど味は普通みたいな食べ物があるけど、僕のこども時代にはそんな変化球を投げられる技術はなかったと思われる。なので純度100%のケミカルフーズであったということだ。しかも着色方法も身体に手加減しないものであったのだろう。

そんなものをなぜ?自分なりに考えてみた。

こどもの頃の僕はあまりにも短いその人生経験から、どういった形状で、どういう色合いのものがおいしいかの情報をまだ収集できていなかった。ついでにいうと食べたらダメそうな色合いのものもわかっていない。当然のことながら。

でも、楽しい経験は多くはないとはいえある。そしてこども時代に楽しさを味わわせてくれるものはだいたい目が覚めるようなビビッドさである。おもちゃとか、遊具とか、自転車だってそうだ。

そこにビビッドかつケミカルな色合いのお菓子が登場するわけだ。瞬時にこう思う「楽しそう!!」でも食べ物が楽しいってちょっとおかしいな、じゃあ「おいしそうだ!!」

これである。愚か。こどもの頃の僕ぁなんと愚かなんだ。愚直な二段論法に愛おしさすら感じてしまうほどである。そんなお前さんはねるねるねるねでも食っとけ。あれは楽しいとおいしいが結びついている稀有な例だぞ。

そんな幼少時代を経て、さまざまな食べ物が世の中にあることを知り、自然の食材に存在しない色には注意が必要だということをインプットしていき、最終的に茶色い食べ物のヒエラルキーがぐんぐんと高くなっていくんですな。

結局茶色。おいしいものは茶色なんだということを主張させていただいて本日はこのあたりで。全茶連(全国茶色い食べ物連合)所属員からは以上です。