普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

その感情はまさに憧憬

週末は行きつけの飲み屋に行ってきた。常連同士で中身があるんだかないんだかわからない話に花を咲かせるのがなんとも心地よい。そのなかの常連さんのひとりのおばあちゃんの話を聞いた。

おばあちゃんはお刺身を湯通ししてさらにそれを酢醤油で食べることを励行していたらしい。というか家族に対してもその食べ方以外許さない姿勢だったという。

おそらく状態の良いお刺身が今ほどあまり手に入らなかったことから殺菌の意味であれこれと手を尽くしたのだろう。言いたいことはわかるし昔はそれくらいしないと不安があったのもわかる。

でも現代でそれをやる意味とは?と思わざるを得ない。そして家族にそれを徹底させるという理不尽さ。もはやお刺身を食べているという感覚ではなかっただろうと思う。でもめちゃくちゃポジティブにとらえればしゃぶしゃぶってことになるのかな。お口に入るときにはぶりしゃぶと同じ状態にはなっているとも考えられなくもない。いやでもやっぱやだな。「刺身」と名乗っている以上は生であれ。

こういうことと言えなくもない…か…?

常連さんはその食べ方でしかお刺身を食べたことがなく、生のきちんとしたお刺身というものに憧れすぎて中学の頃にお小遣いでお刺身を買って食べてそのうまさに打ち震えたそうだ。お刺身に憧憬の念を抱くとか独特過ぎる思春期だ。他人と異なる視座をもっているひとだなと思っていたが、こういったハードな食環境もそれを育むのに一役かっていたのだろう。

ちなみにおばあちゃんはお菓子を食べることを許さないといったハードさも持ち合わせており、チョコレートなどのこどもがウレション必至な食べ物は与えない主義だったという。

でもおばあちゃんは食べる。なんなら孫の前でチョコレートを食う。どういうことなん、それ。やっぱりハード過ぎる。

たぶん、たぶんですけれども歯に悪いとかそのあたりの理由づけはきちんとあったのでしょう。あったと思いたいし、ないと切なくなっちゃうお話になってしまうのでそういうことでいきましょうよ。

ただ、あまり制限しすぎると後で欲望が暴発したりするので本当にそのあたりの匙加減というのは注意していかないといけない。

以前目撃した例がある。

友人が子に甘い系のお菓子をほぼ与えないようにしていたらしいのだけど、たまたまクッキーだかその辺りの食べ物がシェアされた際、母(友人)の目の届かないところで取り憑かれたようにかなりの量を貪っているのを目撃してしまったことがあり「こ…これは…」と荒肝を抜かれた。

その常連さんがその後フードバーサークしたのかどうかはこの間は聞けなかったので今度聞いてみよう。

考えてみれば僕もこどもの頃に腎臓を患って脅威の無塩食を乗り越えてきたわけだけれど、そのときの我慢がいまのジャンクフード好きに繋がっていると言えなくもない。

食べさせたくないものはもうこの世に存在しないものくらいの扱いをしてしまわないといけないかもしれない。知らないものは存在しないのと一緒だ。そうなるとやっぱり”知ってしまったとき”が恐ろしいけれども…

まあやっぱりね、ベタな着地として、食はバランスということでね、本日はこのあたりで。