日曜、子の秘めたる便が3日を迎えたので病院で然るべき処置をしてもらいに行った。
待合室では爆笑問題が司会をしているニュース番組風のワイドショーみたいな番組が流れており、芸能人たちが社会問題についてやいやい言っている場面が流されていた。
家にテレビがあるときは「そういうもの」としてたまたま流れていればふーん、くらいの鼻ほじ感で眺めていたものだが、テレビの温度感から遠ざかった今、あの手の番組を改めて見ると「これ、なんなん?」と思ってしまった。
特に識者でもない芸能人同士が時には口論に近い形で持論をぶつけ合っていたりする。何を見せられているんだろう…芸能人の井戸端的会話を側から見ている構図である。情報のインプットと言えるものではない。
では何か。そうか、エンタメか。エンターテインメントなのだ、これは。何かに似ているなと思ったらあれだ、90年代後半、まだバブルの香りが抜け切っていないわっしょいの空気をまとった番組「夜もヒッパレ」と構図が同じなのだ。
あの番組も特に歌のプロでもない芸能人たちが音楽チャート上位の人気曲をひたすら歌いまくるという番組だった。要は芸能人のカラオケ大会を見せられていたわけである。「これ、なんなん」だし「何を見せられているんだろう…」と当時も同じ感想を抱いていた。
専門分野に対して芸能人がわちゃわちゃしているのを見せることがコンテンツとして成り立っているのかどうかは見るひとの好みだったりするのだろうけど、僕はそういうのを見ることにあまり向いていないのだなと思った次第だ。じゃあ見なさんな、それってあなたの感想ですよねレベルの話と言われればその通り。まあ家にテレビもないのであの感じのコンテンツを見ることも機会は著しく減っていくのだと思われる。
ところで「それってあなたの感想ですよね」って最近小学生界隈で流行っていると聞いたのだけど、小学生に限らず大して議論もできないひとが揚げ足取り的にかのフレーズを使うと「お?こいつ会話出来ねえタイプか?」と思ってしまうようになった気がする。これを言えば論破みたいに思っている浅薄なひとが乱用するようになってしまったことが原因だと思うのだけれど。初出の際のひろゆき氏が繰り出したときはもちろんクリティカルな一言であったのにワードセンスのないひとびとの手に渡ってしまってフレーズも不憫だ。
話がめちゃくちゃそれたけど、子の秘めたる黄金については解決したので速やかに帰宅。この日は義母が遊びに来ることになっており、いそいそと迎え入れる準備などをしながら義母の到着を待った。
程なく義母は到着。タイミングを逸してしまい、義母の到着までにサク山チョコ二郎2個(2かけら)しか食べていない。
元々朝ごはんは食べないのでそこまで影響はなかったが、さすがにおなかが空いてきた。せっかくなのでと近所の蕎麦屋の出前を取ろうということになり、空腹に任せてヒレカツ丼をオーダー。
丼を持った瞬間に不安になるくらいの重量感があったので食べ切れるかどうか五分五分であったが、意外や意外、食べ切れた。残ったら夜ご飯にすればいいしと気楽に食べたのがよかったか。最近胃腸の調子いいからなあと喜んだが、その後ずっとおなかがいっぱいで、マジで夜までおなかが空かなくてびびった。はからずも2食分となった格好だ。全然嬉しくない。胃腸の調子、全然よくない。ただの中年の胃腸だ。かなC。
その後も義母と子をあやすなどしてまったりタイムを過ごしたがその間ずっとカツ丼が存在感を誇示していた。あまりにもカツ丼がその存在感を示すものだから途中何をしていても「あ…カツ丼…」と脳裏によぎるようになっていた程だ。ほぼ恋である。それか洗脳されているかどちらかだ。洗脳されているのだとしたら語尾が「〜カツ丼」となるところだったので危ない。義母へ帰りの挨拶する時だって「お気をつけてお帰りくださいカツ丼」という超絶に語呂の悪い挨拶をしてしまうところだったわけである。鬱陶しいことこのうえない。命名するとしたらカツ丼星人かカツ丼マンか妖怪カツ丼おじさんだな。いやほんとどうでもいいことだしカツ丼マンはすでに存在するし別に語尾はカツ丼じゃない。(自分のことはミーというらしいです)
このカツ丼とのスウィートでねんごろな時は夜寝る前まで続いた。しかし今日起きたらさすがにその姿を消していたのでひと安心であった。起きたらカツ丼に腕枕とかされてたらどうしようかと思った。それくらい本当にお帰りいただけるのか怪しい居座りっぷりだったので。きっと数々の中年と浮き名を流しているのだろうな、カツ丼。下手したら2日目突入しているひともいるのかも。
中年ははしゃいでカツ丼かっこんじゃダメ。次はきちんとお蕎麦屋さんなんだからお蕎麦を頼んどこうと思います。