普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

文章が嫌いだったんではなく、読書感想文が嫌いだったんだね

かなり飽きっぽく、根気もない自分がブログを書き続けている理由ってなんだろうと考えてみる。

元々ブログ的な文章であればつらつらと書き連ねていくこと自体は好きだった。古くは魔法のiらんどのコンテンツ、「日記」mixiでもやはり「日記」バンド時代のバンド運営ブログでもやはり「日記」。日記といいつつひとつも日を記していない内容ばかりだったが読むひとには読んでもらえたのでそれも手応えではあった。

手書きだったら絶対続いてない

とはいえ、思い返せば小学校の頃の夏休みの宿題の読書感想文などはもう本当に嫌で嫌で仕方なかった。単純に苦手の域まで踏み込んでいたような気がする。400字詰め原稿用紙を埋めることが苦痛で、段落が変わっていないのに先頭のひとマスを一時下げて書くという本来の目的をまったく無視した手法を乱発する始末。なんとかマスを消費することに必死だったのだ。チリツモ期待すぎる。ちなみに読書感想文に関しては選んだ本の後書きをかいつまんで写しただけみたいなことをやったことがある。

そんな僕が、である。気づけばこのブログも開設して4年以上経つ。しかもほぼ週3というペースで更新しているのだから我ながら驚いてしまう。やはり何かしら理由がないとここまで続けていけるものではないのではないだろうか。

そう考えたときに果たしてその「何か」はなんだろうと突き詰めた結果、これなのではという結論が出た。

【習慣】

なんとも味気ないが、これに尽きる。僕は週に3回透析に通っており、1度の透析時間は4時間だ。何もしないにはけっこうな長さの時間だし、眠ってしまうにはちょっと寝過ぎな時間だ。その横たわる透析時間の埋め草としてこのブログを始めたわけである。

最初は透析のたびに短文でもいいからなんか書いておこうと、とりあえず透析の日はその日あったことでも思ったことでもと備忘的なものでもなんでもと書き綴った。

そのうちなんでだかひと記事1,000字程度(1,000字は超えよう)を目安にしようという謎縛りが自分の中で取り決められ、さらには何か写真を1枚つけようということにまでして今に至る。

これがまあ、透析のたびに毎回ブログを書いているとブログを書かないとなんだか気持ち悪い感じがしてくるのだ。なんならちょっと罪悪感すらある。義務でもなんでもないのに「やらないといけないこと」みたいな感じがしてくる。そういう意味で【習慣】と表現したわけである。縛りが増えていったのも筋トレの負荷を増やしていくみたいなことかもしれない。

たぶん、ダイエットとか筋トレとかも最初のうちは自分を奮い立たせて頑張るのだろうけど、そのうちやらないとなんか気持ち悪いになってくるのだと思われる。そういうの続かないから憶測でしかないのだけれど。

そんな僕が(2度め)定期的に発信できているのだから習慣って馬鹿にできないものである。

あとはなんだかんだでバンド活動を通して何かを発信してきた人間にとって、何も生み出さないことの気持ち悪さもあったのかもしれない。ブログを書くことだって立派にクリエイティブであろう。インプットに対しての何かしらのアウトプットは必要なものだ。最近ところてん方式で詰め込んだものが随時押し出されているような気がするけど。常に中身が流動的で定着しないということは結局のところ何も入れていない状態と一緒なのかもしれない。イッツ哲学。

ブログを書く理由としてはけっきょく習慣という味のしなそうな意見となってしまったが、結果として4年以上の自分の「そのとき」が累々と蓄積しているわけなので、たまに思い出して自分の過去記事を読んだりすると「このときはこんなことを思っていたんだな」と、他人ごとのように思えておもしろい。

そういうわけでみなさんも始めましょう!はてなブログ!(おもねり)

 

特別お題「わたしがブログを書く理由