普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

食べ物の好き嫌いってなくなるもんですよね

子どものころ、好き嫌いの多い子どもだった。食べ物に関しては本当に選り好みしまくりの超絶わがままキッズであったので両親、特に母親には苦労をかけてしまったなと反省することしきりである。

母は料理の上手なひとで、何を作ってもらっても大体おいしい。それは父があれこれと注文の多いちょいめんどうおじさんだったからというのもあるようだ。よくできたひとだよ、本当に。

そんな母が作ってくれた料理に対してあれが好き、これが嫌いだのを奔放に言い放つのだから母もたまったものではない。めんどうおじさん(父)のDNAの嫌な部分だけを引き継いだキッズが当時の僕だ。

今となっては何が苦手だったかも覚えていないいないけれど、鮮烈に覚えているのはグリーンピースとチンゲン菜だ。

まずグリーンピース。今は豆ご飯が出てくれ嬉しいし、シュウマイの上にちょこんとおわせられればあがめ奉る。しかし子どものころは何をおいてもグリーンピースだけは喉を通してはならないとばかりに忌み嫌っていた。

たぶん、今のグリーンピースの方が品種改良だのなんだのでおいしくなっているのはあると思う。そうではなかったとしても子どもってなんか青い野菜嫌う傾向にあるじゃないですか。その筆頭がグリーンピースだったというわけだ。

給食の添え物として仕出弁当みたいな弁当箱の端っこの方の小さい枠にほんの気持ち程度にミックスベジタブルの一員として存在していたグリーンピース。”食べる”というほどの量ではなかったのだけど、何がなんでも食べたくなかった。給食時間中に頑固に食べない姿勢を貫き通し、なし崩し的になんとかお残しの方向に持っていこうとしたら、担任のどうしても食べさせようという気持ちに火をつけてしまったようだった。「絶対にグリーンピース食べたくない児童VS何がなんでもグリーンピース食べさせたい教師」のほこたての火蓋が切って落とされた。

当時僕は小学校1年生。給食時間からお昼休みがあり、その後に掃除の時間が設けられていたわけなのだけれど、その時間まで僕VS担任の攻防は続いていた。平たく盛られたミックスベジタブルをはじっこに寄せて「はい食べました」と姑息な手段を試みたりしたが、児戯そのものである戦法は秒で見破られた。そんなことを繰り返しているうち、掃除のために下げられた机に混じって僕の机も一緒の下げられ、教室の後方はじっこで下げられた机の一群の中僕とグリーンピースの戦いは続行されることとなった。

この頃になると「なんかまあこのままずっと給食タイムもいいかもしれない」と、持ち前の超絶マイペースさが顔をだし、もう食べなくていいやの気持ちしかなかった。これを見た担任もさすがに折れ、そのときは結局食べなくてすんだんじゃなかったな。結果は覚えてないけどめちゃくちゃグリーンピース嫌いだったなと思い出深い話である。

今は冷凍物でもちゃんとおいしいものが多くて助かりますな



もうひとつの苦手だったもの、チンゲン菜に関しては家庭の食卓での出来事を今でも思い出す。

その夜、晩ご飯はチンゲン菜のクリームシチューだった。今思えばそんな献立めちゃくちゃ気が利いている。自分だったら思いうかなばいのでまず食卓に出すことはないだろう思えるので、母は本当に色々な料理を作ってくれていたのだなと感謝することしきりである。

が、当時のぼくはどこに出しても恥ずかしくないくらいの好き嫌いし放題のわがままキッズだ。チンゲン菜などという青物の権化のような野菜、食べるわけがない。実際のところチンゲン菜はその手の野菜の中でも青臭さってほぼないし、食べやすい方だと思う。でも子どもからしてみたら野菜は野菜、そして青物なので食べくないという感情が先立つのだ。

ぶつくさと文句をつけ、なんとか食べないで済む方法を模索していたなか、食べたらおいしいんだからとりあえず一口食べてみな、と母に促されひとくちぱくり。

「まずい〜」

と言い放った刹那

「そんなにまずいなら食べなくてもいいっ!」

ばちっくそに母がキレたのである。これには恐れ慄いた。食べることを逃れるためにとりあえず言ってしまった一言が母の逆鱗に触れてしまったのだ。

そりゃ自分が手間暇かけて作った料理をたいして食べもせず「まずい」とか言われたらキレて当たり前である。逆鱗とかじゃなく当然の結果だったわけだけど、当時の僕は機微に疎く最低の発言をしてしまったわけだ。お母さん、当時はご飯作ってもらっておいて超絶失礼な発言してしまってごめんなさい。

この出来事のあとから僕は相手が誰であっても提供してくれた食べ物に「まずい」という評価を下すことは2度としなくなった。当然好みではない味付けの食べ物というものに出くわしてしまうことはあるのだけど、その時も「好きでないかな」とかそういったあくまでも個人的に好みではないという意見だけを述べ、「まずい」と断罪することはまずない。僕がまずいという言葉を使って食べ物を評していたとしたらそれは提供される時点で悪意しかない食べ物だと思う。

これ、ある意味トラウマ的出来事だった言えなくもないかもしれない。自業自得なんだけど。

わりと食卓によく並ぶ野菜だったりする

 

苦手だったなとすぐ思い出せる2品に関しても今や食卓に並べば「お、いいですなあ」と喜んで箸をのばす食材である。というか嫌いな食べ物って今ないと思う。おとなになるというのはこういうことなのですかのう。

もしこれを読んでいる子持ちの方で好き嫌いに悩んでいるとかいうことがあれば、適当にやっときゃそのうち食べられるようになるのであんま気にしなさんな、と言えちゃうかも。でも作ったものに関して「まずい」はめちゃくちゃ怒ってよいと思います。

 

今週のお題「苦手だったもの」