ちょっと話題としては遅いけど、高校野球の慶應、仙台育英戦が話題だった。といっても僕は野球そのものには全く興味がなくて、慶應が勝ったんですっけ?くらいの認識だ。ではなぜわざわざ話題に出したかといえば、いつもの通りのいがみ合いをはたからあれこれ言いたいおじさんというわけである。
慶應の応援がやかましかったせいで育英がやりにくくてかわいそうだった、みたいな話が大筋だと思う。それは実際そうなのだろうけど、確か決勝とかの話だったと思うので、慶應の応援がすごいことになっているというのはたぶん前情報としてあっただろう。急には無理でも少しそれを意識したプレイしたらちょっと違ったんじゃないかと思う。まあ前情報と現地の空気で想像を遥かに超える事態になっていたというのはあるのかもしれないけれども。
でもルールに反していなければそれも戦い方のひとつだよなと個人的には思う。高校野球って伝統とか格式とかをやたら重んじる傾向にあるようで、これまでそういう型破りな存在が出てこなかったからこそ今回ここまで話題にもなっているということに他ならない。そういう異端分子、ちょっと応援しちゃいがちなのだ。もしかしてルール違反はしていないけどマナー違反はしているとか言い出すのだろうか。ああ言った場においては明言されていないマナーほどくだらないものはない。
まあ、僕が高野連みたいな団体があまり好きではないから慶應寄りの意見になってしまうというのもある。老人たちのいう「こうあるべき」は往々にして進化の枷にしかならない。伝統や格式ももちろん大事だし、守っていくべきところもあるとは思うが、その良い部分を受け継いだ上で新しい部分とミックスしていくというのが理想であるのではなだろうか。話を聞いている限り、高野連は新しい風潮を許さない傾向にあるように思う。昭和スタイルの努力こそを美徳としているような。
丸刈りでなくたって、日焼けしていなくたって強いもんは強い。過程より結果だ。でも昭和スタイルからすると間の努力(ファッションにうつつを抜かさず炎天下の中ひたすら練習)みたいのがないとおもしろくないのだろう。
どヤンキーがチャラついたおしゃれボーイに喧嘩でぼこぼこにされちゃうみたいなアンバランスさがそこにあるように思う。昭和ディスっときながら喩えが昭和。
まあね、でもそんなことを言いながら僕が現地にいたら育英応援しちゃってたと思う。それというのも高校のころ、修学旅行を兼ねたスキー旅行に行ったのときのこと。なんの縁だか当時ちょうど開催されていた長野冬季オリンピックのホッケーの試合を見にいく機会を与えられたことがある。しかも日本対オーストリア戦。
当たり前だけど日本はホームなわけで、観客もほぼ日本人。日本の応援のほうが熱が入っているに決まっている。オーストリアのやりにくそうなことやりにくそうなこと。
だんだんその状況にいらいらしてきてしまって最終的にオーストリア応援してたというね。心の中でだけど。さすがにあの状況で日本人としてオーストリアを全面的に応援はできなんだ。心も器もちっせえ男ですよ。
あのとき日本がゴールを決めるたびにV6の”WAになっておどろう”が流され日本を鼓舞するという演出がなされていたためしばらくWAになっておどろうを聞くとえも言われぬ苛立ちを感じたものだ。僕以外誰も悪くないあの冬の出来事。
そんな思い出から現場にいたら育英を応援しちゃってたんじゃないかなって思うわけだけど、全体的な考えとしては慶應寄りというぶれぶれ極まりない話になってきてしまった。
結局のところ、慶應だって育英だってひとつのことに打ち込んで結果残しているわけなのでみんなえらいという元も子もない結露に至ってしまうのでした。野球よくしらんのにいっちょかみしてすんませんでした⚾️