普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

バレンタインといえばValentine D.C. を思い出しちゃう勢

そういえば、くらいの感じでバレンタインを過ごした。イベントごとにとにかく疎い人間ではあるのだけど、バレンタインはメジャーイベントの中でも特に興味がない。なんなら夏至の方が気になるくらいだ。日の長さ、めちゃくちゃ大事ですんで。

「興味ない」とかいうとなんだか斜に構えてスカしてるような雰囲気が出てしまうかもしれない。そもそもお前さん興味ない以前に縁がないだけと違うんか?という話になってしまいそうだ。そこに関してはまったくもってその通り。チョコをもらえるあてなど一切ない。妻からだってもらうことはない。むしろあげた側である。

開封済みの写真で失礼いたす

あげたって言ってもコンビニで売っている平熱の温度感のチョコなのだけど。昨日は出社をしており、あれやこれやと連絡をとっていたところ、妻からバレンタインである報告があがってきたのでその報酬として現物支給した次第だ。

今でこそ興味はなくなったが、学生時代はひと並みにバレンタイン当日にそわそわしたりもした。そのそわそわは適切な感情ではないことを毎年のように痛感していたわけなのだけど。なんでしょうね、あてもないのにワンチャンに期待するあたりが青臭くてちょっとキモいかなと思ったりもするのだけど、きちんとこじらせているあたり自分らしいよなと愛おしかったりもするわけです。

そもそもバレンタインってかなり学生に寄ったイベントのような気がする。大人になってからバレンタインでチョコの授受を気にするひとなんて稀だろうし、物品がチョコであるという感じがなんともちょうど良い学生感ではないか。ついでに告白するというのもティーンの頃であれば胸アツである。むしろ僕は女子側に立ってみたさすらある。渡す場所とかタイミングとかシミュレーションしてキャッキャするのとかなんだか楽しそう。

”告白”という文化からとうに卒業してしまったから余計にそう思うのかもしれない。現状で日常生活に告白という言葉を持ち出すのだとしたら絶対にポジティブな意味合いを含まない。たぶん秘密を曝け出すというニュアンスになるだろう。横領とか不法投棄を告白、みたいな。念の為言っておくとどっちもしてないです。告白するような秘密も持ち合わせておりませんです。

バレンタインにまつわる思い出が何かないかなと脳内を捜索したところ、中学時代に付き合っていた女子から手作りチョコをもらったことを思い出した。個性に全振りしたお味のチョコでお店で売られているチョコはなんて無個性なんだ、無個性バンザイ!と思ったりなどした。商品開発部ってのは偉大だよ。

僕の時代は「好きなひとには手作りチョコを」という風潮だったけど、今の時勢的に(コロナとかなくても)手作りより既製品の方が喜ばれそうだな。そういうさっぱりした感情を持ち合わせていそうだ、現代の学生さんたちは。

今日はこんなところなんですが、現代の学生さんには絶対にわからないであろうタイトルのValentine D.C. はかつて存在したお化粧系ハードロックバンドです。今の学生さんが生まれる前に解散しちゃってるとか気付いてちょっと引いちゃったところで逃げるようにお暇します。