普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

よく燃える素材

自分が知り得ない情報、事実は存在しないものと同じというのが持論だ。なんでもかんでも自分ごとにしていったら処理しきれない。

とはいいつつも必要のない情報を自分から拾いに行ってしまうことがちょこちょこある。ツイッターのトレンド、そのなかでも炎上している出来事などはそれの最たるものであろう。炎上案件なんて大概自分に関係ないし、見て気分のよくなるものなどない。火元に対しての擁護派、火をくべる派どちらに対しても「声でかいな」くらいの感想であることが大半だ。

じゃあ見なきゃいいじゃないと言われればまったくもってその通りとしか言いようがないのだけど、野次馬根性まるだしでいちいち火元の確認をしてしまったりするのである。要は暇人なのだな。

直近でついつい見てしまったのが「お母さん食堂」案件だ。やけに酒の肴っぽいものを作りがち、はては腸詰まで作り出すなかなかの料理スキルをお持ちのあのお母さんの件である。

いわゆる男女平等の観点から料理はお母さんが作るものという固定観念的ネーミングセンスが気に入らないらしく、販売元であるファミリーマートに商品名の変更をさせたいということであるらしい。

もうなんにでも噛みつきにいくなというのが正直な感想ではある。凶暴な野生動物だってもうちょっと噛みつきにいくもの考えるぞと思わされる噛みつきようだ。

代案だの反論だので「お母さん」の部分を他の言葉にすげ替えるコメントが多数ついていたけれど、たぶんなにになってもどこかしらから文句が出るのだろうと思う。最近のツイッターってそういうところだもの。

「お父さん」なんてもってのほかだし、「手作り」でも誰もが手作り料理を提供されてると思うなとか言い出すひとがいそう。というかそもそも手作りではないであろうところも物言いの対象になりそうだ。

発信者は高校生らしく、最近ジェンダーレスや多様性について学んだことで料理=お母さんという決めつけになりかねないと考え「お母さん食堂」のネーミングが気になったらしい。この発想している時点で多様性について全然学べていないのでは。だってそう決めつけているのはあなたたちじゃないのといツッコミは多数入っていた。そりゃそうだ。

多様性を声高に叫んでいるわりには視野が狭い。本当に多様性を考えるのであればお母さんが料理作ってたっていいし、そういう家はそういう家、「よそはよそ。うちはうち。」ということである。

ファミマに商品名を変えさせたいという署名活動を行なっているようで、その署名のページも見てみたけれど、男性=仕事だけしていれば良い、女性イコール家事をしなければならないという考えが昔からあるのは問題だ、変えさせなければ!とのこと。

まあそれはきみらの考えであればの話だわな、と。でも世の中家事だけして暮らしたい女性もいるし、仕事だけしてくれている男性と結婚することが楽でよいと考える女性もわりといるものだ。そしてきちんと許容できる範囲で自分に合うひとを見つけて結婚していたりする。そういうひとたちは自分の立場に不満があまりないのでわざわざツイッターに浮上してこないのだ。

相手を変えさせることに必死になるよりも、自分が許容できる範囲を広げるということのほうがみんな機嫌良く過ごせると真剣に思う。

世の中の大半のひとが気にもしてなかったところが気になってしまった不幸な思考回路、そしてそれをすぐに声高に叫べてしまうツイッターのようなものがある時代に生まれてしまったというのはある意味かわいそうかもしれない。もっと地道な活動だったらいきなり炎上することもなかったろうに。

しかし思うのがこういうひとたちというのは田嶋陽子の発言などにも首がもげるくらい賛同するのだろうか。だとしたらもうなにも言えないな。いやまあ最初からなにも言う必要ないのだけど。

 

結論、ファミマが面倒に巻き込まれてかわいそう。である。

 

この件に限らず最近のツイッター、こういうの多いなーと思ったところで、わざわざ自分から「こういうの」見に行ってるじゃないかと気づいてしまったので、もっと良い意味で鈍感になっていきたいなと思う次第。

わざわざ火事場を野次馬しに行って火が熱いんじゃ!って怒ってるひとがいたら「いや、来んなよ」としか言えないだろう。

そう考えると僕も含めて炎上案件を見に行ったり、意見したりしているひとはツイッター向いてないといえるのかもしれない。お恥ずかしいことで。