普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

田舎のバスに完全に油断していたよ

先週の妻の実家帰省に続き、僕の実家に帰省をしていた。家のひとたちの手を煩わせることがないようにとドアtoドアで公共の交通機関を利用しての帰省だったわけだけど、地元最寄駅でバス待ち40分近くという田舎の洗礼とも言えるイベントを味わう。

そうだ、そうだった。電車は1時間に3本くれば上等、バスは1時間に2本くれば潤沢という世界に生きていたじゃないか。移動前の時刻表確認は基本の基。それを怠るとは何を東京にかぶれているのか。山手線みたいに全部電車つながっているんじゃないかくらいにひっきりなしに車両は現れないのだ。年始であるし、田舎民としての自覚を改めて胸に刻みつけていこう。

待ち時間中に発見した蛇籠(蛇籠が気になる記事を書いたことがある)

 

takian2000.hatenablog.com

 

やっときたバスに乗り込もうとすると、車内に乗り込むまでにめちゃくちゃ段差がある。ベビーカーだけどまあなんとかなるっしょと呑気に構えていたところに思い切り喰らわされた。まず膝上くらいまでベビーカーを持ち上げる必要があり、そから2段くらいさらに持ち上げる必要がある。都内のノンステップバスしか利用していない自分にとっては年明け一番の肉体労働となった。

でも、その際一緒にバス待ちしていた南米感のあるご婦人がベビーカーを持ち上げてくれるのを手伝ってくれてほっこりという場面も発生。このご婦人、並んでいた僕らが見えてなかったのかなというくらいに鮮やかな横入りでバスに乗り込んで行っていた。そのときには「異文化…異文化…!」と自分に言い聞かせていたわけだけれど、結果的に手助けをしてくれたことにより「パンチョスアミーゴ〜」という評価に落ち着いた。

やっとの思いで乗り込んだバス。これまた都内のバスと勝手が違う。座席が横に2席ずつ並んでおり、真ん中に通路があるとう作りなのだ。端的にいうとベビーカーが通過できない。まあ、そんな長時間乗るわけでもないし、運転手さんに事情を説明して乗り口から降りさせてもらえばよいかと目的地到着を待つこととした。

ほどなく進んだところでまた南米感のある民が乗り込んできた。しかもそのアミーゴはベビーカーを抱えている。スペースの都合上乗り口付近を陣取るしかなかった僕らのことなどお構いなしにアミーゴはベビーカーをぐいぐい押し込んできた。

もう乗り口付近、ぎゅうぎゅうっす。この後お客さん乗って来れないんじゃないかというくらいには。そして乗り口から降車させてもらえばいいかの目論見も潰えた。もうこうなったらしょうがないのでベビーカーをたたんで抱っこに切り替えることとする。

ひとまずそれで事なきを得たと思いきや、「順番的にあっちがベビーカーたたむべきなんじゃないの?」と妻の怒りの琴線に触れてしまう。いや、それはそうなんだけどもう面倒だからうちがたたんどきゃいいじゃないと妻を説き伏せ再び目的地到着を待った。いろんな南米アミーゴがいるものだ。これも旅情と思おうじゃないか。

こうして目的地に到着。子を抱っこ、帰省の荷物、ベビーカーは狭い通路を通すために持ち上げなければいけない。僕らの腕の数を越える事態となった。そして乗り口にはベビーカーのアミーゴ。もうしゃあないので往復するしかないかと腹を決めいったん支払いをして降車したところ、先ほどのご婦人が同じバス停で降車だったようで荷物を持って降りてくれたのだ。アミーゴすぎるだろ、ご婦人。

ありがたいやら申し訳ないやらで頭を下げつつ荷物を受け取ろうとしたら縁石に引っかかって後ろにずっこけて後頭部を地面に打ちつけてしまったのも旅の思い出。ご婦人に心配されつつその場を去った。

地元のバスに対する解像度が低すぎてひと苦労してしまった。たぶん、僕の地元はきっちり田舎なのでベビーカーを必要とするようなひとは車で移動するという前提なのだろう。なので、都内のようにノンステップバスを導入しようという運びにならないのだと思う。それどころか僕が地元にいたころなんてどう考えても観光バスでしょこれ、というバスが路線バスとして運行していたものな。あれはあれで味わい深いものがあった。

帰省中のことをつらつらと綴っていこうかなと思っていたのだけど、バスでの苦労だけでふだんの一本分くらい書いてしまった。キリも良いので今日はこのへんにしときますか。その他のエピソードはまた別の機会ということでよろしくお願いいたしやす🚌