普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

水にメタルを聴かせたら結晶が壊れるなど笑止千万

今日から仕事始め。とはいっても試運転程度にしか働いていない。いや、それどころかアイドリングしっぱなしだったかもしれない。もしかしたらアイドリングどころかキーをさしただけで運転席でゆっくりしただけ疑惑すらある。

「車に乗り込んだんだからえらかった」そういうことでね、自己肯定感マシマシで甘えに甘えた滑り出しもいいじゃない。車に乗らないと運転できないですから。家から出ただけでえらい、駐車場まで行っただけでえらいの精神で今年を乗りきっていこうと思います。

ゆるゆる家で仕事をしながらTwitter(X)を時折のぞいたりしていると、気になる投稿があった。かつて流行った「水からの伝言」という書籍について言及しているもので、内容としては以下。

著書内で完全にメタルを”あかんもの”として見ていることがわかる。メタル好きとしてこれは捨ておけない。著者は発表当時でけっこうな年齢であったようなので、メタルに対して80年代くらいのステレオタイプのイメージで語っていたものと思われる。ちなみにたぶんそのころの”ヘビメタ”のイメージというと不良の音楽、すぐキレる若者が気に入らないことがあると拳で解決、なんなら悪魔崇拝くらいしてんじゃないの?といったところであったと思う。

なんなんだ、この画像

実際のところ悪魔崇拝のメタルバンドはいるし(初期のブラックサバスとか)、悪魔そのものがメタルをやっていたりというケース(聖飢魔II)もあるにはあるが、コンセプトしっかりしててよいよね、くらいでみんな根はけっこう真面目だったりすることのほうが多い。まあ、ほんの一部ガチのアンチクライストすぎて教会に放火しちゃうようなバンドもいたのだけど、それは「そういうひとがメタルをやっていただけ」である。極上ポップ界隈にだって変態も狂人もいる。メタルは悪くない。

そういった”よくないもの”の象徴としてメタルが槍玉にあげられているわけだが、著者のとっつぁんはメタルを1ミリもわかっていない。知らないひとからすれば大音量で騒ぎ立てるだけの音楽と思われがちなメタルだが、実際のところはメタルほど整合感のある音楽もそうないのではというくらいにかっちりした音楽なのである。というよりもそれを求められがちなジャンルなのだ。

各楽器の音符同士の吸着率、前ノリ、後ノリなくBPM(テンポ)にジャストのノリ、キメの多さと、とにかく「ちゃんとしていないと形にならない」要素がふんだんに盛り込まれている。

このことから、メタルを聴かせた水の結晶が壊れたものになるなどちゃんちゃらおかしいというのが僕の主張だ。メタル聴かせまくったらめちゃめちゃ綺麗な多角形になるぞ、きっと。もしかしたら全部メタリカのロゴみたいになる可能性すらある。きっちりしてるやつなんですよ、メタルってやつは。しかも世の中にはネオクラシカルというメタルのジャンルもあり、メタル+クラシックというぴっちり横分けみたいな音楽もあるのだ。そんなもんを水に聴かせたら128面体とか構築するに違いない。

ま、そもそも水に音楽聴かせて云々というところでいったん立ち止まりたいところではあるけれども。でもその辺りは出版元が「波動教育社」ということなのでスピリットに訴えかけるなにかということでごにょごにょしておこうと思う。

水からの伝言」は僕でも知っているくらいなのでけっこう売れたのだろうし、話題にもなった。著者のウィキペディアを見たところ、「水からの伝言vol.4」まで出ておりそうとうにこすりまくっていたようだ。それどころか最初の「水からの伝言」が出て以降、明らかに水に関する内容の本が増えている。セカンド水からの伝言を狙っているのがありありと伝わってきて清々しさすら感じる。before水、after水。売れるとわかったら微妙に手を変え全力でこすりまくる。かつての小室哲哉スタイルだ。

いつもの通り本を読んでないのに話のうわずみだけで騒ぎ立てるスタイルでお送りしております。ただね、これだけは言っておきたいの。引用の投稿主さんも含めてメタルのこと「ヘビメタ」って呼んでるじゃないですか。おじガチメタラーはこれを一番嫌うんですな。これもかつてのメタルが過激で特徴的なビジュアルをしていて音楽を聴く前に見た目で判断されて「ヘビメタ」と揶揄されたことに対しての反発心であるわけなのだけど。

そういうことなので野生のおじメタラー接触する機会があったらメタルのことはきちんと「ヘヴィメタル」と言ってあげましょう。おじメタラーの機嫌が良くなります。

ちなみに僕は自分が好きなら呼び名はなんでも良い派所属ですのでそのあたり気にしません🎸