普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

グラインドコア好きに駅伝好きはいなそうな気がする

お正月といえば駅伝という文化がある。なのだけど、僕は駅伝にはあいにくあまり興味を持てるタイプではないのでほとんど見たことがない。それどころかそもそも駅伝がどういうものであるかすら理解しておらず、「駅伝 マラソン 違い」で検索してしまう程度には駅伝のことを知らずにこれまでの人生を過ごしてきた。なんならお正月限定イベントだと思っていた節すらある。でもお正月以外にも大会は開催されているらしい。お雑煮と似た立ち位置かもしれない。お雑煮だっていつ食べてもよいけどお正月以外ほとんど食べられていないし。

せっかく検索したので結果をご紹介しておくと、マラソンが決められた距離(42.195km)を単独で走破する競技であることに対して、駅伝はマラソン以上の距離を複数人で走り抜くという競技であるとの由。たぶんみなさん知ってる情報なんでしょうね。

そんな情報でも僕からしてみればなるほどねえと感心できる材料ではあった。とはいいつつも、そうなんだねえ以上の感想がなかなか湧き上がってこない。もともとスポーツ観戦をあまりしない方ではあるので駅伝とかマラソンみたいなスポーツの楽しみ方がわかっていないというのがある。けっこう長い時間、同じような場面が続くように思うのだけど、その間どういう気持ちで見るのが果たして正解なんだろう。僕の見方はいわゆる「欲しがりすぎ」なんだと思う。

こういうじっくりと腰を据えて観戦する競技よりも陸上短距離とか、高跳びみたいな一瞬で結果が出る競技の方がつい見てしまうものな。根気のなさが現れまくっている。ブルースのインプロセッションを10分聞くよりもグランドコアのワンステージ(10分ない)を聞くみたいなね。わかるひとほとんどいないと思うけど、まあバシっと決まってほしいということです。なんとなく、グランドコア好きに駅伝好きはいないような気がする。

そのくせモータースポーツは見てしまったりする。自発的に観戦するということではなく、深夜のテレビで流れていたら見てしまう、くらいの感じではあるのだけど、”なんとなく眺める”感じで行方を見守るのが好きだ。ポジションでいうとその日の放送枠が終わった後に空撮映像とか世界の市場をひたすら流し続けている時間帯のテレビを眺めるあの感じに近い。

最初からそれに何かを求めているわけではないのがよいのかもしれない。ルールや競技内容を理解できるものだと結果を求めてしまうので、その結果が出るまで時間のかかるものにやきもきしてしまうのか。これは末っ子根性が滲み出ているのでは。大丈夫だろうか。

お正月に駅伝を観戦するというのは僕がこどもの頃から「大人のやるやつ」であったので僕も大人になれば駅伝を楽しむようになるのかなと思ったが、まったくその兆候はない。思えば駅伝だけでなく、大人になれば楽しめるようになるのかな、と思いながらその楽しみを理解することなく通り過ぎている物事はけっこうある。

一方、盆栽のように年寄り趣味か思えるそれをもしや楽しめてしまうのでは、という自分もいる。

けっきょく、大人だからどうとかいう話ではなく、素養ということなんだろう。盆栽に関していえばあれはジオラマだものな。それを考えると好きになる要素しかない。アクアリウムとかの親戚でしょ、的な。

こんなことを言いつつ、来年には駅伝に対して熱狂し、街頭応援とかに行ってしまっているかもしれない自分を今年一年軽薄な眼差しで見守っていただきたい所存です。

駅伝広場なんてものがあるんですな。愛され感。