普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

お寿司のあとはケンタッキーが食べたくなる勢

あけました!おめでたい!

あけましておめでとうございます。

まずは声高にご挨拶から。2023年の始まりである。もう2023って僕ら世代で言ったら未来の数字でしかない。なにせ僕が生まれたのって1970年代だ。立派に昔である。

そんな未来の数字に到達したといっても、お正月にすることは毎年そんなに変わりはない。お雑煮を作っておせちを食べてだらだらする。例年でだとここに母の録画したドラマ”相棒”をぼんやり眺めるという所作が入ってくるのだが、今年は帰省をしていないのでその様式美は崩れた。

その代わり、というわけではないのだけど、義母が子に会いに僕らの住まいにやってきた。義母からすると初孫だったのでそれはそれは可愛がってくれるのだろうなと目論んでいたが、想像以上にメロメロであった。してやったりな気持ちになるも別に僕の手柄ではない。

お正月といえば自分が身内の家に赴くというのがこれまでの過ごし方であったが、今年は身内を家に招くということになっている。これは”大人のやるやつ”である。こんな日が僕の人生に訪れようとは。なかなかに感慨深い。

お正月×身内=ごちそうであることは疑いようのない事実である。そしてごちそうといえばお寿司。古来より連綿と受け継がれるお作法に従いお寿司の出前を取ることとした。そう、あの桶のやつである。これも”大人のやるやつ”だ。僕は今回初めてだったのだけど、みなさんお寿司の出前って人生のどのタイミングでとるものなんでしょうな。

ザ・様式美

それにしても1月1日に出前を届けてくれるというのがありがたすぎる。この年末、買い物をしようと街に出かけたら1月1日は休業であるお店というのが散見された。以前であれば営業していたであろうお店であってもだ。時代は変わったのだなと思うし、これで良いと思う。出前をお願いしておいてなんだけど、お正月は休めるなら休んだ方がよいなと単純に思う。

ただ、義母の勤務先の製造業は年末年始関係なくフル稼働だそうだ。デイリー品だしあまりお正月にニーズのある製品ではないように思うので”やってる感”が好きなタイプの上層部なのだろうか。でも欠品するというのはイメージとしてもやはりよくないのでそう言う面からも稼働しているのかもしれない。難しい話ですな。

話はお寿司に戻るのだけど、僕と妻の間で「お寿司を食べた後ってケンタッキー食べたくなるよね」という共通の認識がある。さっぱり食べすすめているうちに胃にこってりしたものをぶち込みたいという衝動に駆られるのだ。お腹自体は結構満足であるにも関わらず脳が満たされていないと訴えかけてくる。

義母も妻の母である以上同じ思考回路であるに違いないと断定し、事前に用意しておくこととした。ただ、手頃なケンタッキーというのが近場にない。ケンタッキーはアメリカ風唐揚げであろうということで唐揚げでも作っておくかと唐揚げに唐揚げた。

これで完璧だ。ナイス判断の我々夫婦とドヤってみたが、義母から唐揚げ問題について言及は特になかった。あれ、おかしいな…まあ良いか。

義母と我々家族のまったりタイムもつつがなく過ぎ、今年もお世話になります的な挨拶をしつつ義母に別れを告げた。

この年齢になってくると自分の中の定型的お正月の過ごし方というのはあるもので、普段と違うパターンのお正月を過ごしてみると思いの外お正月感というのが感じられなかったが、こういった客人をお招きパターンも新鮮であった。逆に自分の中のテンプレートを作り上げるというのがそれぞれの”お正月の過ごし方”であるのだろう。ま、それも風情ってやつですか!(たぶん違う)