本当に、若い頃にいまほどSNSが盛んでなくてよかったなと思う。僕が初めて触れたSNSらしいSNSはたぶんmixiなのだけど、その頃は紹介制でクローズドだったので今ほど赤の他人につながっていくことはあまりなかった。出会い目的みたいなひとはその限りではなかったようだし、だいぶ香ばしい感じのひともいたけど。
その頃に今のようなSNSがあったとしたら1度くらいは炎上を経験していたかもしれない。それくらいに若気は至りまくっていた。気軽に動画が撮れるような時代でなかったのも本当によかった。動画なんぞ残っていようものなら僕は国を捨てなければならないろころだ。
そんな20代。それでも小学生のころの僕からしたら充分に大人の年齢である。小学生の頃の僕は”20代の大人”をどう見ていただろう。思い返すと「チャラい、楽しそう」であった。少なくとも大変そうとかあまりネガティブな印象はもっていなかったと記憶している。これは時代もあったのだろうと思う。僕が小学校を卒業するころにバブル景気が終わりを迎えたので、小学生の僕からみたら大人、特に20代くらいだとなんかもうノリで生きているひとという見え方をしていたのだろう。
20代の頃の僕はといえば、ノリで生きていたところはある。そしていつだって楽しむことにぬかりはなかったし、定義によるけど一定のチャラさだってあった。20代の3分の1くらい酔っ払ってるか二日酔いだったからな。
なんだ、思ってた大人になっていたじゃないか。おめでとう、僕。というかそれが大人だと思ってそっちに寄せたのかもしれない。
しかしまあ40代となった今、20代の自分を振り返ると楽しさに振り切った生活を送っていたものだと思う。考え方もいまとはだいぶ違うし行動理念も違う。色々なことが違いすぎてもう20代の記憶って前世の記憶なんじゃないかと思えるほどだ。
今になってやっといろいろしっかりはしてきたなとは思いつつ、これが「おとなになる」ということであるのだとしたら一抹の寂しさを覚えるものはある。糸の切れた凧のようなかつての僕もまた僕であったし、そのまま風に吹かれるまま過ごしたらまた違う未来もあったのかもしれない。
て、これもしかして中年の危機的な思想なんだろうか。すご。まさしく大人だ。こりゃまさしく大人の所作である。わたくし無事大人になっておりました🫡
昔の自分と今の自分を比べてにがみ走った表情になってしまったりもするわけだけど、変わるのが当たり前というか、変われないというのは前進もしていないということなのだろうから現状はプラスに違いない。実際今は今で楽しんでいるしお天気よければそれでわりと幸せ。
幸せといえば「ジーパンをはく中年は幸せになれない」という本があるらしく(読んでない)、その説明文には
とある。これはたぶん前述の「変われないひと」を指すのだろうと思われる。僕はジーパンを履いていつつ今幸せだけれどもね。まあジーパンはあくまでも変われないことのアイコンであってジーパンじゃなくてもよかったんだろうけど。細かい内容は読んでないのでとやかく言う資格もないが、「幸せ」という部分だけをにクローズアップし、自分にとっての幸せとはなんだろうと考えてみる。
たどり着いた結論として、「よき理解者がいてくれて、生活にそんなに困らない」。これが答えだった。幸せのハードル低い。でもここらへんは抑えられてないと人生虚ろだ。ここを抑えずにこの上にお金だの名誉だのを積み上げていっても底が抜けているようなものなので満たされた感覚は訪れないんじゃないだろうか。少なくとも僕は。で、これにプラスしてお天気がよかったりすると最高。
若いころは理解者はいてくれつつも生活には困窮している時期もあったのでいつもハッピーというわけにはいかなったけど、そこを良いお天気の中散歩するなどして補填していた。ほんとお金ないけど時間だけはあるような時期もあったので10キロ以上散歩したりしたもんな。それもう散歩って言わんよと過去の僕に言ってあげたい。
今週のお題「おとなになったら」だったので大人とはみたいな話しようかと思ったらなんだか人生観の話になってしまってとっ散らかってしまった。
大人は人生考えて余計な語りかましちゃうよね、ってことでおしまい。
ちなみに、mixi世代にはブッ刺さる単語としてはサンシャイン牧場が絶対王者でみなさん異論はないかと思いますので否mixi世代の方々もmixi世代にこの単語を浴びせて味わい深い顔を量産してください🐮