普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

まちがいさがしっていうけど、それはただのちがいなんじゃない?

妻が言う。

まちがいさがしっていうけど、実際のところはちがいさがしだよね」

サイゼリヤ等でおなじみのあのまちがいさがしについての発言だ。

直近でサイゼに行った時の写真。飲む気しかないラインナップ。

確かに。ふたつの絵柄を比べて、様子の異なる箇所ではあるものの、それが間違いだと誰が言い切れるだろうか。片方の絵のメガネがまるメガネ、もう片方が四角いメガネだったとして、それを青筋立てて「間違いだ!」と糾弾するなど狭量というものではないか。

ドラえもん のび太のパラレル最遊記」の冒頭でママがゲテモノ料理を出すくらいに現実と違えば間違いであると言えるかもしれない。いや、あれすらジビエ料理にハマったママがこさえたジビエの極北だったのだとすれば間違いと言い切れない可能性もある。でもあれはこども心に怖すぎたのでやっぱ間違い。間違いであってくれてよかった。そもそも探さないでもフルスイングで間違いすぎだけど。

もともと牧歌的な遊びであるまちがいさがしだったけど、多様性が声高に叫ばれる昨今ではまちがいさがし程度の違いは許容されるべきなのだ。あんまりちょっとした違いにまで腹を立てていたら昨今のSNSのようである。本当の間違い探しは頑張って作成した書類(ボリューム多め)のミスを指摘され、「違うからやり直しといて」と言われ、ひとつ間違いがあるとその他の部分も自分で信用できなくなってきて書類とにらめっこするあれである。

ああいうときの間違いを見つけ出すのって本当に難儀するんだよな。確証バイアス的な目というか、間違いない前提で見てしまうから。そういう意味で言うと「違ってますよ〜」と最初に宣言してくれているまちがいさがしは優しい。サイゼのまちがいさがし全っ然わからなかったけど。

あれ、そもそもミスプリントレベルの違いの指摘を求められてないですか。直近でサイゼに行った時にチャレンジしてあまりにもわからなかったのでカンニングしたのだけど、建物の屋根のレンガの歪みの違いとかあったし。それを言い出したら現実の工業製品ですら間違いだらけということになってしまう。パーツの個性レベルなんじゃないかと言えなくもない。まさに違い。でも工業製品は画一的であることが最大の長所でもあるので全く同じで作られていないというのは”間違い”ということでもあると受け取れるのか。

本当の”間違い”なんて実はそうあるものでもなく、あるのは”違い”だけ。みんなちがってみんなよい。そんな気持ちでね、次回サイゼに行った際には2枚の絵を見比べようと思います。