普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

それこぼしといて

はてなブログ今週のお題「こぼしたもの」だそうで、特に最近思い出深いこぼしたものものもないなと通り過ぎようとしたときにふと思い出した。

僕は上京したばかりのころ、液体を捨てることを「こぼす」と言ってたのだった。例えばペットボトルの中身、またはカップラーメンの残り汁。それらをシンクに捨てて欲しいとき、「それこぼしといて」とお願いするのだ。

今は使わなくなったけど、たぶん方言なのだと思う。僕は元々が静岡人(静岡出身)でないので方言に関しては何もないものだと思っていたが、こういった微妙な方言というのはやはりその土地にしばらく暮らせば知らずと身につくもののようだ。その当時お付き合いしていた彼女から指摘されてはじめて気づいたんだったなあ(遠い目)まあそのくらいにはナチュラルにいろんなものを「こぼしていた」ということだ。ちなみにその彼女は宮城県の山間部出身のひとだったので本気出すと通訳が必要なほどだった。なので、僕の「こぼす」は違和感を持たれながらもニュアンスで伝わってしまうからあまり指摘されなかったのかもしれないな。

こういった局所的な方言はあったようだったけど、先述の通り僕は基本的には静岡弁(僕の住んでいた地域で言うと遠州弁)は使っていなかった。というか使えていなかった。その理由は小学生の頃に東京(八王子)から島根(山奥)の親の転勤で移り住んだ頃に遡る。その地域は方言もバリバリだったのだけど、こまっしゃくれたお子だった僕は「引っ越した途端に方言を使い始めるなんておかしい!はずかしい!」と方言で会話することを拒否したのだ。外国語できないタイプ。リスニングだけみたいな。

しかし過ごすこと2年ほど。「そろそろ方言ってやつ、つかってみてもいいかな…」心境の変化が訪れる。むしろそこまで使わなかったなんて周りからは「東京から来た気取ったやつ」くらいには思われてたかもしれない。あまり気にしてなかったけど。

とにかく心の準備は整った。使おうじゃないか。島根弁を。「はがええ!」「ぶちはがええ!!」日常生活に土地の方言を取り入れた。しかし僕は島根弁の神様に嫌われていたのだろう。途端に親より「転勤しのお知らせ」しかも転勤先は横浜だ。シティ!!

せっかく心を開いたのに!裏切られた!もう2度と方言なんか使うもんか!

というのが静岡に移り住んでも方言を使わなかった理由だ。ただの自意識過剰ともいう。あと誰も裏切ってない。ちなみに「はがええ」はむかつく的な意味で「ぶち」はとても的な意味合いだ。中国地方のひとが「ぶちはがええわ!」と言っていたら相当怒っているので気をつけてください。

「こぼした」からだいぶ離れてしまったけど、お題に沿って「こぼしたもの」と言うのならば、ティーンズの頃はそれはもうお茶でも水でも汁物でもなんでもシンクに「こぼし」放題のこぼし人生だったと言えるだろう。今は「こぼす」という方言を卒業したので年に数回しかこぼさない。

あ、でも今日窓際にサボテンの鉢を置いていたまま窓を開けたら強風で鉢の表面の土が部屋に入りまくっていたのだけど、あれを「こぼす」にカウントするのだとしたらその手の過失は月に1度は発生している可能性があります🫡