普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

人生は首都高くらい分岐している

特になんのトピックスもなかった1日だったし、今週のお題「人生変わった瞬間」でも。

人生は分岐しているものだと思っているので、どの瞬間も人生を変える瞬間であるのだろうなと思う。首都高くらい分岐してるから謎分岐で目的地に辿り着けなかったりね。とか屁理屈言い出すとこの話題は終わってしまうのできちんとしたものを考えてみよう。

おそらく、一番人生を変えたのは父の死であったと思う。時期としては僕が小学校6年生の1月だ。そして享年は41歳。今の僕より若い。

父を亡くすということで大抵のひとの人生は大きく変わると思われるが、我が家の場合父の勤務先の社宅に暮らしていたので住む場所からして変えざるを得ない状況となった。追加オプション発生である。

さらに母子家庭となることに対するこれからの生活を心配してくれた父の元同僚から母が仕事を紹介され、それがたまたまなのか選んだのかわからないが母の実家のある静岡であったため静岡に引っ越すこととなったのだ。人生のギアがガチョンがチョン動いている音が聞こえる。

これだけでも大変だってのに父の亡くなった直後に僕の病気が悪化。入院を余儀なくされる。どういうタイミングだよとしか思えないタイミングだ。考えようによっては父の死という大きな悲しみに向き合いすぎて悲しみに暮れすぎないようにデコイとして不幸を発生させたという可能性もなくはない。神様、きわっきわな攻め方するな。

ただ実際、母は父が亡くなったことで本当に魂が抜けたように気落ちしてしまっていたので僕の空気読めてないかのようなタイミングの病気悪化も「頑張るしかない」という気持ちにさせる一助にはなったと言えなくもないかもしれない。でもこんなの失敗したら心中ものなので母の強さがあって本当に助かったし尊敬しかない。僕ならぼっきり心折れてしまってどうなっていたことやら。

父が亡くなったのが小6の1月で入院し出したのがたしか2月頃。引っ越しをしたのは3月、そして退院をしたのはたしか5月頃だ。引っ越しとかあるし、中学入学してるはずだし間どうなってんの?と思われるかもしれない。病気に関しては転院し入院を続行。一大イベントである中学入学式はなんとか外出許可をもらい参加し、式が終わり次第そそくさと巣穴(病室)へ逃げ帰った。

病気の悪化と父の死は心因性という意味で関係ありそうななさそうな曖昧なところであるけど、タイミング的に完全に父の死とかぶるのでこの際すべて父の死に関連づけてしまおうと思う。

当時、横浜から静岡に引っ越した僕は”都会から田舎に舞い降りたシティボーイ”として振る舞っていた。単純にいやなやつである。あのまま横浜に住み続けていたかったとよく思っていた。しかし、今にして思えば引っ越して本当によかったと思う。父がなくならず横浜に住み続けていたら単純ないやなやつどころかいつかぶん殴りたいあの野郎くらいにはいやなやつになってしまっていたと思う。

当時、僕には人生に何度かくると言われているモテ期が到来しており、それなりに女子人気があった。小6でそれなのだから中学に進学したらハマの暴れ馬確定である。それを引っ越しで無理やり軌道修正したのだ。ついでに言うと腎臓患者に投与されるステロイドの副作用でムーンフェイスと呼ばれる症状で顔がぱんっぱんに膨れ上がっていたのでそれも引っ越し後の非モテ力をぐっと押し上げていた。

病気も悪化せずに横浜の中学に進学していたらハマのいきり地蔵、引っ越した先では顔ぱんぱんのなんかよくわからんやつ。モテ要素ひとつもないな。

父の死は決してプラスではなかったけれど、結果としてこれでよかったのだろうと思う。おかげで人間がまるくなったと思うもの。

これが僕の「人生変わった瞬間」。ひとによってはあんまり明るくない話に感じてしまうかもしれないけれども、僕からしてみたら全然ネガティブな話題ではないことを最後に申し添えておこうと思います。それこそもう「今日のお昼ご飯カレー食べた」くらいのテンンションです。

そうは言いつつエモみのある雰囲気の心象風景写真を投下