普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

一発で話を理解できないくらいがちょうど良い

自分のことをゲーマーだとは思ったことはないのだけれど、振り返ってみれば可処分時間の多くをゲームに注いできた事実がある。

以前ほどではないにしても、この年齢になってもおそらく同年代に比べればかなりの時間をゲームに割いているのではないかと思われる。

最近それが顕著であったのがニーアシリーズである。

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リリースの順番で言えば、ニーアレプリカント→ニーアオートマタとなり、本来であればプレイする順番もそれに準じるべきであったのかもしれないが、まったくノーマークだったこと、ある日突然急にニーアオートマタがやりたくなってそれがちょうど終わる頃にレプリカントのバージョンアップ版のようなものがリリースされたので順番は逆となってしまった。

結果として、先にレプリカントをやっておいたほうがオートマタでにやける設定を味わえたのでそこは惜しいことをしたなという感想であった。両方とも面白かったので満足はしたけれども。

今週のお題「やり込んだゲーム」ということで、何をもってしてやり込んだというところではあるが、昨今のゲームに対して根気がなくなっている自分が短期間のうちに2回クリアをしたというのはなかなかの熱のあげようだったと思う。

しかも、どちらのシリーズもエンディングが複数あり、仕掛けがしてあるのでなんだかよくわからないまま進めると絶望を味わうことになる。主に物理的な問題で。

それを乗り越えての2週目にチャレンジできたというのはこのゲームが魅力的であったことに他ならないだろう。

僕は基本的に設定厨みたいなところがあり、架空の世界であるにもかかわらず、そのひとの癖、好きな食べ物、周りとの人間関係など細かい設定が付されているともうダメだ。それが群像劇であったりするとほぼ撃ち抜かれるといっても過言ではない。自分でこめかみを撃ち抜くくらいにはハマりにハマる。

ニーアシリーズは入り組んだ設定の中で専門用語を理解しないとストーリーの核心に触れられないみたいなところもあるのでそれがまた惹きつけられる。

結局200時間はプレイしたとは思うので、大人のプレイ時間としてはかなり奮発していると思う。

 

こんかいやり込んだゲームということでもうひとつ迷っていたのが、かなり古いゲームのタクティクスオウガスーファミ)で、これに関しては間違いなくやり込んだし、思春期にプレイしたことでなんとなく自分の民族紛争についての考えの礎を作ったように思う。(民族紛争の話なんです)

少数民族の弱小部隊が駆け引きを経てなんやかんやとうまい具合に紛争を落ち着かせていくのだけど、マルチエンディングのはずなのに僕はいつも次の革命家に討ち取られるエンディングににしか辿り着かなかった。完全にリーダー向いてない。

こちらについてもまじっくり語るタイミングを設けたいところ。

本日のところはひとまずこんなところで。