普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

甘さ控えめっていっても衰え始めたマイクタイソンくらいにはパンチ力ある

甘さ控えめという言葉をいっさい信用していない。最近は自ら甘いものを求めるようになったのだけど、30代くらいまでは甘いものが極端に苦手で甘さに対する向き合い方はゼロヒャクでしかなかった。甘いかそうでないかで、ボリュームノブをひねるように徐々に甘いという段階を認識できず、スイッチのようにオンかオフかでしか考えらなかったのだ。

午後の紅茶のストレートなんか何をもってしてストレートと言っているのかがわからない。と、ぶつくさ言う前にきちんと調べようと思って調べたところミルクやレモンが入っていないものをストレートというのだそうで、砂糖については言及対象にならないそうだ。ストレートっていうからには何も加えられていないものかと思っていた。紛らわしい。

そういったストレートはがっつり甘い問題を回避するために微糖という表現が使用されるようになり、確かにストレートよりは甘くないかもしれないものは出来上がっているのだけど、それでも甘いの苦手な民からすればじゅうぶん甘い。マイクタイソンが現役時代よりだいぶ衰えたよねと言ったって到底一般人ではボクシングで勝てるわけがない。そういうことなのだ。"甘さ控えめ 微糖"=マイクタイソン(56)ということである。

なので、午後の紅茶で言うと"おいしい無糖”が出たときは「ついにこの時が!」と秘宝を発見したときのような気持ちで飛びついた。イメージとしてはゼルダの伝説で宝箱からアイテムをとってときのあの感じだ。でれれれ〜。わからないひとにはまったくわからない例えになってしまった。まあ傍目から見ても嬉しそうだったってことです。あと、きちんとおいしいので看板に偽りなくてえらいなと思った。

紅茶で無糖はそれまで売っていなかったのではないかなと思ったけど、超古参で実はジャワティーがいる。ただ、発売当時僕が小学生だったからなのか、時代なのかはわからないけど無糖の紅茶を認識していなかったのでジャワティーは”ジャワティー”でしかなく、「変わった味の茶色い飲み物」でしかなかった。紅茶として売り出してなかったし、”新感覚飲料”みたいな感じで売り出していたような気がする。もしかしたら甘くない紅茶が世間的にまったく受け入れられていなかったのかもしれない。他に紅茶っていうとやはりがっつり甘い紅茶花伝とかだったものな。

そんな無糖原理主義時代を過ごした僕も最近は甘いものを進んで食べるようになった。冷凍庫にアイスを常備してしまったりするくらいなのでえらい変わりようだ。ちなみに常備しているのはパリパリアイスだ。庶民的なビエネッタみたいで非常に塩梅がよい。

なぜ甘いものを食べるようになったのかなと考えたところ、味覚が鈍化してきたことによるのかもしれないと言う結論に辿り着いた。老齢になると甘さが振り切ったシルバースイーツを求めるその前段階ということである。

↑こういうのです。

自分で甘いものを食べるようになったとはいえ、甘さ控えめを信用できるかというとやはりそのようなことはなく、甘いものを食べるときは「そういうもの」として食べるようにしている。

この年齢になって「甘いはうまい」が少しずつ理解できるようになってきたのでした。要は好きな食べ物が増えたということだし結果的にハッピー?イエス

甘くてお酒にあうので最&高