”雨のにおい”という言葉を聞いて「ああ、あれね」とイメージが湧くだろうか。雨の降り始めに漂ってくるあのにおいのことだ。実際のところはアスファルトが濡れて埃だの塵だのが湿って舞い上がることにより発生するにおいかと思っている。
と、思って調べたら本当にそのような理由があるらしい。今の世の中なんでも調べたら出てくるな。”雨のにおい”という語感からはロマンチックさや詩的なものがあるが、実際は埃だのなんだのと言ったところなのでそのかけらもない。事象を事細かに知るということはロマンを捨てるということなのか。
あとは「ペトリコール」と呼ばれるにおいが発生することも雨のにおいを感じることに関係があるらしい。これは雨が地面に衝突するときになんやかんや色々あって発生するものとのこと。こっちに関しては現象として身近でない分若干ロマンの要素がある気がする。詳しいことは以下のサイトでご確認くだされ。
昨日は久しぶりに雨が降って前述の雨のにおいについて思いを馳せたわけだけど、雨の降り始めに雨とほこりが混ざってあのにおいがするということなのであれば、目隠ししていれば灼熱の陽射しのなか水を地面にまいても同じにおいがするということになるなと考えていた。
確かに思い返してみると軒先で打ち水をしている近くを通ると雨のにおいに近いにおいがしたように思う。まあ埃が舞い上がってるにおいともいうんだけど。ただ、微妙ににおいが違ったんじゃないかなとも思える。その原因はペトリコールだったということか。水が地面に衝突するというアクションがないからにおいの元の何かが発生しないということなのだろう。
思えばじわりと降り始める雨よりも夕立のような激しい雨のほうが”あのにおい”はするような気がする。それも衝突の力があるのと単純に勢いがあるから埃が立ちやすいとかあるのかもしれない。
雨のにおい、梅雨以来だなあなんて思ったけどそもそも梅雨明けって宣言されていたかなというくらいに今年の梅雨明けはぼんやりとしていたような気がする。これが男女だったらいつのまにかなんか付き合っているような感じになっているけどこの関係なに?みたいなことだと思う。それでいつのまにかだんだん会わなくなってくんだけど「そもそも付き合うって言ってないしなあ・・・」と変に立ち入った話もできないで最終的に「あれなんだったんだろ」となるやつだ。不健全。不純。お下劣。けじめ大事。きっぱりとした梅雨明け宣言大事よ。
いやなんの話かっていうと、昨日は出社していたので唯一にして最大のビッグイベントのお昼ご飯にラーメンを食べに行こうと思っていたのに雨に妨害されたという話を書きたかったんですよ。
食べに行く道すがら降り出した雨に雨のにおいだーなんつって情緒を感じてみたりもしたのだけど、その後情緒どころじゃないくらい鬼降りしたのでちょっと引いた。雷もともなってにぎやかなことになっていた様子はどこかで魔神でも爆誕してるんじゃないかなというくいらいには不穏であった。
以前の僕であればラーメン>ずぶ濡れという図式で動いていたが、昨日は降り始めの段階でこれはまずいことになるぞと察知し踵を返しコンビニ飯で我慢するという快挙を達成した。よ、鮮やかな転身。
あのまま強行していたら前述の通り魔神誕生の儀の最中移動することになっていたので泣いちゃうこと必至だった。泣き濡れて泣き濡れてびっしょんびっしょんに泣いてもそれを気づかないくらいに全身ずぶ濡れになるところだっただろう。
きちんとした人生を送ってきたひとには信じられないかもしれないけれども、こんなことで僕も成長したなあなどと思ってしまうのだからこれからの人生成長する要素しかないんじゃないかなとここはあえてポジティブを貫いておこうかと思います。