普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

そこんとこ肥やしといて

例年に比べると今年は雨も多いように感じるけれど、なによりも日照時間が少ないのではないかと思う。

日光を浴びないのは心によくない。ような気がする。先週土曜など、一日中雨が降り続けるものだから本当に一歩も外にでなかったくらいだ。

心がささくれだってしまいそうなときほどどうでもよいことを楽しむべきだ。そう思い、今日は普段の記事と趣旨を変えていこうかと思う。

なんだか気になるなあと思って写真は撮ってみたもののSNSにあげるほどでもないなあといった写真というものが誰しもあるだろう。

僕はデイリーポータルZというウェブサイトが好きでよくチェックしているのだけど、以前に上記のような写真を「カメラロールのこやし」と銘打ち読者から募集していたことがあった。それを個人的にやろうというわけだ。これをもって自分でもリアクションの取りづらいうっすい写真の供養としたい。

 

まずはこちら。

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いわゆる福助人形である。幸福を呼び込むとされ縁起物とされているものだ。しかしながらこの福助、なんとも陰うつな表情をしているように見えないだろうか。じとりとこちらをうかがい見ているような目つきに感じる。各種電子マネー対応をアピールしてきているが、電子マネー以外で支払いをしようとしたら嫌味のひとつでも言われそうだ。

福助には由来のひとつとして、短躯の身体障害者として生まれ、見世物小屋で働く際に芸名として「不具助」をもじって「福助」としたという説があるらしい。結果的に縁起のよさげな名前で好評だったということなのだけど、最初の不具助って思いついたひと、心なさすぎだろう。スクールカースト上位のいじめっこのにおいがする。

もしかしたらこの写真の表情は不具助と最初に言われたときの表情なのかもしれない。しかし、不具助から福助となり、なんだかんだでその後の人生とんとん拍子でうまくいったとのことなのでときどき不具助などと言い出したひとのことを思い返して人生どうなるかわかんねえなあなんて思っているかもしれない。

 

続いてはこちら。

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見ての通りの笑笑である。

笑笑って今見なくないですか?というだけで撮った一枚。

そんでずっと「新しいタイプの居酒屋」って看板にかかげているのって「けんちゃんラーメン新発売」を思い出すなあと。

そんだけです。

 

はい次。

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わかりにくいとは思うけれど、これはまんじゅうだ。道端にいきなり落ちていた。

ふつうに過ごしていたらまんじゅうは落とさない。むしろ現代に過ごしていてまんじゅうを携帯するということがあるのかとすら思う。それでも持ち歩かれていたまんじゅう。落とし主はさぞ気落ちしているのだろうなとシンパシーを覚えた。

自分にあてはめて考えてみるのならば、マクドナルドのポテトを持ち帰りで購入し、ついでに寄ったスーパーのレジでの支払いの際、あやまってポテト入りの紙袋を逆さにしてしまいポテトをこぼしてしまったことが思い出される。ポテトをぶちまけ、それだけにとどまらず宙を舞うポテトはレジ付近に備え付けられたゴミ箱へ吸い込まれるように入っていった。あのときはほんとに恥ずかしかったし悲しかったな…

まんじゅうの主はおそらくそういう気分なのである。代わりのまんじゅうとか、まだ残りがあるとかそういう問題ではないのだ。「そのまんじゅう」が重要なのだ。それが気づけば自分の手元から消えていたとなれば落ち込みもするだろう。

この写真を撮ったとき僕は自転車に乗っていたのだけど、え?まんじゅう?となりいったんは通り過ぎたものの、「まんじゅうは…落ちてる…ものじゃない…!!」と使命感に目覚めたような気持ちで引き返して写真を撮ったのであった。

結果、あとで見返したらまんじゅうなのかどうかもわかりづらいし、なんだろうな、これ…と、どう扱ってよいかわからなくなってしまってストレージを肥やしていた。今日、ここにあげたことによってカタルシスを得たといえるだろう。

 

今日のところはひとまずこんなところで止めておこうかと思う。微妙写真ズたちはまた数多く眠っているのでまたの機会にでも。

たぶん、今日の写真というのは天ぷらの具でいうといんげんくらいのポジションの写真だ。

てんぷらいいな。帰りにてんぷら買ってこう。