普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

モノ頼りではなく、ひとが雨に対して進化すれば良い

今週のお題「やる気が出ない」なんだそうである。果たして自分にとってやる気に満ち溢れている瞬間というのはどういう瞬間なのだろうと考えてみたところ、もしかしてそんな瞬間ないのではとおそろしい結論に至りそうになっている。

そもそもやる気ってなんなのだろうと調べてみたところ、これまでの成功体験だったり、他人がやれてるんだから自分もいけるだろうとか、なんかわかんないけど大丈夫、いけちゃうんじゃないのとかそういったところからの行動に対する勢いみたいなものがやる気と言われる部分らしい。

そういうことでいうと楽観的であるというのはやる気なつながるということなので、僕もギリギリやる気人間になれる可能性はある。なにせ根拠なく楽観的であることで人生を乗り切ってきたところがあるからな。

反面、やる気が出ないときというのはどういうときなのだろうと考えると、二大シチュエーションが思い浮かぶ。

飲みすぎた日の翌日と、雨の日だ。

これが重なってしまったりするともう最悪で、その日はなかったことになる。その日、僕はこの世に存在しません。みなさまよろしくやっていただきたい。

お酒に関しては自分次第だけれども、雨は自分のちからではどうにもならないというのが問題だ。

雨ってもう地球が活動をはじめて以来ずっと天候のオーダーの中に入っているわけである。開店からのなじみのメニューだ。文明が発生する前から現代まで変わらず雨は降っている。

それを考えると文明も進化していることだし、雨への対策ってもうちょっと進化していてもよいのではないかと思いませんか。

だって、現状お手軽に雨を避ける手段っていったら傘ですよ、傘。めちゃめちゃアナログ。よくてレインコート。あくまでも雨を受けたうえでの撥水性頼りの対策だ。そこをもっと根本的なところから変えていけたらなんと素晴らしいことか。

前にも言ったことがあるのだけど、どでかい漏斗を首都圏に設置してダムとか然るべき場所に降った雨を降ったそばから注ぎ込んでしまえばよいのだ。もちろん雨が降ったときのみ転開する作りが望ましい。晴れてるときはおひさまを逃したくない。

雨自体は降らないといけませんからな。降り注いだ雨を無駄にしないという方法である。

あとはもうひとそのものが雨に特化した進化をしたらよい。雨が降り始めたら身体が微振動して、受けた雨をはじくのだ。そもそも濡れないという身体づくり。もののけ姫のコダマみたいなイメージかもしれない。その原理ではじくのかどうか知らないけれどもなんだかいけるのではと思っている。それを進化というのかはわからないし、さっきから何を言っているのかと言われればその通りとしか言いようがない。

今年は梅雨入りが早いだの梅雨が長いだのといった噂を聞いてなんだかくさくさした気持ちになっているのだ。お店でお酒も飲めないし。

適当なことでっちあげてガハハと笑っていたいじゃない。

でもお酒を外で飲まないということはそのぶん二日酔いの頻度は減る(はず)ということなので、やる気に溢れた梅雨シーズンを迎えられるのかもしれない。

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やる気がまったくわかないときの心象風景。